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【その後の鎌倉殿の13人】阿野全成の妻・阿波局死去。その時、北条泰時は?

濱田浩一郎歴史家・作家

嘉禄3年(1227)11月4日。晴れの日に、阿波局は亡くなりました。阿波局は、北条時政の娘です。北条政子の妹でした。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、女優の宮澤エマさんが、この阿波局(役名は、実衣)を好演されていました。時政の娘として生まれた阿波局が嫁いだのが、阿野全成。全成は、あの源義経の同母兄です(父は、源義朝。母は常磐御前)。阿波局は、頼朝(妻は北条政子)の次男・千幡(後の源実朝)の乳母となります。頼朝死後、2代将軍の源頼家と北条氏との対立が激化しますが、北条氏方と見られた阿野全成は、頼家に睨まれて、捕縛された上で、殺害されてしまいます(1203年5月)。この時、頼家は阿波局まで捕えようとしますが、姉の政子が引き渡し要求を拒否したため、阿波局は難を逃れました。夫・全成の死後も、阿波局には悲劇が続きます。建保7年(1219)には、息子の阿野時元が、謀反を企てたとして、北条義時が派遣した軍勢により、誅殺されたのです。夫ばかりでなく、子供までも、非命に倒れたのでした。阿波局の悲しみは如何ばかりだったでしょう。しかし、彼女の「声」を伝えるものは、残されてはいません。その阿波局が、先述のように、嘉禄3年(1227)11月に亡くなります。『吾妻鏡』(鎌倉時代後期に編纂された歴史書)には、彼女のことを「御所の女房」と記しています。そして北条泰時の「大叔母なり」と書いています。親族の死を受けて、泰時は30日の喪に服すため、自分の邸を出て、北条氏の被官・尾藤景綱の家に移ったのでした。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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