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承久の乱に際し、執権・北条義時が京都への進撃を決めた訳

濱田浩一郎歴史家・作家

承久の乱勃発の時(1221年)、鎌倉幕府の吏僚・三善康信は、病がちになっていました。康信の生まれ年は保延6年(1140)であり、この時、81歳。かなりの高齢でした。

康信は、初代の問注所(訴訟・裁判などを司る機関)執事(長官)として幕府の裁判・行政機構の整備に大きな役割を果たした人物です。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、小林隆さんが康信を演じ、良い味を出していました。

さて、乱勃発時、康信は前述のように、老いと病のために籠っていたのですが、そんな彼を突然、北条政子が呼び寄せます。政子は、幕府は官軍にどのように対抗するべきか、康信に意見を求めたのです。

康信は言います。「軍勢を京都に派遣することが、私が最も願うところです。それをせずに、日数だけが過ぎていくのは、怠慢というべきでしょう。大将軍1人だけでも、先ずは進発するべきです」(『吾妻鏡』)。

康信は、大江広元と同意見だったのです(また、政子とも同じ見解だったと言えるでしょう)。政子と康信が話す側には、北条義時もいたと思われます。

義時は、これらの会話を聞いて「両者の見解は一致した。これは神仏の目に見えない助けであろう。急ぎ、進発すべし」と嫡男の北条泰時に命じるのです。泰時はその夜、すぐさま、出立。決戦の時は、近づいていました。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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