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【大河ドラマ鎌倉殿の13人】承久の乱 後鳥羽上皇が頼りにした大寺院と、北条義時死すの流言

濱田浩一郎歴史家・作家

承久3年(1221)6月8日、「官軍を破り、鎌倉幕府軍迫る」の報を受けて、後鳥羽上皇は、都を出て、比叡山にのぼられました。比叡山延暦寺の武力を頼ろうとされたのです。「偏に山門(延暦寺)を頼みにしている」と上皇は仰ったとのこと(『吾妻鏡』)。

それに対し、比叡山側は「微力ながら、衆徒をもって、幕軍の攻撃を防ぎましょう」と言上したようです。

そうした比叡山の答えを聞いて、安心されたのか、一度、都に戻ってはとの意見が出されました。が、還御に反対する見解もあったようで、そのことについて議論している最中、未確認ながら、驚くべき噂が入ってきます(6月9日)。

何とそれは「北条義時が殺された」との情報でした。この噂を聞いて、上皇方の人々は、とりあえず、安堵したようです。この時、幕府寄りの公卿・西園寺公経(後に鎌倉幕府四代将軍となる藤原頼経の祖父)を「斬罪に」との声があったのですが、それに対する異論が出て、結局、処刑はなしとなりました。上皇方に根拠なき楽観論があったことが分かります。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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