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【紫式部】歌会はバトルフィールド?その尋常ならざる才覚と和歌へ捧げた覚悟を現代のイメージに例えて解説

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

・・突然ですが。あなたは知人から「ねぇ、何か面白い話してよ」と、いきなり言われたら、ぱっと話すことが出来るでしょうか?

芸人や落語家など、よほどセンスのある人でもなければ、ほとんどの人は戸惑ってしまうと思います。

さらに振ってきた相手が社長や大先生など、とてつもなく権威のある人で「この場にふさわしい、気の利いた内容でたのむよ」・・という前提まで付けられたら、いかがでしょうか。

あげくの果てに「あぁ~、それを七五調で表現してね」と言われたならば、もはや頭が爆発してしまいそうですが・・それを、さらっとやってのけたのが、紫式部ら一流の歌人でした。

【刀を使わない戦い】

さて、彼女らが生きたのは西暦で言うと“1000年前後”と、たいへん覚えやすい切りの良さです。

この頃の貴族たちは兵を率いて合戦をする例は、ほぼありませんでした。むしろ、そのように血を流す行為は“穢れ”と、忌み嫌う風潮もあったといいます。

では毎日、のほほんと平和にどっぷり浸かっていたかといえば、そうでもありませんでした。出世争いや各々のプライドを懸けた、熾烈な精神面でのバトルがくり広げられていたのです。

その1つが宮中の“歌合(うたあわせ)”という行事で、歌人たちにとってみれば、オリンピックや甲子園にあたる、頂上決戦です。もともとは貴族の遊びや趣味の大会でしたが、次第に政治色を帯びるようになったと言います。

会自体もそうそう気軽には開催できず、そこへ出仕する人々の衣服や、用意する調度品にも細かい決まりがあるなど、準備もたいへんなイベントでした。

まさに権威の最高潮ともいえる位置づけで、そこへ選抜されるだけでも、とてつもない名誉。そこで人々をうならせれば華々しい昇進の道も拓けますが、逆にヘマでもしようものなら嘲笑され、一族ごと没落する可能性もあったのです。

・・さて、この“歌合”では、あらかじめ「左方」と「右方」という、いわば対戦相手が決められ、2人には同じお題が提示されました。

どれほど優れた歌を詠むかも重要ですが、互いの掛け合いがあり「あっちはこう詠んできたか!ならばこちらは・・」と、相手を上回る表現を目指したり、意外な裏を狙うなど、見た目の優雅さとは裏腹に、熾烈なバトルがくり広げられたと言います。

また当日も出場していきなりの即興ではなく、事前に対戦相手の傾向を研究したり「もう一回、万葉集を総ざらいしておくか!」といった、準備も大切でした。

過去の名作品や古典をうまく引用すると、教養の象徴となったり「こんな風に用いる(アレンジする)なんて!」という賞賛もあった為です。

また優劣の判定人は和歌だけでなく、その場での両者の振る舞い、着物のセンス、どんなお香を焚いているか・・なども、判断材料にしたと言われます。とにかく、あらゆる面を気に掛けなければならず、本当に大変でした。

ちなみに現在、東京国立博物館には、時代の異なる歌人たちが“歌合”で顔合わせする、空想を描いた書物が所蔵されており(時代不同歌合絵 ※重要文化財)そこには紫式部も描かれています。

ライトな例えにはなりますが、和歌を語り合う人々の間では、今でいうと大人気の“鬼滅の刃”や“ドラゴンボール”などで、作中でバトルはなかったキャラ同士の「戦ったらどっちが強い?」という議論を、ファンが楽しむような感覚があったのかも知れません。

【呼吸をするように歌を詠む】

なお“渾身の和歌”が求められたのは、特定の行事だけではありませんでした。

冒頭で「気の利いた話をして?」と振られる例えを出しましたが、紫式部も日本の頂点レベルの藤原道長などから、重要な場で求められることがありました。

しかも何の前触れもなく振られることもあり、一般人の感覚ではとんでもない無茶ぶりに思えますが・・紫式部クラスになると、即座に応じられる才覚を備えていたのです。

それも周りを「なんと見事な!」と驚かせるレベルで、もはや常人のはかりを超えた実力の持ち主でした。いったい、どのような修練を積めば、このような即興が可能になるのでしょうか?

ひとつは当時の貴族たちは、日常生活のいたるところに“和歌”が存在していました。家族、友達、恋人とのやり取りで、ここぞという想いを和歌に託していたのです。

また、その中には「こういう時には和歌を送って、受けた側もいつまでに返歌するべき」といった常識も、存在していました。

おそらく頭の中ではいつも言葉を巡らせ、その元となる観察眼も磨いていたことでしょう。

才能もあったでしょうが、寝ても覚めても言葉を巡らすような努力もあったと思われ、そうした下地が、“呼吸をするように和歌を詠む”ことを可能にさせたのではと、想像できます。

いつでもメロディーを考えているミュージシャンが、即興で曲を演奏したり、達人レベルの画家が、いきなり見事なイラストを描いたりと、いっけん“魔法”のように思える神技も、それまで膨大な時間ふれてきたからこそ・・というケースがあります。

どこか、そうした事にも、通じるものがあると思われます。

【時代それぞれの世界観】

たとえ合戦はなくても、精神面でバチバチに火花を散らすこともあった、平安時代の貴族たち。

和歌は手紙であり教養であり、しかし重要な場面や“歌合”のときなどは、たった31文字で未来が決まることもあり、その“運命の瞬間”に懸ける緊張感は、サッカーワールドカップのPK戦にも、劣らぬものだったでしょう。

・・ちなみに以前、筆者は日本史の資料集で“平安貴族の暮らし”を見たとき、今のような娯楽もなく「よほど退屈だったのでは」と思えましたが、意外とそこまでヒマではなかったように思われます。

それどころか、いつも感性を研ぎ澄ませて言葉を追究し、大事な儀式を控えれば手に汗握る日々は、現代の一般人より濃密であった可能性も。

どのような歴史や文化も表面のイメージで切り取らず、その時々の世界観に寄り添うことで、当時の人々のすごさや精神的な豊かさなど、様々なものごとが見えてくる気がします。

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。鬼滅の刃とドラゴンボールZが大好き■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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