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【大河ドラマ鎌倉殿の13人】承久の乱 北条泰時が宇治川を渡るために案出した秘策

濱田浩一郎歴史家・作家

承久3年(1221)6月13日、足利義氏と三浦泰村(義村の子)は、総大将の北条泰時に知らせずに、勝手に、官軍と宇治橋辺りで戦を始めてしまいます。幕軍の兵士も多く討たれてしまいます。

その報せに驚いた泰時は、雨中のなかを、宇治に向かうのです。泰時は更に、尾藤景綱を使者として、不利な戦いを止めるよう促します。そして、やっと一旦、戦は止むのです。直後、泰時は平等院で休息したということですが、ほっとしたことでしょう。

翌日(6月14日)は、良い天候となりました。官軍は橋の敷板を外し、幕軍が容易に宇治川を渡れないようにしていましたが、川を越えて戦わなければ、官軍を破ることはできません。そこで、泰時は芝田兼義という武士を招き寄せ「川の浅瀬を探れ」と命令するのです。兼義は南條七郎と共に、眞木嶋(京都府宇治市槇島)に向かいます。

川は、昨日の雨で水量が増え、水は濁って白波を立てている有様でした。川底の場所が分かり辛い状態だったのです。芝田兼義、これで諦めてしまうのかと思いきや、そうではありませんでした。『吾妻鏡』によると、兼義は「水練」(水泳の達者)であったようで、川に潜り、ついに、浅深の位置を確かめることができたのです。いくら水泳が上手かったとは言え、激流のなかに潜るのは勇気が必要だったはずです。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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