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「手放すことで見えてくる、あなたにとって本当に大切なもの」死の体験旅行を通した僧侶と参加者の物語

荒井秀之ドキュメンタリー映像作家

「生きることに悩んでいる人のよりどころにしたい」。横浜市で小さなお寺「なごみ庵」を開いている浄土真宗の僧侶・浦上哲也さん(48)が、2013年1月から開催してきたワークショップ「死の体験旅行」の受講者は4000人を超える。希望者が殺到する「死の体験旅行」とはどんなものなのか。参加者が自分自身と向き合い、死を疑似体験することで見えてくる世界とは。

・死の疑似体験とは?

浦上さんのワークショップは、次のように進められる。なごみ庵の一室に集まった参加者には、20枚ずつカードが配られ、それぞれが人生において大事にしているもの、ないと困るものを、人や思い出、風景などの形のないものも含めて1枚に1項目ずつ書き出していく。その後、「これはあなたの物語です」という言葉とともに、僧侶が語る死の体験旅行が始まる。

参加者は、病にかかり、やがて命を終えていくまでを頭の中で追体験しながら、ストーリーの要所要所でカードを1枚、2枚と手放していくことを求められる。自分自身が死に近づいていく疑似体験をしながら、大事なものの取捨選択を迫られる。
この体験が「自分の死に向き合うことで生を見つめる」きっかけとなり、それまでの人生と向き合いながら、今の自分にとって本当に大事なものは何かを考えていくことができるようになるのだという。

・「父が亡くなったときの気持ちを思い出すことで、遺族に寄り添いたい」

浦上さんは、オイルショックに揺れ、第2次ベビーブームのピークだった1973年に生まれた。就職を意識しはじめた頃にバブル崩壊に見舞われ、苦労の末に入社したのはいまでいう「ブラック企業」。
ルートセールスや不動産の電話営業などを経験したが、どちらもつらく、長続きしなかった。会社を辞め、これからの人生をどうしようかと考えていたとき、親戚関係の寺に縁があり、拾ってもらうことになる。

当初は、僧侶になることに、かなりのためらいがあったという。一般の仕事なら、自分に合わなければ辞めればいい。ただ、お坊さんすら合わなかったら、自分は人間失格なのではないかと考えたからだ。1カ月ほど悩んだが、父の後押しもあって僧侶になる決意をした。

浦上さんが死の体験旅行に関わるきっかけとなったのは、僧侶になって2年後の2001年に父を亡くしたことだった。浦上さんにとってはじめての近親者の死。ショックを受けたが、それまで僧侶として関わってきた遺族の喪失感や悲しみを実感できるようになったという。

一方で、時の経過と共に父を失った悲しみは薄れていく。あの時の気持ちを思い出し、遺族や亡くなった本人に寄り添うにはどうしたらよいかと考えている時に出会ったのが、「死の体験旅行」だった。

元々は欧米のホスピスで終末期医療に携わる医療従事者向けに開発されたプログラムだった。ホスピスは穏やかに亡くなっていく人を見送ることを目的としており、そこで働く医師や看護師には内科や外科とは全く違う心構えが必要だった。自分自身が命を終えていくのを仮想体験することで、より良い介護、看護にあてていく目的で開発された。

浦上さんは、仏教系の本を読み、「死」を体験するワークショップの存在を知る。「これを受けたい、これを受けたらあの時の気持ちを取り戻せるのではないか」と思い、開催元に問い合わせたが、当時は一般向けには開かれていなかった。

2012年になって、ようやくワークショップを行ったことがあるという看護師を見つけることができた。仲間の僧侶を数人集め、その看護師に受けさせてもらったのが、初めての体験となった。

何年か越しでやっと受けられたということもあり、感激と感動、ようやく実現できたというようなさまざまな思いも混ざって、自分でもびっくりするくらい泣いてしまったという。気持ちが揺さぶられ、素晴らしいワークショップだと実感したが、当時はまだ、自分でこれを開催するようになるとは思ってもいなかった。

その後、浦上さんが書いた体験記を読んだ人から、「私も体験したい」という問い合わせが頻繁に届くようになった。「一般の人は、死については考えたくもないのだ」と考えていたが、どうやらそうでもなさそうだと思うようになった。多くの声に押されるようにして浦上さんはファシリテータとしての準備を進め、自ら死の体験旅行を開催するようになる。

従来の死の体験旅行は、医療に従事する壮年から中年の女性を対象にしていた。それを性別年代関係なく受けられるワークショップにするため、3、4カ月かけて作り直していった。特にシナリオや音響、照明は独自に考え、一般の人が受けやすいように工夫をこらした。その後も医療の発展に合わせてストーリーに手を加えるなど、改良を重ねている。死の体験旅行は、募集するとすぐ満員になる人気となり、怪しげな利用をされないように商標登録もした。

・さまざまな悩みを抱えた人が受けに来る

参加者のひとりで神奈川県鎌倉市の会社員の中村悠志さん(43)は、2年前に死と直面するほどの大きな心臓の病気を患った。もう一度自身の「生と死」について深く考えてみたいというのが、参加した動機だという。中村さんは、その気持ちをこう語る。

「今をより良く生きるためには、死を考えることからは避けて通れないと思ったんです。人間いつか死にますし。だから、死ぬときに満足して死ぬ生き方をしたい、そのためにはどうやってより良く生きていったらいいのか、そんなことを考えるようになったんです」

20枚のうち、中村さんが最後に残したカードは「妻」だった。死の体験旅行に参加するひと月前に子供が生まれ、最後の2枚に「妻」と「子供」のカードが残ったという。カードを1枚ずつ手放していく中で、中村さん自身の感情や内面と向き合いながら残したのが「妻」だった。

中村さんはその理由をこう説明する。「普段はいるのが当たり前で、そこまで意識していなかったけれど、実はこんなに自分にとって大切な存在だったんだという気付きがありました。自分の人生の中から消えたら一番困る人だなと、やっぱり実感しましたね」

・僧侶として自死と向き合う

ワークショップの参加者のひとりが、後に掲示板にこんな書き込みをしたことがある。

「今まで死んでしまいたいと思いながら生活していたけれど、今日、死の体験旅行を受けて死ぬことが怖くなりました。もう一度命ある限り生きてみようと思うようになりました」

この参加者が、本当に命を絶つような行動に進んでいたかどうかはわからない。ただ、浦上さんは、死んでしまいたいと思っていた気持ちが180度変わったことが、すごくうれしかったという。

浦上さんは、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の共同代表も務めている。

「世の中にはさまざまな悩み、苦しみがある中でそれが一番底にたまっていくものが最終的に自死だと思っている」

厚生労働省によると、2021年の日本の自殺者は2万1,007人に及んだ。リーマン・ショック直後の2009年以降自殺者は減少傾向にあるが、ここ数年は2万人余りで足踏み状態が続く。その背後には経済的問題や家庭問題等、多様かつ複合的な原因により、多くの自殺未遂者がいることは見逃せない。

日本には僧侶の資格を持っている人が約30万人いるとされている。その役割について、浦上さんはこう考えている。

「それだけの数の僧侶が日本中にいるわけなので、ひとりのお坊さんが年に1回、本当に死にたいという人の話を聞く機会があったら、自殺者はゼロにはならなくても、かなりの変化が起きると思っています。仏教には『諸行無常(全てのものごとは、変化をし続ける)』という基本的な教えがあるので、死にたいほど苦しんでいる人の声に耳を傾けていれば、状況が変化するかもしれません。私は、その方の問題を解決することは多分できないと思っています。でも、誰にも相談できず悩み苦しみを抱えた人がいるならば、その方の話を傾聴することはできます。その方は、もしかしたら聞いてくれる人が現れるだけでも、ひとつ悩みが減るかもしれない」

・「悩みができたら、また寺に」

浦上さんは死の体験旅行を催すことで、普段は寺に来ないような年齢層の人たちと接し、多くのものを得ているという。「普段聞けないような心の奥底のことや死を考えることで気が付いたことなど、非常に突っ込んだ深い話を聞かせてもらえることで、私にとってかけがえのないものになっている。5年、10年後に何か悩みができたときに、またお寺に相談にしに来てくれたらうれしい。広い意味では仏教やお寺の世界に対して種まきをしているような感覚で、ずいぶん先に収穫される種をまいているような感じです」

実際、参加者から後に悩みごとの相談が寄せられることも多いという。

寺や僧侶が、悩みや苦しみを抱えた人のよりどころになること。それが死の体験旅行を通して浦上さんが目指していることだ。

クレジット

監督・撮影・編集・記事 荒井 秀之
プロデューサー 山本 あかり
アドバイザー 岸田 浩和

ドキュメンタリー映像作家

埼玉県出身。国士館大学、釜山東義大学。インドネシア、フィリピンでの日本語・介護教育を経て、2021年よりドキュメンタリー映像作家として活動中。