Yahoo!ニュース

「君に子どもはできない」20歳でがんを患い絶望 寛解した男性が取り組む「がん教育」

藤原淳映像クリエイター

ソーシャルワーカーとして岐阜県の病院で患者の退院支援などをしている廣田圭さん(40)は20歳の時、思いもよらぬ健康診断結果を知らされた。「精巣にがんの腫瘍があって、肺にまで転移している。将来、君に子供はできない」。突然の宣告に目の前が真っ暗になり、人生に絶望した。それでも5度の手術やつらい抗がん剤治療に耐え抜き、10年かけてようやく寛解にこぎ着けた。その後結婚し、理解のある伴侶にも恵まれた。その廣田さんがいま、身を削ってまで取り組んでいるのが、学校での「がん教育」だ。講師として自分の経験を伝えることで、子どもたちの助けになりたい――。そんながんサバイバーが手探りで進める教育の現場を見た。

◾20歳でがん宣告 絶望の記憶
2022年11月。三重県津市の西郊中学校の体育館で、廣田圭さんは約100人の3年生に熱弁をふるっていた。「20歳といえば大学の2年生。大学に慣れてきて楽しい時期だったのが、学校の健康診断でがんを宣告されて状況が一変しました。目の前が真っ暗になって、絶望しました」

廣田さんは生徒たちに、闘病し始めた頃の苦い思い出を語った。当時つきあっていた女性につらい気持ちを吐き出していたのに、それが突然、できなくなったという。「恋愛映画では、難病に侵された主人公が、恋人に支えられて永遠の愛を誓うといったストーリーが定番だと思います。僕もそれを期待していたんですが、悲しいことに彼女にフラれてしまって。いま思うと、若い女の子にとっては重過ぎる話で、それに耐えられないのも当然ですよね」

◾2人に1人ががんに 「がん教育」の意義
がんは、いまや日本人の2人にひとりがかかる病気になった。これを受け政府は「健康に関する国民の基礎教養」(文部科学省の検討会)として、その教育に力を入れ始めた。2016年12月にがん対策基本法が改正され、2022年度までに小、中、高校で順次「がん教育」が始まることになった。学校の授業でがんについて学ぶことで、予防や早期発見の大切さを知り、患者とともに生きていく社会をめざす態度を育てる狙いがある。

疾病としてのがんの基礎知識は保健の授業で教えられる。一方、患者らの体験談などの内容は廣田さんのような外部講師に任されている。廣田さんは「がんになってもこうして生きている姿を伝えることで、将来自分と同じような境遇に遭った子供たちの心を軽くすることができるかもしれない」との思いで外部講師を引き受けた。年に3、4回程度、小、中学校で闘病体験を話している。学校や教育委員会からは「廣田さんの体験談を聞いて、生徒の中には『自分自身や身近な人が、がんになったらどうしよう』と思う子供たちも多い。そういう点で廣田さんの授業は貴重だ」と期待する。

三重県には、がんの体験談を伝える外部講師が7人いる。コロナ禍前は年間15校ほどの依頼があったため、講師の数はギリギリだったという。県がん相談支援センターが講師と学校をつないでいるほか、がん患者の支援活動を行なっている。その一環として、がん患者やその家族に向けて日曜日に開いているのが「おしゃべりサロン」だ。経験者が闘病体験を伝えることで、治療中の患者の不安を和らげるねらいがある。そうした活動の中で、学校で授業をする適性がある人が選ばれ、講師となる。廣田さんも闘病中にそうした支援を受ける中で「がんになっても前向きに生きている方がいて驚き、徐々に自分も光を照らす側になりたい」と思うようになり、講師になったという。

それから8年ほどたつが、困難に直面することもいまだに多い。数学や英語などと違い、始まったばかりのがん教育には授業の内容や進め方の蓄積がない。講師間の横のつながりもなく、どういった授業が生徒にとって効果的なのか、日々頭を悩ませているという。

また、外部講師に支払われるのは往復の交通費のみ。遠方の学校で授業する際の前泊の費用は自腹を切っている。「お金のためにがん教育をしている訳ではないから構わない」と廣田さんは言うが、こうした手当を含め、教育内容を充実させるためのサポート体制をつくっていくことが、講師の担い手を確保する上で欠かせない。

◾壮絶ながん体験談も「眠くなってしまう」
西郊中学校での授業を終えた廣田さんのもとに、生徒たちの感想が送られてきた。「がんを患った人が生きていて元気に過ごしているのを初めて見た」、「早期発見のために自分もがん検診を受けようと思った」など、「ためになった」という声が多かった。ただ、廣田さんは、生徒たちが本当にそう感じてくれたのかどうか気になっている。というのも、授業中に目をつぶり、頭を揺らしている生徒が散見されるからだ。ある生徒は「頭が揺れてましたね」と居眠りしていたことを認めながら「もっと参加型の授業がいい。こっちに問いかけが欲しい」と話す。

もちろん、廣田さんも生徒のそうした声はわかっている。がんの知識をクイズ形式で生徒たちに聞いてみるなど、生徒たちを飽きさせない工夫をしたこともある。どうすれば自分の伝えたいメッセージが生徒に効果的に伝わるのか。手探りの日々が続いている。

◾「かわいそう」と思われたくない つらさ話せぬ日々
廣田さんが平日の授業のために休暇をとったり、貴重な休みをつぶしたりしてまでがん教育に情熱を注ぐのには、深い訳がある。

がんが発覚したのは大学2年の時。医師から宣告されたとき、見慣れた日常が当たり前のもではないと感じ、この世界から自分だけが切り取られたような孤独感を味わったという。それから5回の手術を経験した。抗がん剤治療も受けていたが、毎月の検診で回復が見られないと、「またあのきつい治療が続く」と絶望的になったという。

「がんの治療はマラソンみたいと言う人もいますが、それは違うと思っています。なぜなら、マラソンはきつくてもゴールがどの辺にあるかが分かる。でも、がん治療はゴールが見えないんです」

ただ、そうしたつらい手術や治療より、もっと嫌だったことがある。「とにかく、自分のことを『かわいそう』とだけは思ってほしくなかった。だから、本当に親しい友人以外には、自分ががんになったことは言わなかった」。母親の美和さんは「『なんでこんな体に産んだんや』みたいなことは言わなかった」と振り返るが、廣田さんは「誰にもこのつらい気持ちを言えないこともつらかった」という。

そんな廣田さんが治療に対して前向きになれたのは、やはりがん治療中だった同年代の若者との出会いがきっかけだった。「こんな思いをしているのは自分だけじゃない」。こう気づいたことで心が軽くなったという廣田さんは、家族や友人の支えを受けながら10年という長い年月をかけて寛解にいたった。こうした経験が、廣田さんががん教育に情熱を注ぐ原点になっている。

◾がん乗り越え子どもも 家族というギフト
12月、津市の久居中学校を訪れた廣田さんは、2年生の生徒に前回の授業よりも明るい声で授業を進めていった。クイズ形式で生徒たちを引きつけた後、意外なことを口にした。

「がんになって、嫌なことばかりじゃなかった。実は治療が落ち着いた頃、彼女ができたんです。でも僕は『子供はできないだろう』と言われたので、結婚するのをためらっていました。ただ、彼女は結婚を前向きに考えてくれて、ご両親に会うところまでたどり着けました。きついことを言われるかなと思っていたら、『娘が結婚を決めた人なんだったら、子供のことは気にしなくてもいい』と言ってくださって、無事結婚ができました」

闘病当初に失った「永遠の愛」を手に入れただけではない。治療をしている中で生殖能力が戻り、2人の子供を授かったことも明かした。新しい家族というギフト。それを得た喜びを胸に、廣田さんは涙ながらに生徒たちにこう訴えた。

「がんになり、それを乗り終えて奥さんと子供ができた。良いことも悪いことも、思いがけずやってくる。それが生きるということだと思います」

クレジット

監督・撮影・編集:藤原淳
プロデューサー :前夷里枝
記事監修    :国分高史・中原望

映像クリエイター

1984年、島根県出雲市出身。英語教師を務めた後、映像作家の道へ。以来ドキュメンタリーやプロモーションムービーなどの映像作品を制作。

藤原淳の最近の記事