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【その後の鎌倉殿の13人】4代将軍・藤原頼経の正月外出始めが延期されたのは源実朝暗殺事件が原因だった

濱田浩一郎歴史家・作家

寛喜3年(1231)正月(1月)9日。鎌倉幕府の4代将軍・藤原頼経(幼名は三寅)は、鶴岡八幡宮を参詣しました。御剣持ちを務めたのは、北条政村。北条義時とその後妻(伊賀の方)との間に生まれた子です。3代執権・北条泰時の異母弟になります。その泰時も、同日の将軍頼経の八幡宮参詣にお供していました。

将軍頼経は参詣が終わると、幕府御所に戻りますが、すぐにお出かけになります。出かけた先は、北条時房(義時の弟)の屋敷です。1月9日は、新年(1231年)になってからの初めての将軍のお出かけでした。こうした外出始めや弓始め(新年に初めて弓を射ること)は、当初は1月7日に行われるはずでした。

ところが7日は「甲午」の日であり、12年前の承久元年(1219)1月27日(甲午)に3代将軍・源実朝が甥の公暁(2代将軍・源頼家の遺児)に鶴岡八幡宮にて暗殺される事件があったということで、甲午の日は外出始めなどは避けた方が良いだろうという意見が出されます。よって、将軍頼経の外出始めは正月9日に延ばされたのでした。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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