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“消えた”ウーマン・村本、アメリカお笑い修行を独占密着 「明日死ぬなら、今話したいことを話したい」

日向史有ドキュメンタリーディレクター

世間から「消えた」と言われる芸人がいる。

ウーマンラッシュアワーの「村本大輔」だ。2008年にコンビを結成するとすぐさま数々の賞を獲得。2013年には、「THE MANZAI(フジテレビ)」で優勝し、一躍、人気芸人の仲間入りを果した。しかし2017年、ふたたび「THE MANZAI」に出演した際に披露した漫才をきっかけに、村本大輔のテレビ出演は激減する。そのとき彼が漫才に取り入れたのは、数々の“政治ネタ”だった。沖縄の基地や福島の原発、日米関係。彼の「挑発的」ともとれる笑いは、世間をざわつかせ、その結果、彼はネット世界で様々なイメージで語られることになる。 “炎上芸人”や“活動家”、“反日左翼”などなど。そのイメージが膨らんでいくにつれ、テレビ出演の回数は減っていった。

 むろん村本自身が、テレビから離れていく選択をしたという側面もある。村本の信条は「舞台で目の前のお客を笑わせてこそ漫才師」であるからだ。
 
 いま、彼が挑戦しているのは、コメディの最高峰であるアメリカの舞台。多くのハードルがあることは、誰よりも彼自身が一番理解している。英語力の低さ、アメリカ社会に対する認識の不足、コネクションなど、数え上げたらきりがないだろう。しかし彼は言う。「一度日本で通った道を、もう一度通るだけ」だと。2000年にデビューして以降、コンビ結成と解散を繰り返しながらお笑いをつづけてきた村本大輔。小さな劇場を仲間と借り、ほとんどお客が来ない中でライブをした経験も何度もある。デビューから「THE MANZAI」で優勝するまでには13年の年月がかかった。「まあ、アメリカでその道を通り抜けられるか分からないし、そのままダメになるかもですけど」と微笑みながら、今回のアメリカ挑戦への決意を語る。

 村本は、2021年に本格的なアメリカ移住を計画している。その準備として、既に何度か渡米し、短期のコメディ修行を行なっている。この映像は、2019年7月、直近の渡米の様子を撮影したものだ。

 私がニューヨークで村本を取材し、感じた率直な印象は「一途さ」だった。
そう感じたのは、彼が生活のほとんどの時間を新作のネタ作りと英語の習得に費やしていたからだ。午前中は英会話のレッスン、昼食に入ったレストランでは、ウェイター相手に英語の新作ネタを試し、アイデアを思いつけば道端に座り込んでメモを取り、移動中はひとりでブツブツと英語の発音を練習。毎日、毎日、この繰り返し。「同じ画ばかり撮影して、つまらないでしょう」と、彼は取材者である私を気遣ってくれる。しかし、彼の生活スタイルは一貫していた。1ヶ月の滞在期間中で作り上げた「英語」の新作のネタは、およそ20個。
「お笑い」に対して、なんてストイックに向き合っているんだろうと圧倒され、私は彼と一緒にいる時間、ほぼ常にカメラを回した。そしてなにより、取材前に漠然と刷り込まれていた「村本大輔」のイメージは、大きく変えられた。

帰国して、何度か彼の独演会を撮影させてもらった。村本の特徴でもあるマシンガンのような早口は、彼の笑いへの熱量を伝える手段としてとても合っている。ネタは政治や社会を彼の目線で切り取り、最後はきっちり笑いに落とし込んでいく。撮影をしながら、私自身、大きな声を上げて笑っていた。面白かった。
「面白い」と感じるのは、単純に爆笑できるからではなく、見終わった後、彼の言葉が心に棘のように刺さり、痛みを残すからである。彼のつくりだそうとする笑いには、つねに賛否の声がつきまとう。でも、それが健全なのだと、私は思う。
 村本のtwitterでの発信も同じだ。 時に無責任に、時に事実誤認をしながら、彼は「自分が話したいこと」を発信し続けている。間違いを犯したら批判され、謝罪し、他者との衝突を繰り返している。私はここで、彼の意見を擁護したり、賛同したいのではない。ただ、私は彼の「言いたいことを言う」という姿勢が好きなのだ。物事には、賛成と反対の両面があって当然だと思う。感じたことを発信しなければ、自身と他者の違いを知ることもないし、議論の種が生まれることもない。意見の相違を知らず、議論をしない社会では、一つの方向性を持った意見しか存在しないことになってしまうのではないだろうか。

もし、この映像作品で「村本大輔」に嫌悪感を持った方がいたら、ぜひ彼の漫才や独演会を生で体験してほしいと思う。その嫌悪感は更に深まるかもしれないが、同時に、日常で社会に感じるモヤモヤや違和感を吹き飛ばしてくれるかもしれない。笑いころげるかもしれないし、つまらないだけかもしれない。辛辣な言葉のたたみかけにショックを受けるかもしれないし、爽快感を得るかもしれない。
それぞれの人が、自分で感じて賛否を決めてほしい。他者と摩擦を引き起こしながらも自身の感じたことを模索し、笑いを発信し続ける村本大輔。彼の表現によって生み出される豊かさは、私にとってかけがいのないものだ。

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「ウーマン村本大輔、アメリカ進出を宣言 日本のお笑いに「限界」を感じた理由(外部サイト)」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/daisuke-muramoto_jp_5e42153ec5b6b70887064267?fbclid=IwAR0x3LzDRDQV-yNL030qav4_Q0bts1oxkjc5g3PozjQ5NZp5ox7-U2aj32M

クレジット

プロデューサー:石川 朋子
構成:檀 乃歩也
撮影協力:金沢裕司
EED/MA:織山臨太郎
コーディネーター:ポール・ディ・マルティノ
撮影・ディレクター:日向 史有

ドキュメンタリーディレクター

2006年、ドキュメンタリージャパンに入社。東部紛争下のウクライナで、「国のために戦うべきか」徴兵制度に葛藤する若者たちを追った『銃は取るべきか(NHK BS1)』や在日シリア人“難民”の家族を1年間記録した『となりのシリア人(日本テレビ)』を制作。2017年、18歳の在日クルド人青年のひと夏を描いた「TOKYO KURDS/東京クルド」で、TokyoDocsショートドキュメンタリー・ショーケース優秀賞受賞。2018年、北米最大のドキュメンタリーフェスティバル HOT DOCS正式招待作品に選出。

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