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【その後の鎌倉殿の13人】北条泰時を襲った1230年の悲劇的な出来事とは?

濱田浩一郎歴史家・作家

寛喜2年(1230)6月18日。鎌倉幕府の執権・北条泰時にとって、ショッキングなことが起こります。泰時の嫡男・北条時氏が28歳の若さで病死したのです。時氏は、泰時と有力御家人・三浦義村の娘(矢部禅尼)との間に生まれた子でした(1203年誕生)。承久3年(1221)に起きた承久の乱においては、父・泰時と共に東海道を攻め上り、宇治川の戦いにおいて武功を立てました。乱後は六波羅探題に任命され、京都に赴任していましたが、寛喜2年(1230)4月には鎌倉に戻っていたのです。鎌倉に到着して暫くしてから病を得た時氏。何れは、泰時の後継となり、幕府の4代執権となる立場でした。時氏の発病により、内外で祈祷が行われ、医師による診察もありましたが、効果はありません。そしてついに6月18日に亡くなったのです。時氏の死の3年前の嘉禄3年(1227)6月18日には、泰時の次男・時実が家人(高橋氏)により殺されるという悲劇的事件が起きていました。我が子2人の早世は、泰時に大いなる衝撃を与えたことでしょう。時氏の遺骸は、大慈寺の脇の山麓に埋葬されました。この時、泰時に後継となる男子はいませんでした。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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