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【大河ドラマ鎌倉殿の13人】北条泰時の母は八重姫だったのか?それとも阿波局だったのか?

濱田浩一郎歴史家・作家

後の鎌倉幕府の3代執権・北条泰時は、寿永2年(1183)に生まれます。父は、北条義時。では、母は誰か?大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、泰時の母は、伊豆国伊東の豪族・伊東祐親の娘・八重となっていました。しかし、この八重が泰時の母であるというしっかりした根拠はありません。

系図類においては、泰時の母は「阿波局」となっています。阿波局は「官女」ということですから、幕府に仕える女性だったのでしょう。阿波局と聞いて思い出すのは、北条時政の娘の阿波局(大河ドラマでは実衣という名)です。この阿波局は、北条政子の妹であり、泰時にとっては叔母にあたります。よって、前述の系図類に載る「阿波局」は、北条時政の娘・阿波局とは別人となります。

建久3年(1192)9月、泰時の父・義時と姫の前(比企朝宗の娘)は結婚していますので、泰時の母「阿波局」はそれまでには亡くなっていたと推測されます(ちなみに、この姫の前も幕府に仕える女官でした。義時は姫の前の美貌に惹かれ、恋文を何度も送っていたようです。しかし、相手にされず、最後には源頼朝の仲介で両者は結ばれることになります。義時は女官に惚れることが多かったと思われます)。つまり、泰時は8歳頃には、母を亡くしていた可能性が高いのです。

泰時の母も阿波局、時政の娘も阿波局ということで「2人の阿波局はいない」とする見解もあります。泰時の母が誰かということはなかなか判定し難い問題ではあるのですが、私は、幕府の女官である「阿波局」が泰時の母だと推定しています。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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