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【その後の鎌倉殿の13人】伊賀氏の変は北条政子の陰謀だった!?そして伊賀の方は本当に悪妻だったのか?

濱田浩一郎歴史家・作家

貞応3年(1224)12月24日、鎌倉を追われ、伊豆国北条に配流されていた伊賀の方(北条義時の後妻)は、前日から危篤状態となっていました。伊賀の方の死亡日は定かではないのですが、程なく、亡くなったものと推測されます。

『吾妻鏡』(鎌倉時代後期に編纂された歴史書)の同年12月26日条には、当時、疫病が流行していたと書かれていますので、伊賀の方も、流行病により、落命した可能性があるでしょう。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、伊賀の方(のえ)は、自分が産んだ北条政村を執権にしたいがため、夫の北条義時を毒殺しようとした「悪妻」「悪女」として描かれていました。毒殺にまつわる逸話が伝わっていることは事実ですが、『吾妻鏡』はじめとする史料を見ていくと、義時の死因は、毒によるものではなく、病死と考えられますので、伊賀の方による夫毒殺の話は濡れ衣と考えられます。

また、今回の伊賀氏の変(伊賀光宗が、北条政村を執権に、一条実雅を将軍にしようとした陰謀事件)にしても、伊賀の方がどれだけ深く関与していたかというのは不明です。そうしたことを考えたとしたら、伊賀の方を「悪女」とするのは当たらないでしょう。

そればかりか、伊賀氏の変は「政子は(中略)伊賀氏に謀反の咎をかぶせて処罰した」(永井晋『鎌倉幕府の転換点』日本放送出版協会、2000年)との見解もあるのです。仮にそうだとしたならば、伊賀の方は、無実の罪を着せられて、流罪に処され、程なく、病で命を落としたとても可哀想な女性ということができます。

ちなみに、静岡県伊豆の国市の北條寺(臨済宗)には、北条義時と伊賀の方のお墓が並んで立っています。

2022年に私は参拝しましたが、その時は、傘をさしていてもびしょ濡れになるほどの大雨でした。タオルを差し出してくださったお寺の方の温かい心に感激したことを今でもよく覚えています。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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