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【大河ドラマ鎌倉殿の13人】北条政子が見た不思議な夢と伊勢神宮への想いとは

濱田浩一郎歴史家・作家

承久の乱(1221年6月)が勃発する約3ヶ月ほど前(同年3月22日)。北条政子は、明け方に不思議な夢を見ました。それは、大きさが2丈(6メートル)もある巨大な鏡が、鎌倉・由比ヶ浜に浮かぶというものでした。

しかも、その鏡は声を発します。「私は大神宮(伊勢神宮)である。天下のことを考えるに、世は乱れ、兵士を集めることとなろう。北条泰時が、私のことを大事にすれば、世は太平となるであろう」と。

現代人ならば、このような夢を見たとしても(不思議な夢を見たな)と思うか、誰かにそのことを話して終わりという人が多いでしょうが、中世人は違いました。政子は夢を見たことを契機として、より一層、伊勢神宮を信仰し、そして、波多野朝定を使者として、すぐに神宮に派遣したのです(鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』)。

4月17日に、朝定は鎌倉に帰着しますが、彼は、神宮に奉納する政子の願書を持参していました(願書は、朝定から、神祇次官の大中臣隆宗に預けられました)。おそらく、政子は、神宮を崇敬すること、そして世を平穏を願う「願書」を奉納したのでしょう。

承久の乱が幕府方の勝利に終わり、世上が落ち着いた頃、政子は以前見た夢のことを思い出したようです(8月7日)。夢のなかで鏡(神)が仰ったことが、現実と符合したということで、政子は伊勢神宮に領地を寄進します。寄進状を持った使者が再び伊勢に派遣されました。内宮には、伊勢国安楽村と井後村が、外宮には伊勢国の葉若・西園の両村が与えられたのです。

伊勢神宮以外の神社(鶴岡八幡宮や諏訪神社)にも、同じような寄進をしたとのこと。承久の乱において、官軍に属した公卿や武士の所領は、3千にものぼっていました。政子は、それらを没収し、勲功の「深浅」により、分与したのです。政子の弟・北条義時が分与を執り行いましたが、自らは領地を殆ど貰わなかったので、世間で「美談」となったと『吾妻鏡』には記されています。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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