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郷ひろみさんと一緒に踊っていたブレイキンチーム 川崎市から世界へ ブレイキン界を牽引する石川勝之さん

Ash俳優・吟遊詩人(川崎市)

あけましておめでとうございます!

街の楽しい、新しいを切り取って言葉と音に乗せる琵琶弾き・俳優のAshです。

昨年は、川崎市のカンファレンスに出演させていただいたり、LINEのメディアが始まったり、ワクワクすることがたくさん起きました。

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さて、それでは今年も元気よくスタートしましょう♪

2024年一発目の記事はこちら!

B-BOY KATSU ONE (石川勝之)さん

昨日の、紅白歌合戦はみなさんご覧になりましたか?

川崎市民的ハイライトは68歳にしてキレキレのブレイクダンスを披露した郷ひろみさんの「2億4千万の瞳」でした。

なぜなら、郷さんがダンスをともに踊ったブレイキンチームが、川崎市にご縁のあるチームだから! 郷さんの隣で踊っていたのは、パリ五輪に出場の決まっている期待の星・Shigekixさんで、彼ら日本代表の選手団を支え、牽引するのは、武蔵小杉出身のKATSU ONE(カツワン)さんなんです。

地元にこんなにすごい人がいることを是非、Yahoo!ニュース読者の皆様にも知っていただきたく、以前に東急スクエアさんの媒体「この街大スキ武蔵小杉」で、書かせていただいた記事を、東急さんの許可を得て転載いたします。

ブレイキンのレジェンド B-BOY KATSU ONE(石川勝之)さん(元住吉のスタジオにて 撮影:岩田耕平)
ブレイキンのレジェンド B-BOY KATSU ONE(石川勝之)さん(元住吉のスタジオにて 撮影:岩田耕平)


2024年パリ大会でオリンピックの正式種目となったブレイクダンス(ブレイキン)。
黎明期から第一線のダンサーとしてその発展に貢献し、今や日本の若手を牽引する「レジェンド」となったB-BOY KATSU ONE(カツワン)こと石川勝之さんは武蔵小杉の出身。川崎・溝の口がブレイキンの「聖地」として知られるのは、彼をはじめ多くのブレイクダンサーが、まだ認知の浅いこのダンスのクールさに目覚め、練習場所を求めて閉店後の溝の口の商業施設のウインドーを鏡代わりに踊っていたことに端を発している。

「それは、僕であり、あなたであり、私です」

ブレイクダンスとは何か、という問いに、KATSUはそう答えた。

長身細身、理知的な匂いさいえ漂わせ、その瞳はとてもスマートに光る。ダンスのジャンルの話をするならばそれは「ヒップホップ」というジャンルに属する。だが、フォーマットとしては「格闘」であり、明確に勝ち負けを競う

ストリートスポーツが全般的にそうであるように、それは「遊び」の延長でもある。子どもたちが遊びながら何かを学んでいくように、ストリートで躍動する身体は楽しみの中で、いつの間にか自身の輪郭を形作る。

「子どもの頃は、冒険ばっかしてましたよ、友達とチャリで東京タワーまで行ったり、多摩川を遡ってどこまでも行けるか試したり」

悪戯っぽく笑ってKATSUは答える。小学、中学校時代も、武蔵小杉で過ごした。今は生活の大半が海外との行ったり来たりの日々だが、帰ってきて小杉の風景を見るとホッとする。

最近の街の発展ぶりについては、「なくなってしまうものに関してはちょっとさみしく感じる時もある。でも、誇らしいと思うことも多いです。すごいだろ、この街、楽しいでしょ?って」「平和公園、小杉ホルモン、今井湯、あの辺りはぜんぶテリトリーです」と、地元への愛着を滲ませる。

身体を動かすことは昔から好きで、高校まではバレーボールを真剣にやっていた。親が教員だったこともあり、体育教師になろうと日体大に進む。けれども、大学1年の夏に全てが変わった。

昔テレビで見て憧れたダンス甲子園に影響を受け、気晴らしのようにやっていたダンスの世界が広がり、のめり込んだ。貪欲に踊れる場所を探すうちに大学だけでなく、あらゆる所で仲間を見つけた。

溝の口も、通学途中に見つけて入り込んだそんな場所の一つだった。出会った先輩の一人が、夏休みにロスの大会に出ると聞いて、同道することに。そこで、全てが変わった。

「見るもの全てが衝撃的でした。それこそ空港に降り立った時の匂い、空の色。あれだけたくさんの人種がいるってことにも。大会の会場では、ブラウン管でしか見たことがない技をやっている奴を目の当たりにして、ああ、本当にこんな動きができるんだって」

ロサンゼルスで
ロサンゼルスで

大会の会場では、本選以外にもそこらじゅうで小さなダンスバトルの輪ができていた。中で踊っているのはいわゆる「上手い奴」ばかりではない。下手であろうが遠慮せず、輪に飛び入って踊る。誰もがそれを認めて、尊重する。

KATSUは矢も盾もたまらず、知り合ったばかりの「友人」とオープンエントリーの競技に参戦した。注目、歓声、身体と身体が対話する感覚。遠いもののように憧れていた舞台に立っているという実感があった。

世界の中のB-BOY

魔法にかかったような無敵感、とKATSUはその状態を表現した。海外にいる時の自分の状態だ。

アメリカでは色々な人と出会ったが、みんなB-BOYだというだけですぐに打ち解け、友達になった。どこに行っても、誰と会っても、踊っているというその一点において認め合い、道が開けた

その状態が忘れられない、その「無敵」の期間を少しでも長くするために、KATSUは大学の休みを全て海外で過ごすことにした。アメリカで軽く挨拶をした程度だった相手を頼り、オーストラリアへ。この地はその後、KATSUにとって第二の故郷と親しむ場所になる。

シドニーの空の青さに驚いた
シドニーの空の青さに驚いた

空港に着いた時に、シドニーの空の色に驚いた。LAともちがう青色の澄んだ空。ケバブ店で注文する時に、英語をもっと話したいという渇望が湧いた。

3週間、毎日が新しい出会いばかり。誰もみな、B-BOYだとわかると、Sureと肩を叩き、家に泊めてくれる、練習場所に行けばすぐに友達ができる。この人たちにまた会いたい、恩返しをしたい、そんな思いで休みのたびにKATSUはオーストラリアに通った。

4年めにはオーストラリアを放浪した。大陸はでかい、当然資金は尽きる。賞金が出る大会があるよ、と聞いてウェリントンに向かう。そして、その国際的な大会で見事優勝する。オークランドでのX-Gameにも勝ち、B-BOY KATSUの名前はまさしく、世界に躍り出た。もう勢いは止まらなかった。

「大学4年だし、日本では就職が決まってるやつばっかりだった。教職の免許は取ったけど、学校の先生っていうのは、社会をほとんど経験しないでやれるもんなのか、という疑問も持った。夢を追ったこともないやつが、生徒に夢を持ちなさいとか言えるんだろうか。アメリカも、オーストラリアも、行ってみたら自分の想像とは全然違った」

自分は、自分の実体験からしか語れない、と思った。まだまだ世界を見てみたい。親に頼み込んで1年の猶予をもらった。バイトをして、お金をためて韓国、ベトナムなどのアジア圏やヨーロッパにも行った。ダンスがどこにでも連れて行ってくれる。

あまりいいイメージがなかった国も、行ってみてその国の人が好きになると一気に心が近づく。まだこの頃はB-BOYのコミュニティが小さかったこともあり、どこの国に行っても、ダンスの現場にいれば世界中がつながっていた。

道なき道−ブレイキンのプロフェッショナルへ

「プロ」になりたいと思ったきっかけは、日本に戻っていた時だ。世界選抜のメンバーだったKATSUがその称号であるメダルを身につけて、バイトのカウンターに立っていたのを、あるラッパーが見て驚き「あのチームの人がなんでバイトなんかしてるんだ」と言った。

どこかでストッパーが外れた。日本にブレイキンの「プロ」などというものがあるわけもない、ダンスでどこまで行けるのかわからない、だけど行くところまで行ってみよう、と舵を切る。

B-BOY KATSU ONE  (元住吉のスタジオにて 撮影:岩田耕平)
B-BOY KATSU ONE  (元住吉のスタジオにて 撮影:岩田耕平)

ミュージックビデオへの出演はそれなりのお金になった。アーティストのバックダンサー、ダンス教室の主催、なんでもやったが、どれもピンとこない。もともと人に教えることは好きだったが、やる気のある生徒はタダでも教えてやりたい。お金を稼ぐからプロなんじゃない、もっとこの世界を開拓しなければ。これがあるから今の自分がある、と言えるだけのこのカルチャーを、他の人にも伝えらるだけの土壌を。

日本人はかっこいいものが好きだ。きっちりしている。海外に誇れるさまざまな美徳がある。それなのに奥ゆかしい。海外に出て、その魅力がはっきりとわかった。そんな日本に生まれ、世界とコネクションしてやってきた自分にしか開けないものがきっとあるはず… まだその形ははっきりと像を結ばなかったが、手を伸ばしそれをつかもうともがいた。いちアジア人として西洋文化に飲み込まれ、ダンスを含めて全てをゼロに戻すチャレンジもした。

オリンピック、そして…

結局、ゼロには戻せなかった。突然行方を晦ましたB-BOY KATSUを探し求める人は多かった。KATSUはもう、輪の中心で踊るダンサーではなく、その輪を生み出す側として世界から必要とされ、彼のあとを追う若手から目標にされる存在だった。

日本に戻ってきたKATSUは、長く考えていた構想を実現するために会社を設立する。自分が本当に伝えたかったのは踊りの技術ではない。なぜ踊るのか、本当に大切にしたいものは何なのか。

そこには「コミュニティ」がいつでもあった。そのコミュニティを育てるための会社を。33歳、踊り続けてきたKATSUの一つのメタモルフォーゼだった。そして、その挑戦はYOUTUBEやインスタグラムの追い風を受けて、花開いた。

コミュニティを育てる
コミュニティを育てる

「まさか、オリンピックとは思わなかった」

自らが突き進んできた道の先に、突然現れたビッグイベントについてKATSUは素直に述懐する。日本ダンススポーツ連盟の理事となり、オリンピックに向けて、大会運営の組織づくりや、協賛集めにも奔走する。新しく加わる競技なので、ルールの策定や審査項目などにもKATSUのアドバイスが必要とされる。想像するだけでも大変そうだが、KATSUの目は未来を見据えて輝く。

B-BOY KATSU ONE  (元住吉のスタジオにて 撮影:岩田耕平)
B-BOY KATSU ONE  (元住吉のスタジオにて 撮影:岩田耕平)

「パリだけじゃなくて、今後もオリンピックの種目として定着していくように、ロスへも動き始めている。定期的に世界大会があるっていうのは、競技の発展にとってはとても意義があること。2028年からの国体にはダンススポーツが採択されることが決まったので、国内の若手選手たちが目標を得て勢いづくと思う。」

ロサンゼルスの先には、KATSUのブレイキン人生を方向付けたあのオーストラリアでの五輪が待ち受ける。その大舞台でブレイクダンサーたちが技を競い合える日がくるかどうか、今は小さいB-BOY、B-GIRLたちの将来も、KATSUの双肩にかかってくる。

40回目の夏に

何度夏がめぐっても、B-BOY KATSUの笑顔は変わらない
何度夏がめぐっても、B-BOY KATSUの笑顔は変わらない

KATSUの人生で40回目の夏がやってくる。「夏は短い、そして、あと限られた数しかやってこない。ネガティブなことを考えている暇はない、やりたいことを全部やりたい」そう言うKATSUの眼差しは、自転車で多摩川をどこまでも遡った少年の頃のものとおそらく変わらない。

やりたいことはいっぱいある。今までの恩返し、貧困地域の子どもたちに学校をつくること、キッズが交流できるコミュニティづくり、教員だってまだやっていないことのひとつだ。すべてやり遂げて最後に、自分のやってきたことを本にまとめて、客観的に自分の人生を振り返るのが夢だ。

後輩たちからは常に「他にないスタイル」と称賛されてきたKATSU。どんな動きもブレイキンのインスピレーションになる、飛行機を見上げても、煎餅を食べていても。カッコいいと思ったものを自分流にアレンジして、世界をあっと言わせるオリジナリティを生み出した。見るもの、聞くものが全てダンスになった。

誰かがいて、お前のそれイイね、それカッコいいね、と言えば、それがまた新たな動きになる。ブレイキンはコミュニティ、それが一貫してKATSUのスタイルだ。

だから冒頭の問いの答えになる。ブレイキンは僕がいて、あなたがいて、そして私がいるから存在する。もう一度言う、ブレイキンはコミュニティだ。僕であり、あなたであり、わたしたちだ。

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(2022年10月 この街大好スキ武蔵小杉「コスギーズ!」掲載記事の原稿より再編)

いかがだったでしょうか。

一年ちょっとの間に、変わったこともありますが(小杉ホルモンが閉店してしまったり、ブレイキンがロス五輪の追加競技提案から外れてしまったり)…

郷ひろみさんの後ろで踊るKatsuさんの笑顔にはまったく変わりがありませんでした。常に前を向いて光る瞳が、最高にかっこいい。

パリ五輪は今年の7月26日から8月11日まで。日本のブレイキンチームの活躍が、今から楽しみです!!

ブレイキンの健闘をいのりつつ、わたしたちも挑戦、上昇の年にいたしましょう!今年もどうぞよろしくおねがいいたします!

俳優・吟遊詩人(川崎市)

琵琶を弾き歌う俳優です。世界80都市を旅した結果、日本文化を愛しています。旅と出会いと美味しいお酒がインスピレーションの源。MCアマビエちゃんはアマエビちゃんにメタモルフォーゼ。フラットで差別のない目線で記事をお届けしたいと思っています。Stay tuned!

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