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北条泰時・朝時兄弟の姿を見て老武者が号泣した納得の訳

濱田浩一郎歴史家・作家

建暦3年(1213)5月の和田合戦(有力御家人・和田義盛の挙兵)において、北条義時の次男・朝時は、和田方の朝比奈義秀に果敢に戦いを挑み、負傷しました(5月2日)。戦は鎌倉幕府方の勝利に終わり、戦後、朝時は幕府の御所を訪れます。

しかし、合戦による傷のため、思うように動けません。そんな弟・朝時を支えたのが、異母兄の北条泰時でした。朝時は、泰時に支えられながら、歩んだのです。麗しき兄弟愛!その光景を見て、老いた武者たちは、落涙したとのこと(『吾妻鏡』)。

実はこの朝時、和田合戦の前年(1212年)にはエライ目に遭っていました。それは自らが蒔いた種ではあるのですが。では一体、何があったのか?きっかけは、朝時の恋でした。3代将軍・源実朝の御台所(西八条禅尼)に仕える官女(佐渡守親康の娘)に朝時は惚れてしまったのです。

しかし、それは一方通行の恋だったようで、朝時は何度も恋文(ラブレター)を送りますが、その官女は受け入れてくれません。溜まりかねた朝時は、我慢ならず、ある日の深夜に局に忍び込み、官女を誘い出したのでした。それから2人がどうしたかは知りません。

だが、この事は公になり、将軍・実朝は激怒。父の義時は朝時を勘当してしまいます。そこで仕方なく、朝時は駿河国富士郡に下向・謹慎することになったのでした(5月7日)。

朝時が同地から呼び戻されたのは、和田合戦の直前(1213年4月29日)だったのです。和田方の動きが警戒されるので、呼び戻されたのです。おそらく、父・義時の意向が働いたのでしょう。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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