大河ドラマや『レジェンド&バタフライ』では描かれない 織田信長の知られざる意外な初陣
大河ドラマ『どうする家康』が2023年1月8日からスタートしましたが、その中で、戦国大名・織田信長(1534〜1582)を演じるのは、岡田准一さんです。岡田さん演じる信長は、初登場から「黒マント」を纏い「待ってろよ、俺の白兎(家康のこと)」と不敵な笑みを浮かべるなどして話題となりました。
一方、同月27日からは、木村拓哉さん主演で映画『レジェンド&バタフライ』(略して『レジェバタ』)が公開されています。木村さんが演じるのも、信長です。『どうする家康』では、桶狭間の戦い(1560年)のシーンから描かれているということ、主役が徳川家康ということもあり、10代の信長については詳しく描写されていません。
また『レジェバタ』では、信長と濃姫が結ばれる天文18年(1549)頃から描かれているので、それ以前の信長の動向は省略されています。武将ならば誰しも初陣(初めて戦場に出ること)というものがありますが、では信長の初陣はどのようなものだったのでしょう?
先ず、信長は天文15年(1546)、13歳の時に元服。幼名の吉法師から名を織田三郎信長と改めます(信長の家臣・太田牛一が記した書物『信長公記』)。同書によると、信長の初陣はその翌年(1547年)とのこと。後見役として、信長の傅役である平手政秀が付き添っていました。
信長は紅筋の頭巾、羽織を着用し、三河国吉良(現在の愛知県西尾市)・大浜(碧南市)に出陣します。駿河の今川氏が軍兵を入れ置いていた吉良・大浜を攻めたのです。信長軍はあちらこちらに放火し、野営。翌日には那古野に戻ったと『信長公記』にはあります。
激戦が展開されたとの描写はなく、信長軍は敵方を撹乱し、帰陣した形です。「大勝利」「見事な初陣」という程ではなかったかもしれませんが、14歳の信長は戦というものがどのようなものか、どのように進められるのか、目の当たりにしたことでしょう。初陣が、後の信長にどのような影響を与えたのか?そういったことを想像するのも楽しいかもしれません。