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【大河ドラマ光る君へ】ドラマで藤原道長らが熱中した打毬とはどのような競技なのか?

濱田浩一郎歴史家・作家

大河ドラマ「光る君へ」第7回「おかしきことこそ」では、藤原道長(柄本佑)が藤原斉信(金田哲)や藤原公任(町田啓太)、直秀(毎熊克哉)らと共に、馬術競技「打毬」を行うという描写がありました。では、この打毬とはどのような歴史を持つ競技なのでしょうか。打毬は紀元前6世紀のペルシャ(イラン)を起源とし、日本には中国から伝来したとされます(西洋でいうとポロ)。毬杖で毬を打ちつつ、「毬門」(ゴール)に投げ入れる競技でした。伝来した確かな時期は不明ですが(8世紀頃か)、日本に現存する最古の和歌集『万葉集』(8世紀に成立)には、打毬に関する記述が見えます。

同書巻6に「梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びしことを宮もとどろに」(梅や柳の季節が過ぎるのが惜しいので、その梅柳を楽しもうと奈良を流れる佐保川に外出し、遊んだばかりに、宮廷中が大騒ぎになってしまった)との歌があり、その注に「打毬」の語句があるのです。それによると、神亀4年(727)正月、諸王、諸臣が春日野(奈良県奈良市)に集まり「打毬」をしていたのですが、その途中、天が曇り、雷雨となります。雷雨ある場合は、宮中を警備する者はすぐに戻らなければならないのですが、彼らは打毬で遊んでいたため誰もおらず。それに聖武天皇(701〜756)は怒り、遊んでいた者たちを授刀寮(武官を統轄する官司)に閉じ込めて、外出することを許さなかったのでした。作者不明の歌ではありますが、「宮もとどろに」(とどろは、音が大きく鳴り響く様)という表現に、大騒ぎする宮廷の様子と、雷鳴が轟く様が掛け合わされているようで、おかしみを感じます。ドラマにおいて、道長らも打毬を一生懸命プレイしていましたが、打毬には人々を虜にする魅力があったと言えましょう。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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