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【八王子市】77年前の8月2日、約2時間で東京大空襲と同じくらいの量の焼夷弾が投下された八王子空襲

八王子!地域ニュースサイト号外NETライター(八王子市)

大和田橋の上流、八王子市役所近くの浅川
大和田橋の上流、八王子市役所近くの浅川

1945(昭和20)年8月2日未明、終戦のわずか2週間前に八王子市はB29約170機による空襲を受け、街中だけではなく山寺や学校など、広い範囲で被害が出ました。

攻撃は凄まじく、土蔵や石造りの建物以外の建造物はほとんど残っておらず、市街地の約80%が焼失したという空襲です。この空襲で合計1600トンの焼夷弾が投下されました。

この動画は八王子空襲などをアメリカ軍が撮影したものです。(アメリカ軍宣伝用のフィルムのため一部合成があります。17分30秒あたりから八王子の空襲が写っています)

この空襲で亡くなった人は約450名以上、ケガをした人はおよそ2000人以上、焼失家屋は14000戸以上となりました。焼け跡に立つ人は、 ただ呆然としていたそうです。犠牲者の中では、子ども、女性の割合が多かったそうです。長かった戦争が終わろうとしていたわずか2週間前のできごとでした。

八王子空襲は、3月10日の東京大空襲の総投下量1665トンとその投下面積を比較しても、密度の高い爆撃であったことがわかります。

八王子の中心部、八日町付近
八王子の中心部、八日町付近

今では甲州街道にはたくさんのマンションが立ち並び、この街に戦火が押し寄せていたことが想像すらできない風景になっています。

ウクライナの戦禍をテレビで悲しく見ていても、子どもたちだけではなく、わたしたち大人でさえも、八王子に大空襲があったことを思い出す人も少ないようです。

大和田橋には八王子空襲で投下されたM50焼夷弾が傷つけた跡が17箇所あり、今でも歩道の2箇所は透明板で覆い、残りの15箇所は色タイルで位置を示してあります。

国道20号(甲州街道)の追分町交差点から千人町交差点までのイチョウ並木のうち、約20本が八王子空襲による家屋の火災で木の皮が類焼し、一部が焼けた戦災樹木として、現在も腐食防止対策が施され立ち続けています。

浅川地下壕は、高尾駅南西側の山稜に陸軍浅川倉庫として掘られ、中島飛行機の地下工場となった巨大な地下壕。総延長は約10kmで、金比羅山下などに3箇所あります。壕内の見学会は「浅川地下壕の保存をすすめる会」のHPを参照して下さい。

JR高尾駅1・2番線ホームの屋根を支える鉄柱(柱番号31と33)には、米軍機による銃撃の跡が残り、「銃撃痕」の看板が設置されています。鉄柱は線路を再利用したもので、貫通したその威力に銃撃のすさまじさを知ることができます。

富士森公園には、戦後、周辺町村の合併で形成された現八王子市域の全戦死者・戦災死没者を慰霊するため昭和40年に建立した、高さ約20m、3,209名を合葬している八王子市戦没者慰霊塔があります。

富士森公園の体育館とスタジアムに挟まれた一角に慰霊塔はあります。
富士森公園の体育館とスタジアムに挟まれた一角に慰霊塔はあります。

他にも泉町のランドセル地蔵や八王子空襲により全焼した都立第四高等女学校(現・都立南多摩中等教育学校)の校庭の木で、空襲の翌年春にこの木だけが芽吹き成長した戦災樹木などが、今も静かに戦争の傷跡を伝え続けています。

終戦から77年。もし身近に戦争体験をした方がいらしたら、生の声をぜひ聞いてみて下さい。

八王子市役所生涯学習スポーツ部文化財課郷土資料館(事務室)では、八王子の空襲と戦災の記録 総説編 B5版 633ページ モノクロ 2,500円・八王子の空襲と戦災の記録 市民の記録編 B5版 401ページ モノクロ 1,500円の取り扱いもしています。4年の月日を費やし、丁寧に編纂された本です。図書館にも置いてあるので興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

八王子駅を見守るように建つサザンスカイタワー
八王子駅を見守るように建つサザンスカイタワー

はちはくでは企画展「戦時下の生活~戦争とともに人々のくらしがありました」を開催しています。

桑都日本遺産センター 八王子博物館(はちはく)では、令和4年(2022年)7月23日(土)~9月14日(水)まで八王子市内の戦時下の生活を紹介した企画展を開催しています。

今回の企画展では、戦争により変わってしまった市民の生活と八王子空襲の惨禍をさまざまな資料から見ていきます。

昭和12年(1937)7月、日中戦争が勃発しました。戦争は長期化し、昭和16年には日本軍が真珠湾を攻撃してアジア・太平洋戦争が始まり、昭和20年に終戦を迎えます。この8年間は、日々の暮らしが戦争とともにありました。大人も子どもも戦時体制に巻き込まれていたのです。

戦後77年がたち、戦争を体験していない世代が大半を占めている現在、戦争の記憶を後世に伝えていくことが大きな課題となっています。

戦時下を生き抜いた人々が残してくれた資料をしっかりと見つめて、家族や知人と話す機会を持てるといいですね。

【展示の内容】

◆家族を戦地へ送る

◆戦時下の生活~この一戦何が何でもやりぬくぞ~

◆戦時下の子ども達

◆八王子へ疎開してきた子供たち

◆八王子空襲

7月31日(日)、8月28日(日)14:00~14:30には「八王子空襲」の紙芝居上演と解説も行います。※申し込み不要。直接来館してください。

その他に申し込み不要の講座やイベントがあります。当日、直接はちはくに行って下さい。

・講座「八王子空襲の体験談を聞く」

実施日時:8月11日(木・祝)14:00~15:0(紙芝居と講演)

・イベント「戦争体験を聞く」

実施日時:8月14日(日)14:00~15:00

日本が戦争中だった昭和20年(1945年)8月2日未明、八王子はアメリカの戦闘機B29による大規模な空襲を受けました。

にぎやかだった街も一夜で焼け野原になり、400名以上の方々が亡くなりました。

いつもの暮らしが一夜で失われた、その日の記憶のお話です。のはちはくは八王子で一番高いビル、八王子駅直結のサザンスカイタワー八王子 3階にあります。

【桑都日本遺産センター 八王子博物館(はちはく)】

東京都八王子市子安町四丁目7番1号 サザンスカイタワー八王子 3階

電話番号電話 042-622-8939

取扱業務時間 10:00~19:00

地域ニュースサイト号外NETライター(八王子市)

八王子のことなら、何でも知りたい・見たい・楽しみたい!そんな気持ちで毎日取材中!生まれも育ちも八王子です。

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