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【宝塚市】ドラマが詰まったあじさいロード

ぶらっと地域情報発信ライター(宝塚市)

阪急宝塚線・山本駅からバスで約5分の山手台にある『あじさいロード』は、公道でありながら毎年見事なあじさいを楽しめます。花の美しさに誘われて訪ねたら、そこには多くのドラマがありました。

『緑の指』を持つ人がいる

宝塚市立山手台中学校の南側から中筋山手を結ぶ歩道は、近隣の人から『あじさいロード』の名前で親しまれています。山手台は山を切り開いてつくられ、その歴史は25年ほどと比較的若いコミュニティです。公道に咲くあじさいというのに惹かれ、さっそく訪ねることに。

宝塚山手台二丁目のバス停を降り、そこで偶然出会った地元の方に案内していただきました。バス停から3分ほど住宅街を歩けば、車止めの向こうに山を下る坂道が見えてきます。

どこまでも続くあじさい
どこまでも続くあじさい

なかなかの勾配です
なかなかの勾配です

舗装されているとは言え、けっこうな急坂です。曲がりくねった道を下りながら撮影していきます。どこまで行ってもあじさいで圧倒されます。背後に広がる緑もみずみずしく、とても綺麗。

6月10日撮影
6月10日撮影

150メートルほど下ったところで引き返すのが大変(もはや登山なので)と判断し、中筋山手までは通り抜けずに、あじさいが途切れたところで戻りました。

のぼるのに気合がいります
のぼるのに気合がいります

それにしても、明らかに丹精されているあじさいたち。植物園でも公園でもない公道に何故これほど多くのあじさいが咲いているのでしょう。

もともとは水道局の点検道だった

後日、この道を管理されている方にお会いすることができました。お話しを聞かせて下さったのは、山本山手地区まちづくり協議会(通称・山本山手コミュニティ)の西原辰雄さんと奥野廣明さんです。
山手台が開発中であった当時、この道は水道局の点検道として使用されていました。現在のように整備されてはいなかったものの、平成6年(1994年)頃は一般の方も通行できたとか。やがてプライバシー等の観点から、近隣住民の要望に応えるかたちで柵が作られて通行ができなくなりました。その結果、中筋山手方面から通う山手台中学校の生徒たちは、大きく迂回して通学せざるを得なくなることに。
毎日のことなので負担が大きかったのでしょう。自力で道を切り開く強者が現れました。それは川沿いに山を突っ切るという危険なルート。やがて日常的に使われるうちにいわゆる獣道となったそのルートを、一般の方も利用するようになりました。雨の日など特に危険なため、心配する近隣の皆さまから、公道としてあじさいロードの開通が望まれるようになります。

公道として開通するまで約10年

あじさいロード整備推進協議会が平成22年(2010年)から2度にわたって市に要望書を提出したのを皮切りに、複数の団体と協力して様々な検討が行われたものの、暗い山道を通ることへの反対意見もあったりして、当初はなかなか進展しませんでした。それでも、生徒たちに安全に通学してもらいたいと手弁当で奔走された地域住民の方や、山手台中学校の校長先生、市会議員など多くの方の地道な努力によって少しずつ進展し、イベントやアンケート調査、試験通行等を経て外灯設置などの整備工事が施行され、要望が出てから約10年後、平成28年(2016年)4月にようやく一般道として開通の運びとなりました。

あじさいのはじまりは、たった1人のボランティア

お話しを伺うなかで、一貫して「あじさいロード」と呼ばれているのが不思議でした。どうやら公道として利用される前からあじさいは咲いていたようです。そのきっかけを尋ねたところ、はじまりは近隣に畑を持つ1人の男性でした。畑仕事のかたわら、少しずつあじさいを植えていかれたそうです。『やまもとやまてコミュニティだより』2023年7月号によると、その方は毎朝掃除や手入れをされ、いま見られるあじさいはすべて1本の苗から挿し木で増やされたんだとか。
ここではあじさい以外にも、春には桜が楽しめますが、こちらの手入れは「櫻守の会」さんによるやはりボランティアです。開通前は木が繁って暗かった道が明るくなったのは、桜の保全のために櫻守の会さんが桜の周りの木を伐採してくれたから。『あじさいロード』は自然や地域を守りたいと願う人たちの無償の志で成り立っているのです

保全のむずかしさ

現在の『あじさいロード』は、山本山手コミュニティの環境美化部さんが中心となって、年3回の清掃活動を行っています。市道ではないため、市のアドプト制度で援助を受けつつも、その活動はやはり地域の方のボランティア。はじまりは通学路であったことを伝えていきたいと、山手台中学校の生徒さんにも参加していただいています。実は入り口の目印となっている看板は、山手台中学校の美術部が制作したもの。本当は山をくだったところにもう一枚あったのですが、老朽化のため撤去され、現在あたらしい看板を制作中です。

入り口はこの看板が目印
入り口はこの看板が目印

開通から約8年、部員の高齢化が進んで活動を続けることがむずかしくなってきた、と環境美化部・部長の西原さんは言います。昔に比べて共働き家庭が増え、働き盛りの人が地域の活動に参加しづらくなっていることも影響しています。あじさいロードに限らず、公園などの清掃活動も比較的時間の融通が利く高齢者の方に委ねられているのが現状です。
「上から順番に清掃していって、終わってから坂をのぼるのがひと苦労です」という奥野さんの表情は、言葉とは裏腹にとてもほがらか。また今回の取材のためにと、事前に開発の経緯の資料や写真をたくさん用意して下さって、『あじさいロード』に愛着を持ち、大切にしていらっしゃる気持ちが伝わってきました。その思いは「からだが動くうちは清掃を続けます」とおっしゃる西原さんも同じです。

自分たちができること

地域の暮らしを良くしつつ、開通に尽力して下さった人たちの思いを伝えたいという善意によって支えられているあじさいロード。緑の指を持つ人はひとりではなく、ボランティア精神に溢れたたくさんの方たちでした。地道で根気のいる作業を長年続ける努力には頭が下がります。まちづくりに終わりはなく、皆さんの奮闘はこの先も続いていきます。ひとごとで終わらせるのではなく、私自身も自分のコミュニティで、少しでもそうした活動に参加していかねばと思う取材でした。

あじさいの季節は終わってしまいましたが、冬には水仙、そして春には桜が楽しめるそう。ぜひまたその季節に訪ねてみたいと思います。

あじさいロード
兵庫県宝塚市山手台西1丁目4-1付近(今回の取材場所です)
■清掃ほか活動報告
宝塚市山本山手地区まちづくり協議会山本山手コミュニティ・環境美化部
(電話、メールでのお問い合わせはご遠慮ください。)

地域情報発信ライター(宝塚市)

カフェ、庭園、美術館、ときどき神社。新しい出会いを求めて、カメラ片手に足の向くまま、気の向くまま。歴史のあるまち、宝塚の「いま」をお届けします。

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