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【なぜゴジラはアメリカで最強の怪獣となった?】日本怪獣総進撃!ハワイで唯一無二の怪獣の聖地ってどこ?

二重作昌満博士(文学)/PhD(literature)

みなさま、こんにちは!文学博士の二重作昌満(ふたえさく まさみつ)です。

あっという間に2月も半ばに近づきつつありますが、皆さまいかがお過ごしですか?

さて、今回のテーマは「日本の怪獣」です。

最近では、東宝映画『ゴジラ ー1.0(マイナスワン)』の大ヒットが記憶に新しい「日本の怪獣」ですが・・・。

2023年11月3日に全国公開された東宝怪獣映画『ゴジラ ー1.0(マイナスワン)』。日本アカデミー賞で最多12部門を受賞した本作は、公開から現在にかけて数多くのゴジラ関連商品が発売されている。
2023年11月3日に全国公開された東宝怪獣映画『ゴジラ ー1.0(マイナスワン)』。日本アカデミー賞で最多12部門を受賞した本作は、公開から現在にかけて数多くのゴジラ関連商品が発売されている。

「そもそも怪獣ってなんだっけ?」という疑問をお持ちの方も多いかと思いますので、改めてその言葉の意味を辿ってみると・・・

怪獣とは「あやしいけもの。正体不明の不思議な獣。映画・漫画などで恐竜をもとに創作した、特別な力を持つ生き物」(広辞苑)と記載されています。

(余談ですが、私も子どもの頃から怪獣が大好きだったので、よく小学校や中学校の授業で使う国語辞書で「怪獣」という言葉の意味を調べていたものです。)

日本は世界一の怪獣量産国。ゴジラもガメラも国際認知度が高い大スター怪獣であり、半世紀以上の長い歴史を有している。彼らは各時代に幾度となく銀幕に登場し、観客に恐怖と圧倒的な強さを見せつけてきた。
日本は世界一の怪獣量産国。ゴジラもガメラも国際認知度が高い大スター怪獣であり、半世紀以上の長い歴史を有している。彼らは各時代に幾度となく銀幕に登場し、観客に恐怖と圧倒的な強さを見せつけてきた。

その代表格であるのが、私達日本人にとって馴染み深い「ゴジラ」や「ガメラ」といった、大きな恐竜や亀をはじめとする個性豊かな映画の怪獣達。

さらに日本では、「ウルトラマン」シリーズをはじめとするテレビ番組においても毎週新しい怪獣達が登場し、新怪獣が出てきたその日には、おもちゃ屋さんに行けばもうソフトビニール人形が並んでいる!という光景も珍しくはありません。

円谷プロ制作の『ウルトラマン(1966)』シリーズの怪獣達は登場から約60年経過した現在も高く支持されている。特にシリーズ第3作『ウルトラセブン(1967)』の怪獣達は、今日も玩具売り場で現役である。
円谷プロ制作の『ウルトラマン(1966)』シリーズの怪獣達は登場から約60年経過した現在も高く支持されている。特にシリーズ第3作『ウルトラセブン(1967)』の怪獣達は、今日も玩具売り場で現役である。

上述してきたような「怪獣」を巡るおもちゃ屋さんの光景・・・私達日本人から見れば当たり前でも、外国の方々の目線から見れば、実に稀少な光景ではあります。

この背景には、「30分編成の子ども向け番組が、毎週同じ時間に欠かさず放送される」という日本の放送事情や、コンパクトな島国である土地柄を生かした、既定の日付を視野とした商品販売ルートが確保されている等、様々な要因が挙げられます。(※特にアメリカは国土が非常に広いため、商品がお店に並ぶ日が州によってバラバラであり、全国統一された発売日という概念が薄いのです。)

沖縄県の首里城では、ウルトラマンシリーズの1作品である『ウルトラマンジード(2017)』のロケも行なわれた。写真のペガは『ウルトラセブン』のペガッサ星人の少年(当写真は正殿消失後の2022年撮影)。
沖縄県の首里城では、ウルトラマンシリーズの1作品である『ウルトラマンジード(2017)』のロケも行なわれた。写真のペガは『ウルトラセブン』のペガッサ星人の少年(当写真は正殿消失後の2022年撮影)。

私も幼少期よりハワイで頻繁にロングステイをしたり、米国本土にも研修やプライベートを通じてよく訪れていたのですが、現地で日本の怪獣映画や特撮ヒーロー番組がどのように浸透しているのかを、直接肌で感じる機会も多々ありました。

米国・フロリダ州「ウォルト・ディズニー・ワールドリゾート」の1テーマパーク「エプコットセンター」内の日本館にて販売されていたゴジラシリーズのフィギュア(2012年筆者撮影)。
米国・フロリダ州「ウォルト・ディズニー・ワールドリゾート」の1テーマパーク「エプコットセンター」内の日本館にて販売されていたゴジラシリーズのフィギュア(2012年筆者撮影)。

米国・ハワイ州オアフ島内「ポリネシア・カルチャー・センター」内にて、円谷プロ・ハワイ州観光局提携企画「ウルトラハワイ」開催中に設置されたウルトラマンゼロの立像(2014年筆者撮影)。
米国・ハワイ州オアフ島内「ポリネシア・カルチャー・センター」内にて、円谷プロ・ハワイ州観光局提携企画「ウルトラハワイ」開催中に設置されたウルトラマンゼロの立像(2014年筆者撮影)。

そこで今回は、ゴジラやガメラといった日本の怪獣達が、どのような経緯で日本からアメリカへと根強く浸透していったのかを概説した上で、現在『ゴジラ ー1.0(マイナスワン)』が公開中のハワイにおける、私の映画館での現地体験記を少しだけお話していきたいと思います。

ゴジラは国内外の企業ともタイアップし、イメージキャラクターとしても多種多様な活躍を見せた。昨今では日本においてマクドナルドとタイアップし、3種のゴジラバーガーやベアブリック(人形)が発売された。
ゴジラは国内外の企業ともタイアップし、イメージキャラクターとしても多種多様な活躍を見せた。昨今では日本においてマクドナルドとタイアップし、3種のゴジラバーガーやベアブリック(人形)が発売された。

※本記事は「私、怪獣ものにくわしくないわ」という皆様にも気軽に読んで頂けますよう、概要的にお話をして参ります。お好きなものを片手に、ゆっくり本記事をお楽しみ頂けますと幸いです。

☆ゴジラとガメラってどんな怪獣?日本の怪獣達が銀幕のスターとして輝くまで☆

お話の本題に入る前に、我が国を代表する怪獣であるゴジラやガメラが生まれた時代についてお話をしたいと思います。

ゴジラは、1954年公開の東宝製作の怪獣映画『ゴジラ』にて銀幕に初登場しました。本作は、ビキニ環礁の水爆実験によって眠っていた生物が怪獣となり、東京を破壊する内容であると共に、核実験に対する警鐘や平和への祈り等、戦後の日本を想起するメッセージ性が強かったのも特徴でした。

水爆大怪獣映画として公開された『ゴジラ(1954)』は、怪獣ゴジラ(左)が東京を破壊する。右のゴジラは着ぐるみ造型以前に検討された雛形デザイン。当デザインから試行錯誤を経て、左の姿へと行き着いた。
水爆大怪獣映画として公開された『ゴジラ(1954)』は、怪獣ゴジラ(左)が東京を破壊する。右のゴジラは着ぐるみ造型以前に検討された雛形デザイン。当デザインから試行錯誤を経て、左の姿へと行き着いた。

映画「ゴジラ(1954)」は観客動員数960万人の大ヒット。1作目の好評を得て、次回作『ゴジラの逆襲(1955)』や、米国のスター怪獣・キングコングとゴジラを戦わせた『キングコング対ゴジラ(1962)』等、ゴジラを主役とした続編が次々と製作されるようになりました。

ゴジラシリーズは1954年の第1作公開以降、度々休眠期を経ながらも復活を繰り返しており、2016年には庵野秀明氏が総監督を務めた『シン・ゴジラ』が公開された。本作も複数種の玩具が発売されている。
ゴジラシリーズは1954年の第1作公開以降、度々休眠期を経ながらも復活を繰り返しており、2016年には庵野秀明氏が総監督を務めた『シン・ゴジラ』が公開された。本作も複数種の玩具が発売されている。

さらに、東宝はゴジラ以外の怪獣映画の製作にも着手し、『空の大怪獣ラドン(1956)』や『モスラ(1961)』等、現在も知られる怪獣達もゴジラのヒットを受け続々と誕生しました。

『空の大怪獣ラドン(1956)』にてデビューしたラドンはその後、ゴジラシリーズの世界に合流して度々ゴジラと対決している。写真のファイヤーラドンは、東京ディズニーランドの上空飛行を行なった希有な存在。
『空の大怪獣ラドン(1956)』にてデビューしたラドンはその後、ゴジラシリーズの世界に合流して度々ゴジラと対決している。写真のファイヤーラドンは、東京ディズニーランドの上空飛行を行なった希有な存在。

このように、東宝生まれの怪獣達は映画を通じて大衆的な人気を誇るようになり、1964年(東京オリンピック開催年)にはゴジラ、モスラ、ラドンが団結して、新たなスター怪獣・キングギドラを迎え撃つ『三大怪獣 地球最大の決戦』が公開されました。本作の公開によって、これまでバラバラだった東宝の怪獣達の世界が、1つの世界に統合されるようになり、以降のゴジラ映画でもモスラやラドン達が頻繁に登場するようになりました。

※例えば、ミッキーマウスやドナルドダックは、元々は関係性のない個々のディズニー映画出身のキャラクターでしたが、ミッキーマウスの映画にドナルドダックが出演したことに伴い(1934年公開、『ミッキーの芝居見物』)、ドナルドはミッキーの世界の一員として観客に認知され、以降はミッキーの友人として彼の映画に登場するようになりました。これに似た事例が、東宝の怪獣映画にも起きていたのです。

2024年で誕生70周年を迎えた『ゴジラ(1954)』シリーズは、多種多様な怪獣達を抱える長寿シリーズとして現在まで至っている。今や日本を象徴する文化の一つとして、世界中で熱狂的な支持を得ている。
2024年で誕生70周年を迎えた『ゴジラ(1954)』シリーズは、多種多様な怪獣達を抱える長寿シリーズとして現在まで至っている。今や日本を象徴する文化の一つとして、世界中で熱狂的な支持を得ている。

そんな東宝の怪獣映画の台頭を受け、他の映画会社も「我々も怪獣映画をつくろう!」と、次々に怪獣映画の製作に着手するようになります。そんな時代の中で生まれたのが、ワニガメをモチーフにした怪獣ガメラでした。ガメラは、1965年に大映製作の怪獣映画『大怪獣ガメラ』にて銀幕デビューを果たし、核兵器を積んだ機体が北極の氷山に落下したことで伝説の怪獣・ガメラが目覚め、東京を破壊する内容で公開されました。

『大怪獣ガメラ(1965)』にて銀幕デビューを果たした大怪獣ガメラ(写真中央左)は、恐ろしい形相である反面「子どもの味方」という設定が導入され、後もギャオスやジャイガーといったライバル怪獣達と戦った。
『大怪獣ガメラ(1965)』にて銀幕デビューを果たした大怪獣ガメラ(写真中央左)は、恐ろしい形相である反面「子どもの味方」という設定が導入され、後もギャオスやジャイガーといったライバル怪獣達と戦った。

核兵器で目覚めた点や東京を破壊した点はゴジラと同じですが、ゴジラと大きく違うのはそのキャラクター性にありました。ガメラには、怖い外見とは裏腹に「子どもの味方」という設定が与えられ、その後は彼を称える主題歌も作曲される等、「子ども達のヒーロー」というキャラクター性を持ち合わせていたのが、ガメラの特徴でした。その結果、人気を博したガメラは毎作新たな怪獣と戦う内容でシリーズ化に至るようになります。

ガメラシリーズはゴジラシリーズと同様、時代が平成へと投入した後も新作が発信され続けている。2023年には『NETFLIX』にて、最新アニメ作品『GAMERA -Rebirth-』が配信された。
ガメラシリーズはゴジラシリーズと同様、時代が平成へと投入した後も新作が発信され続けている。2023年には『NETFLIX』にて、最新アニメ作品『GAMERA -Rebirth-』が配信された。

ここまで述べてきた東宝のゴジラと大映のガメラ、各社が誇る二大スター怪獣の映画公開や、当時一般家庭でも普及したばかりであった家庭用テレビでも、怪獣達を主役とした円谷プロ製作の特撮怪獣番組『ウルトラQ(1966)』、『ウルトラマン(1966)』が放送されたことに伴い、1966年に日本では大規模な「怪獣ブーム」が発生するようになります。この怪獣ブームの発生が、アメリカを筆頭に怪獣達の国際認知の向上に影響を及ぼすこととなったのです。

国内の一般家庭にカラーテレビが普及して間もない1966年に、円谷制作の特撮ヒーロー番組『ウルトラマン』の放送が開始された。本作は写真のバルタン星人を筆頭に、数多くの人気怪獣や宇宙人を輩出した。
国内の一般家庭にカラーテレビが普及して間もない1966年に、円谷制作の特撮ヒーロー番組『ウルトラマン』の放送が開始された。本作は写真のバルタン星人を筆頭に、数多くの人気怪獣や宇宙人を輩出した。

アメリカで『ウルトラマン』を放送!ウルトラマンがカラー作品となったアメリカの事情とは?

このように、日本で人気を博してきたゴジラやガメラ等の怪獣映画は、その後アメリカをはじめとする海外市場へと次々に輸出されるようになりました。東宝はシリーズ第1作『ゴジラ』を1956年にアメリカで初公開したほか(作品タイトル:『ゴジラ・キング オブ ザ モンスターズ)、日米合作という形で怪獣映画の量産に着手するようになります。

米国で公開、販売された『ゴジラ・キング オブ ザ モンスターズ(1956)』のビデオ・DVDパッケージ(筆者撮影)
米国で公開、販売された『ゴジラ・キング オブ ザ モンスターズ(1956)』のビデオ・DVDパッケージ(筆者撮影)

東宝と米国映画会社の連帯で制作された特撮怪獣映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(1965)』。本作で巨人が怪獣と戦う描写基礎が構築され、後の『ウルトラマン』をはじめとする巨大ヒーローに影響を与えた。
東宝と米国映画会社の連帯で制作された特撮怪獣映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(1965)』。本作で巨人が怪獣と戦う描写基礎が構築され、後の『ウルトラマン』をはじめとする巨大ヒーローに影響を与えた。

一方で大映もアメリカのテレビ会社の発注に応じて『ガメラ(1965)』や『大魔神(1966)』のシリーズ化を決定しました。その結果、日本からたくさんの怪獣映画がアメリカへと輸出されることとなり、日本生まれの怪獣達の名前が、現地で大きく知れ渡ることとなります。

東宝の『ゴジラ』に続けとばかりに、大映や松竹、日活といった各映画会社は次々と怪獣映画を量産し、国内外で公開した。ガメラ、大魔神、ガッパ、ギララといった個性豊かな怪獣達も次々に誕生した(筆者撮影)。
東宝の『ゴジラ』に続けとばかりに、大映や松竹、日活といった各映画会社は次々と怪獣映画を量産し、国内外で公開した。ガメラ、大魔神、ガッパ、ギララといった個性豊かな怪獣達も次々に誕生した(筆者撮影)。

実は、アメリカで日本の特撮怪獣映画がたくさん輸出された背景には、当時の日本政府が打ち出した産業振興策における、外貨獲得のための映画制作支援という事情がありました。日本製の特撮怪獣映画やアニメ作品は海外市場において好調な成績を収める優等生だったのです(例えば、先述した『ガメラ(1965)』を海外市場へと売り込んだ場合、当時としては異例の30万ドルという破格の価格で取引されたのだとか)。

米国に次々と輸入されたガメラ映画は、現在にかけてDVDも発売されている(筆者撮影)。ゴジラが次々と新たな怪獣達と戦ったように、ガメラも幾多ものライバル怪獣相手に孤軍奮闘した。
米国に次々と輸入されたガメラ映画は、現在にかけてDVDも発売されている(筆者撮影)。ゴジラが次々と新たな怪獣達と戦ったように、ガメラも幾多ものライバル怪獣相手に孤軍奮闘した。

そこで、「日本からの輸出が好調な映画産業を政府が支援して、外国の市場からも収入を得ましょう!」という日本政府の方針のもと、海外市場へ売り込む(日本政府から援助を受ける)ために、各社が怪獣映画をこぞってつくっていました。

このように海外に売り込むことを前提とした政策方針は、日本でつくる作品そのものにも大きく影響するようになります。

その影響の一例が作品の「カラー化」でした。日本でカラーテレビが普及する引き金となったのが1964年の東京オリンピックですが、これ以降、国内でカラー放送されることを踏まえたテレビ番組がたくさん放送されることになります。

「そりゃあカラーテレビで放送するんだからカラーで番組をつくるでしょうよ。それと海外市場がどう関係あるの?」

・・・ごもっともな指摘だと思います。この謎を紐解く代表例なのが、円谷プロ制作の特撮ヒーロー番組『ウルトラマン(1966)』でした。『ウルトラマン』は全編カラー作品として制作され、オレンジ色の衣装に身を包んだ科学特捜隊のハヤタ隊員が、宇宙からやってきた銀色の超人・ウルトラマンとなって怪獣や宇宙人達から地球の平和を守る内容で放映されました。

『ウルトラマン(1966)』に登場した初代ウルトラマン。陸海空から現れる怪獣達を相手にウルトラマンは戦い、最後は必殺光線・スペシウム光線で退治する。しかし時には罪のない怪獣をいたわる優しさもみせた。
『ウルトラマン(1966)』に登場した初代ウルトラマン。陸海空から現れる怪獣達を相手にウルトラマンは戦い、最後は必殺光線・スペシウム光線で退治する。しかし時には罪のない怪獣をいたわる優しさもみせた。

『ウルトラマン』は1966年にアメリカでも放送されますが、実はこの『ウルトラマン』がアメリカ各地で放送されるようになった背景のひとつには、アメリカがテレビ業界のカラー化を急速に推進していた事情がありました。そんな状況下で、カラフルな衣装の隊員達と銀色の超人が活躍し、さらに『ゴジラ』で特技監督を務めた「世界のツブラヤ(円谷英二監督)」が指揮を執る『ウルトラマン』は、カラー放送を推進したいアメリカにとって大変魅力的に映ったわけです。

その結果、『ウルトラマン』はアメリカのユナイト社(現:United Artists Digital Studios)が商品化権込みで購入され、アメリカ各地で放映されるようになり、その後はアメリカ以外の国々でも放送されるようになりました。

※実は『ウルトラマン(1966)』本編にも、海外市場への販売を意識した描写が数多く確認できます。例えば、本作に登場する科学特捜隊隊員の名前はカタカナ表記(ハヤタ、アラシ、イデ、フジ、ムラマツ)にされており、国によってはハヤタをIOTA、イデはITOと名称が変更する形で登場しています。他にも科学特捜隊各国支部の外国人隊員や国際指名手配犯の登場、物語も特定の年代を舞台としていない点などが該当します(基本的には近未来であり、古代怪獣ゴモラが登場した第26話・27話のみ大阪万博開催前の現代が舞台でした)。

また、作品放送と共に怪獣人形を筆頭とする商品展開もアメリカで実践されました。日本でも『ウルトラマン(1966)』シリーズが放送されると玩具は飛ぶように売れ、多い時で月産50万個、平均40万個の怪獣人形が玩具売り場で販売されたほか、お子様に頼まれて怪獣人形を買ったまでは良かったものの、ペギラ(ウルトラQの怪獣)とジキラ(マグマ大使の怪獣)という名前が似た怪獣を間違えて、恐縮して交換に来るお父様・お母様が多く出てしまったという逸話が残されています。

ウルトラマンシリーズ第3作『ウルトラセブン(1967)』。数ある当シリーズの作品の中でも屈指の人気を誇り、秀逸なSF番組として評価される一方、当時の国際情勢を反映した問題提起的な描写も魅力である。
ウルトラマンシリーズ第3作『ウルトラセブン(1967)』。数ある当シリーズの作品の中でも屈指の人気を誇り、秀逸なSF番組として評価される一方、当時の国際情勢を反映した問題提起的な描写も魅力である。

これら怪獣人形はアメリカでも発売されましたが、その中でも特に希有な事例だったのが、日系人の方が多いハワイ州。ハワイではウルトラマンシリーズ第3作『ウルトラセブン』が1975年に放送されていました。

番組そのものはウルトラセブン本編を英語音声にし、主題歌は「およげ!たいやきくん」でお馴染みの子門真人さんが歌った内容でした。(※当時ハワイで放送された外国の番組は吹き替えが主流でした。)

ハワイ州最高峰の博物館であるビショップ博物館では、現地で1970年代に発生した特撮ヒーローブームの記録も散見でき、同時期放映されたキカイダー主題歌のレコードもパネル展示された(2014年撮影)。
ハワイ州最高峰の博物館であるビショップ博物館では、現地で1970年代に発生した特撮ヒーローブームの記録も散見でき、同時期放映されたキカイダー主題歌のレコードもパネル展示された(2014年撮影)。

番組の放送開始に併せ、州都ホノルルがあるオアフ島内、ワイキキシェルではウルトラセブンショーが開催された他(1975年7月開催、入場料は当時価格で2ドル)、「ULTRA 7 SEVEN CLUB」という会員証もあったのだとか。(※資料が極めて少ないため、どういった用途なのか未だ不明ですが、当時の写真を拝見する限りはたくさんの子ども達の集客に成功していたようです。)

「ハワイカラー」と呼称されハワイ州内にて販売された怪獣人形の復刻版。左はカネゴン。右がダリー。中央のウルトラマンタロウのフィギュアは2014年の「ウルトラハワイ」キャンペーン懸賞賞品(筆者撮影)。
「ハワイカラー」と呼称されハワイ州内にて販売された怪獣人形の復刻版。左はカネゴン。右がダリー。中央のウルトラマンタロウのフィギュアは2014年の「ウルトラハワイ」キャンペーン懸賞賞品(筆者撮影)。

番組放送やショーの開始と共に、ハワイ州ではウルトラマンシリーズの怪獣人形が発売されていました。しかも、「ハワイカラー」と呼ばれる独自の彩色を人形に施し、現地の子ども達の手に渡っていたのです。

「ハワイ州は日本人にとって人気観光地だから、お人形も特別扱いされたんじゃない?」

・・・と思いたいところですが、これにも「大人の事情」がございました。

というのも、ハワイカラーが施される人形は、安価な肌色で人形を形成してから、赤や青といった着色を行なう低コストでの製造方法が通例だったようです。

輸出向け故に国内での流通量も少ないことから、マニアの方にとって人気商品なのだとか。

【誕生!アメリカ版ゴジラ?!】強さでもインパクトでも米国版ゴジラが日本のゴジラに及ばなかった理由とは?

ここまで上述してきた過程を経ながら、日本からアメリカに次々と怪獣映画が輸入されたほか、毎週新しい怪獣が登場する特撮ヒーロー番組も現地で浸透していくようになります。こうした流れは「自分達の国でもゴジラのような怪獣映画をつくりたい!」という展開へ結びついていくようになります。

その結果、米国でリメイクされる形でのゴジラ映画が公開されました。

最初のリメイク作品が、1998年に全米公開のハリウッド版『GODZILLA』でした。本作はアメリカ公開後に日本でも公開され、観客動員数は360万人と健闘はしていました。

どこかイグアナっぽい外見のアメリカ版ゴジラ。本作の監督であるローランド・エメリッヒ監督の名称を取り、通称「エメゴジ(エメリッヒ版ゴジラの略)」とファンの間で呼称されている(筆者撮影)。
どこかイグアナっぽい外見のアメリカ版ゴジラ。本作の監督であるローランド・エメリッヒ監督の名称を取り、通称「エメゴジ(エメリッヒ版ゴジラの略)」とファンの間で呼称されている(筆者撮影)。

しかしながら本作、言ってしまえば「不評」でした。ゴジラが巨大なイグアナであるような容姿である上、スリムな足で飛び上がるわ、卵を大量に産んで巣はつくるわ、近代兵器であるミサイルを撃ち込まれて絶命するわで、日本のゴジラとは大きくかけ離れた産物だったのです(はっきり言って別怪獣です)。

見た目ネバネバした生物感溢れる卵から誕生するという、どことなく『エイリアン』を彷彿とさせるベビーゴジラ。日本でも玩具が輸入され、複数種のベビーゴジラが発売された(筆者撮影)。
見た目ネバネバした生物感溢れる卵から誕生するという、どことなく『エイリアン』を彷彿とさせるベビーゴジラ。日本でも玩具が輸入され、複数種のベビーゴジラが発売された(筆者撮影)。

数字だけを見るならば、この『GODZILLA』は興行的な成功こそ収めてはいたものの、ゴジラシリーズのファンのみならず一般の観客にも受け入れられない存在として認知されてしまいました。その結果、日本で再び正統派のゴジラ映画をつくる動向へと繋がり、新たな国産ゴジラ映画(1999年公開『ゴジラ2000(ミレニアム)』)が公開されることとなりました。

1999年公開『ゴジラ2000(ミレニアム)』は、日本での公開後に米国版も制作されている。ハワイ州オアフ島内クアロア・ランチでは写真のようなパネル展示も行なわれる等、現在も存在感を発揮し続けている。
1999年公開『ゴジラ2000(ミレニアム)』は、日本での公開後に米国版も制作されている。ハワイ州オアフ島内クアロア・ランチでは写真のようなパネル展示も行なわれる等、現在も存在感を発揮し続けている。

「じゃあ、もうアメリカ版ゴジラは黒歴史みたいに出てこなくなったの?」と言われると・・・実はそうでもないのです。

このアメリカ版ゴジラですが、なんとその後にアニメシリーズがつくられたり、日本のゴジラと一対一で真っ向から対決したりと、後のゴジラシリーズにおいて度々活躍していました。

まず、『GODZILLA』の続編としてアニメシリーズ『Godzilla: The Series』が1999年から2000年までの全40話がアメリカで放送されました。内容は、アメリカ版ゴジラの子どもであり、「刷り込み」効果で人間の味方となったゴジラが、地球を脅かす他の怪獣達と戦うというもの。

米国で発売された『GODZILLA THE SERIES』の DVD(筆者撮影)。日本では未ソフトの作品であるため、怪獣ファンにとっては貴重かつ語り草的な作品ではある(筆者撮影)。
米国で発売された『GODZILLA THE SERIES』の DVD(筆者撮影)。日本では未ソフトの作品であるため、怪獣ファンにとっては貴重かつ語り草的な作品ではある(筆者撮影)。

続いて、2004年公開の国産ゴジラ映画『ゴジラ FINAL WARS』では、宇宙人率いる怪獣軍団の一体として、オーストラリアのシドニーを舞台に日本のゴジラと対決。なんと本作では、彼は「ジラ(ZILLA)」という名での登場でした。つまり、もはや彼は日本のゴジラ(GODZILLA)のような破壊神ではなく、GOD(神)を抜いたZILLAという別物にされてしまったのです。

シドニーを舞台に対決する日米ゴジラ。跳躍力を生かしてジラ(左)がゴジラ(右)に飛びかかるも、ゴジラの太く巨大な尻尾でなぎ払われ、オペラハウスに突っ込んだところに熱線を撃ち込まれあっさり絶命した。
シドニーを舞台に対決する日米ゴジラ。跳躍力を生かしてジラ(左)がゴジラ(右)に飛びかかるも、ゴジラの太く巨大な尻尾でなぎ払われ、オペラハウスに突っ込んだところに熱線を撃ち込まれあっさり絶命した。

「日本のゴジラとアメリカのゴジラはどちらが強いんだ?」と幼心にワクワクものでしたが、いざ対決すると日本のゴジラのストレート勝ち。対決時間も約1分と良いとこ無し。いわば「雑魚キャラ」のような扱いにアングリした記憶があります(泣)。その上、ジラをゴジラに差し向けた主人である宇宙人に「やっぱマグロを喰ってるようなのはダメだな」と吐き捨てられるなど、散々な扱いだったのです。

【知られざるゴジラとハワイの強い結びつきとは?】怪獣ファンなら一度は訪れたい、ハワイにある怪獣の「聖地」ってどこ?

ここまで、米国における日本の怪獣達の進出から、アメリカオリジナルのゴジラ映画をつくられるまでの過程について概要的にお話をしてきました。

「一番最初のアメリカ版ゴジラって、色々と難題を抱えてたんだね・・・」と言われますと、正直否定はできないと思います。

しかし、約70年に渡る長いゴジラとアメリカの関係という広い視野から見れば、本作があったからこそ、「日本のゴジラをアメリカで正確に再現するにはどうしたら良いのか?」という潮流に繋がることになりました。

『GODZILLA(2014)』に登場したゴジラは太古の巨大生物であり、敵対する二大怪獣(ムートー)を相手に放射熱線や尾を駆使した体術等で戦う。本作のゴジラは怪獣王かつ、人類の救世主だったのか・・。
『GODZILLA(2014)』に登場したゴジラは太古の巨大生物であり、敵対する二大怪獣(ムートー)を相手に放射熱線や尾を駆使した体術等で戦う。本作のゴジラは怪獣王かつ、人類の救世主だったのか・・。

上述した『GODZILLA(1998)』公開から約16年後の2014年、レジェンダリー・ピクチャーズ製作で『GODZILLA』が公開されました。本作は、放射性物質をエネルギー源とする2大怪獣(ムートーと呼ばれる2頭のつがい怪獣)相手に、ゴジラが戦うという内容。

本作に登場するゴジラは日本のゴジラを彷彿とさせる外形となり、放射能や核といったこれまでの『ゴジラ(1954)』シリーズにおいて普遍的なテーマも盛り込まれた作品となった『GODZILLA(2014)』は好評を得て米国内で大ヒットを記録し、次回作の制作も決定します。その結果、ゴジラだけでなくラドンやモスラ、キングギドラといったライバル怪獣達が一同に会した『GODZILLA:KING OF THE MONSTERS(2019)』、さらに米国を代表する人気怪獣キングコングとゴジラが互いに主張し合い、最終的に共闘する日米怪獣対決を描いた『GODZILLA X KONG(2021)』等、次々に派生作品が公開される運びとなりました。

『GODZILLA X KONG(2021)』では、ゴジラとコングが主張し合いながら戦い合う。しかし彼らにとって真の脅威だったのはお互いでは無く人類の歪んだ兵器だった。メカゴジラ相手に両雄は共闘する。
『GODZILLA X KONG(2021)』では、ゴジラとコングが主張し合いながら戦い合う。しかし彼らにとって真の脅威だったのはお互いでは無く人類の歪んだ兵器だった。メカゴジラ相手に両雄は共闘する。

また、今年2024年3月には最新作『GODZILLA X KONG: THE NEW EMPIRE(日本版タイトル:ゴジラxコング 新たなる帝国)』の米国公開が予定されています(日本公開は2024年4月26日)。

2024年4月に日本公開予定の米国最新ゴジラ映画『ゴジラxコング 新たなる帝国』では、ゴジラとコングに加え、Scar king やShimoと呼ばれる謎の新怪獣達も登場・・・?果たして彼らは何者か。
2024年4月に日本公開予定の米国最新ゴジラ映画『ゴジラxコング 新たなる帝国』では、ゴジラとコングに加え、Scar king やShimoと呼ばれる謎の新怪獣達も登場・・・?果たして彼らは何者か。

このように、日本生まれの怪獣ゴジラが米国に初上陸して以降、なにかと物議を醸した『GODZILLA(1998)』を経て、現在に至るまで世界の怪獣達を圧倒する「怪獣の王様」として認識されるようになった過程を見つめてみると、やはり感慨深いものがありますが、米国でのゴジラの活躍の場は映画だけではございません。彼が残してきた栄光の足跡は、米国各所にてしっかりと残されてきました。

クアロア・ランチ(2024年筆者撮影)
クアロア・ランチ(2024年筆者撮影)

Kualoa Ranch Hawaii
・住所:49-560 Kamehameha Hwy. Kaneohe, HI 96744
・TEL: (808) 237-7321
・URL:https://www.kualoa.jp/(外部リンク)

その代表的な場所として挙げられるのが、私達日本人にとってお馴染みの観光地であるハワイ。そんなハワイ州オアフ島内の北東に位置しているのが「クアロア・ランチ(Kualoa Ranch)」。

もともとこの土地は、古代ハワイ王朝時代に王族しか立ち入りを許されなかった地であり、連なる山々とプライベートビーチを含め、約4000エーカーの土地の広さを誇る当牧場は、乗馬や四輪バギー等の体験アクティビティのほか、『ジュラシック・パーク(1993)』をはじめ数々の映画やテレビ番組の撮影地としても活用されてきました。

クアロア・ランチでは、牧場内で撮影された数多くの映画ロケ地を周遊する「映画村ツアー」が観光客向けに行なわれているほか、ツアーの最中にはジュラシック・ワールドの恐竜たちにも遭遇することができる。
クアロア・ランチでは、牧場内で撮影された数多くの映画ロケ地を周遊する「映画村ツアー」が観光客向けに行なわれているほか、ツアーの最中にはジュラシック・ワールドの恐竜たちにも遭遇することができる。

実はこのクアロア・ランチでは、上述した米国版ゴジラ第1弾『GODZILLA(1998)』の撮影が行なわれており、作品中に登場したゴジラの足跡が、現在も残されています。

映画『GODZILLA(1998)』の劇中にて登場したゴジラの足跡。劇中では深い足跡だったが、現在は大して深くはない。牧場内の牛が落下する事故等が危惧されたことから、意図的に埋めたのだとか。
映画『GODZILLA(1998)』の劇中にて登場したゴジラの足跡。劇中では深い足跡だったが、現在は大して深くはない。牧場内の牛が落下する事故等が危惧されたことから、意図的に埋めたのだとか。

また、ゴジラのライバル怪獣であるコング(キングコング)が主役の映画『KONG:SKULL ISLAND(2017)』の撮影も当所にて行なわれており、劇中に登場するコングの頭骸骨や巨大生物の骨もしっかりと残されています。

米国映画『KONG:SKULL ISLAND(2017)』劇中で登場したコングの骨。ツアー中は散らばる骨の中を通り抜け、至近距離からも写真のコングをはじめ怪獣達の骨が撮影可能(2024年筆者撮影)。
米国映画『KONG:SKULL ISLAND(2017)』劇中で登場したコングの骨。ツアー中は散らばる骨の中を通り抜け、至近距離からも写真のコングをはじめ怪獣達の骨が撮影可能(2024年筆者撮影)。

また、現在制作されている米国のゴジラシリーズ(通称:モンスター・ヴァース)のネット配信作品『MONARCH: LEGACY OF MONSTERS(モナーク:レガシーオブモンスターズ)』の撮影もここ、クアロア・ランチにて行なわれています。

つまり、ここクアロア・ランチは怪獣映画の「聖地」と呼んでも過言では無く、怪獣ファンならば是非とも訪れてみたい場所と言っても差し支えないと思います。

劇中の登場人物になりきったような感覚で、コングの骨格の下をくぐり抜ける・・・!スクリーンで大暴れする怪獣の骨が常置されているクアロア・ランチのような観光地は、国際的に見ても非常に珍しい。
劇中の登場人物になりきったような感覚で、コングの骨格の下をくぐり抜ける・・・!スクリーンで大暴れする怪獣の骨が常置されているクアロア・ランチのような観光地は、国際的に見ても非常に珍しい。

2024年2月現在、アメリカでのゴジラ旋風はまだまだ留まるところを知りません。2023年11月に我が国で公開された国産ゴジラ映画最新作『ゴジラ ー1.0(マイナスワン)』は、その後アメリカでも12月より公開され、全米における累計興収が5500万ドルを突破し(2024年1月28日までの時点)、邦画実写作品として歴代1位、北米での外国語映画興収も歴代3位と、米国内で爆発的なヒットを記録しました。

また第96回アカデミー賞 視覚効果賞にノミネートされる等、日本映画初の快挙を成し遂げた本作、まだまだ進撃は止まりません。

戦後間もない日本に襲いかかるゴジラの脅威と、命を尊重しながら未知の脅威と対峙する人間達の奮闘が描かれる『ゴジラ-1.0』。(TOHOシネマズ日比谷にて2023年筆者撮影)
戦後間もない日本に襲いかかるゴジラの脅威と、命を尊重しながら未知の脅威と対峙する人間達の奮闘が描かれる『ゴジラ-1.0』。(TOHOシネマズ日比谷にて2023年筆者撮影)

・・・実は、米国でのゴジラ大旋風を確かめるべく、私は先日までしばらくハワイに現地入りし、劇場の様子やおもちゃ売り場の状況を確認して参りました。

私事で恐縮ですが、幼少期から現在にかけてハワイでよくロングステイをしていたので、ポケットモンスターやキカイダーといった日本生まれのキャラクター達がどれ程に現地で浸透してきたかを、子ども時代よりずっと体感してきたのですが、2024年ほどゴジラ旋風が吹き荒れた年は生まれて初めてでした。

筆者が子どもの頃から通っていたオアフ島の映画館『WARD 16 THEATRES』。おおよそ15ドル程で映画1作品が座席指定で楽しめる。筆者もここで『ゴジラ ー1.0』を観賞(2024年筆者撮影)。 
筆者が子どもの頃から通っていたオアフ島の映画館『WARD 16 THEATRES』。おおよそ15ドル程で映画1作品が座席指定で楽しめる。筆者もここで『ゴジラ ー1.0』を観賞(2024年筆者撮影)。 

WARD 16 THEATRES
・住所:1044 Auahi St, Honolulu, HI 96814
・TEL:+1 808-594-7044

私がハワイで観たのは『ゴジラ ー1.0 マイナスカラー版』(『ゴジラ ー1.0』本編の白黒版)。映画館の様子ですが、チケットは30分以上前に確保しないと良い席で観られない、いざ上映が開始されれば、現地の人達は静寂の中で食い入るようにじっくり観ている空気感でした。

『WARD 16 THEATRES』観賞時の半券。写真のとおり、アメリカでは『ゴジラ -1.0』はPG-13のレイティングだった。
『WARD 16 THEATRES』観賞時の半券。写真のとおり、アメリカでは『ゴジラ -1.0』はPG-13のレイティングだった。

映画の余韻に浸りながら米国で販売されているゴジラのグッズ捜しをするものの大苦戦。現地でのおもちゃ売り場ではディズニーキャラクターやジュラシックパークの関連玩具がたくさん販売されている傍ら、ゴジラ関連商品が綺麗さっぱり売り切れていたのです。故にオアフ島内各所のおもちゃ屋さんを、レンタカーかっ飛ばしつつ捜索する羽目に・・・。

アメリカでは、玩具オリジナル展開が盛ん。つまり映画やテレビ番組内には全く登場しない姿を玩具で表現し、消費者の心を掴むというものである。多少なりとも違和感はあるが、これはこれで楽しめる。
アメリカでは、玩具オリジナル展開が盛ん。つまり映画やテレビ番組内には全く登場しない姿を玩具で表現し、消費者の心を掴むというものである。多少なりとも違和感はあるが、これはこれで楽しめる。

(私も諦めが悪いので、「何が何でも絶対に見つけ出す!!」という気持ちで捜索を続けて見つけたのが、写真のサイボーグのようなラドンのフィギュアでした。)

驚異的なヒットを記録した『ゴジラ ー1.0(2023)』に続き、アメリカでは3月に最新作『GODZILLA X KONG: THE NEW EMPIRE(日本版タイトル:ゴジラxコング 新たなる帝国)』の公開が予定されています。

止まることを知らないゴジラ旋風。私もその大進撃を1ファンとして見守り続けていきたいと思います。

最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

昭和、平成、令和と、約70年の時を経てゴジラは人類やライバル怪獣と戦い続けてきた。そしてこれからもゴジラは新たな脅威と戦い続ける。世界一かつ最強の怪獣王の戦いに終わりはないのだ(筆者撮影)。
昭和、平成、令和と、約70年の時を経てゴジラは人類やライバル怪獣と戦い続けてきた。そしてこれからもゴジラは新たな脅威と戦い続ける。世界一かつ最強の怪獣王の戦いに終わりはないのだ(筆者撮影)。

(参考文献)
・菅野正美、「MAGAZINEHOUSE HOUSE MOOK ゴジラ徹底研究 GODZILLA」、株式会社マガジンハウス
・尾崎明、「pen+完全保存版 ゴジラ、再び」、株式会社CCCメディアハウス
・小野俊太郎、「ゴジラの精神史」、株式会社彩流社
・ウルトラ雑学探求倶楽部、「決定版ウルトラマンシリーズFILE」、株式会社パブリッシング
・梅中伸介(verb)、用田邦憲・秋田英夫・高木晃彦(noNPolicy)、「MAGAZINE HOUSE MOOK 大人のウルトラセブン大図鑑」、株式会社マガジンハウス

博士(文学)/PhD(literature)

博士(文学)。日本の「特撮(特殊撮影)」作品を誘致資源とした観光「特撮ツーリズム」を提唱し、これまで包括的な研究を実施。国内の各学術学会や、海外を拠点とした国際会議へも精力的に参加。200を超える国内外の特撮・アニメ催事に参加してきた経験を生かし、国内学術会議や国際会議にて日本の特撮・アニメ作品を通じた観光研究を多数発表、数多くの賞を受賞する。国際会議の事務局メンバーのほか、講演、執筆、観光ツアーの企画等、多岐に渡り活動中。東海大学総合社会科学研究所・特任助教。

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