ショートフィルム

ナマハゲ in フランス 〜異国の写真家が見た日本の伝統〜

長谷川歩

ジャーナリスト

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<フランス・リヨンに現れたナマハゲ>
 2018年11月下旬、フランス第二の都市・リヨン。買い物客で賑わう目抜き通りに、ひときわ異彩を放つポスターがあった。それは海岸に佇む2体の「ナマハゲ」。われわれ日本人にとっては一瞬ギョッとする光景だが、ポップな色彩がリヨンの灰色の街並みとマッチしているような気がするから不思議だ。赤いナマハゲ、青いナマハゲ、浜辺に積もる雪の白。それら3色の組み合わせがトリコロールカラーであることも偶然の一致としては出来過ぎな気がしてしまう。この写真を撮影したのはフランス人の写真家、シャルル・フレジェである。彼は2014年から2015年にかけて日本各地を巡り、ナマハゲをはじめとする数々の祝祭を撮影した。北は秋田県から南は沖縄県まで、訪れた地域は実に50箇所以上にものぼる。その仕事は写真集「YOKAINOSHIMA 日本の祝祭—万物に宿る神々の衣装」(青幻舎)として結実し、世界各国で多くの反響を巻き起こすこととなった。2018年は日仏国交樹立160周年。リヨンの博物館 Musée des Confluencesでは1年以上に渡ってシャルルの作品を集めた展覧会を開催しており、先述のポスターはその告知のためのものである。実は、私はシャルルの撮影旅行の大部分に同行し、その一部始終を記録するという貴重な体験をさせてもらった。きっかけは2014年2月、秋田県男鹿市の民家で交わされた何気ない会話、そして、わずか数枚の写真だったー。

<ナマハゲは何のために?>
 その時、私はとあるテレビ番組の取材のため、極寒の男鹿半島を訪れていた。この地では毎年2月に「なまはげ柴灯(せど)まつり」という行事が行われているのだが、その中でナマハゲの劇に出演するという男の子の取材交渉を行っていた。実はその子の父親が取材を受けることに難色を示されており、厚かましくも、ご自宅に押し掛けて懐柔作戦に出たというわけだ。新鮮な海の幸と日本酒のおかげで酔いが回り、いつの間にか交渉はうまくいっていた。そんな中、ふと素朴な疑問が湧き上がり、その父親に「ナマハゲって何のためにあるんですか?」と尋ねていた。すると、「知らん」という即答ののち、一拍置いてからこんな答えが返ってきた。「知らんけど、ナマハゲが無くなってしまったら男鹿は男鹿でなくなる」と。その言葉を聞いたとき、なぜだかはわからないが一瞬だけ酔いが醒めた気がして、「姿勢を正さねば」と感じたことを覚えている。かいつまんで言うと、ナマハゲとは「怠け者の子供を戒める神」だ。少子高齢化が加速する地域にあって、その存在意義は薄れつつあるのではないだろうか?また、果たして、町から子供が一人もいなくなってしまったとしてもナマハゲは存続していけるのだろうか?そんな不躾なことを考えながらも、決して口には出さない良識を辛うじて保ちつつ、そして、夜更けまで酒を酌み交わすことなった。

 その翌日、私は取材の資料を集めるため、男鹿市真山地区にある「なまはげ館」に立ち寄った。そこで遭遇したのが「ヨーロッパのナマハゲ」という展示コーナーだった。スロヴェニアとポーランドだったか、館内の片隅には数枚の写真と幾つかの仮面が飾られており、ナマハゲと似たような風習がヨーロッパ各地に点在していることが書き記されていた。係員の男性によると「ルーツは同じだ。昔は一つの大陸だったからねぇ」などと、スケールの大きなことを事もなげに言う。前日の父親の言葉とヨーロッパのナマハゲ。この2つのファクターが私の脳内で絡まり合うのを感じた。東京に戻るや否や、私は「ヨーロッパのナマハゲ」というキーワードに基づいて、テレビ番組の企画書を作成しようと動き出した(と言うか、まずは「ヨーロッパ+ナマハゲ」でググっただけなのだが)。すると、「シャルル・フレジェ」という写真家の名前がヒットし、彼が撮影した「WILDER MANN 欧州の獣人—仮装する原始の名残」(青幻舎)なる写真集が世界各国で話題を集めていることを初めて知る。この書籍との出会いがまさに私には「ツボ」だった。ヨーロッパ各国に伝わる祝祭の仮装文化にフォーカスしたスタイリッシュな作品の数々。21世紀の現代社会にあって、ここまでワケのわからぬものたちが未だ存在していることに対する驚きと喜び。何より、ヨーロッパの祝祭なのに「懐かしさ」を感じるという不思議な感覚に胸が躍った。早速、旧知のキュレーターに連絡を試み、「WILDER MANN」の版元である青幻舎の編集者を紹介してもらった。数日後、同社にお邪魔し、「彼を日本に呼べないか?」という働きかけをしたのだが、「いや、呼ばなくても来ますよ。この夏に」という答えが返ってきた。シャルルは既に次のプロジェクトとして「日本の仮装文化」を選んでいたのだ。運命の糸に手繰り寄せられるかのように、ほどなく私はフランス・ノルマンディ地方のルーアンという街に飛ぶこととなった。そして、シャルル・フレジェ本人と会い、「撮影旅行に同行させてくれないか?」と頼んだ。シャルルは日本からやって来た奇妙な日本人に戸惑いながらも「Yes.」と答えてくれた。2014年6月のことだ—。

 ここから日本各地を駆け巡る怒涛のような旅が始まることになるのだが、その顛末を全て書き記すとなると分厚い一冊の本になってしまう。次項ではその一部を紹介しよう。

<フランス人写真家と伝統の担い手との衝突>
 写真家シャルル・フレジェとの旅は、およそ60日間にも及んだ。来日は合計4度。炎天下の海岸や吹雪の山中など、過酷この上ない撮影は今となっては忘れがたい思い出となった。だが、日本人である私にとっては心中穏やかでないケースも多く、キリキリと胃が痛む日々が続いた。その要因は、伝統を担う人々と異国からやって来た写真家との激しい衝突である(「衝突」という言葉は「文化的価値観のズレがもたらした対立」と言い換えてもいいかもしれない)。それはそうだろう。いきなり外国人が訪れて、神聖な儀式の写真を撮らせて欲しいと懇願し、場合によっては祝祭とは縁もゆかりもない山奥や海辺でポーズを取らせるわけだ。若い担い手たちは面白がって協力してくれたし、大部分のグループは不承不承ながらも容認してくれた。しかしながら、頑なに拒絶する一部のグループがあったことも事実である。その一つが長野県阿南町の「新野の雪祭り」だ。降りしきる雨の中、神社の外での撮影を熱望したシャルルは保存会の人々からの猛反発に遭うこととなる。「聖域の外(=神社の敷地外)に仮面を出すわけにはいかない。800年間出したこともないし、その前例を作るわけにはいかない」というのが彼らの言い分である。「ごもっとも」「そうですよね」と言うしか選択肢はない。私はシャルルの代わりに叱責を受けたのだが、取材者という中立の立場から、返答を濁す以外になす術がなかった。結局、公演などで使用するというレプリカの仮面を神社の敷地外に持ち出すことで双方の妥協点を得たのだが、私の中には釈然としない後味の悪さが残ることとなった。

 こういったシーンの数々は2017年9月にWOWOWで放送されたドキュメンタリー「シャルルの幻想の島〜日本の祝祭とフランス人写真家〜」の中で詳しく描かれているので、機会があればご覧になっていただきたいと思う。何はともあれ、このエピソードの教訓を考えたときに一つの答えとして導き出されるのは「私たち日本人の宗教観は西洋人にはわかり得ない」ということか。おそらく、それでは不十分だと思うし、きっと模範回答などあり得ないのだろう。なぜなら、伝統の担い手たる当事者たちが「なぜ仮面を聖域の外に出してはいけないのか」という問いに対して、第三者を納得させられるだけの答えを持ち合わせていないのだから。

<日本の神々に宿る普遍的な美>
 シャルルとともに訪れた先々で私が九官鳥のように繰り返した問いかけがある。それは「あなた方にとって、このような伝統や祝祭はなぜ必要なのでしょうか?」というものだ。そして、ほぼ100パーセントの人々が答えに窮することとなった。「昔からそう決まっているんだから仕方ないだろう」「そんなことは知ってはいけないことだ」「考えたこともない」などなど。その昔、NHKがナマハゲの番組を作ったときに、若いディレクターが「ナマハゲの正確なルーツが知りたい」と地元の人を問い詰めたという話を聞いたことがある。気持ちはわかるが、私はそのディレクターのことをナンセンスだと思う。「そんなことは誰もわからない」という事実を電波に乗せればいいだけの話ではないか。世の中には理屈では解明され得ない不可解なことは山ほどあるのだし、「わからない」からこそナマハゲが神々しい存在であり続けていられるのだと思う。

 さて、ナマハゲと言えば、シャルルはこの日本を代表する来訪神を雪の降り積もる海岸へ連れ出すことに成功した。本来は大晦日の夜に山から降りてくる神々である。彼らが白昼堂々、列をなして海岸線を歩いている映像はシュールの極みであり、保存会の男性も「参ったなぁ」と苦笑いする以外になかった。そう、そのときにシャルルが撮った写真が冒頭に紹介したリヨンのポスターだ。中には「許容できない」と感じる方もいらっしゃるかもしれない。なぜなら、ナマハゲとは山にいるべき存在なのだから。しかし、シャルルは民俗学者ではなく、アーティストである。彼が追求したのは「日本の仮装文化に宿る究極の美しさ」だった。このナマハゲの写真は、一切の先入観にとらわれない、外国人写真家ならではのアプローチが生み出した象徴的な1枚だったと言えるだろう。

 後にシャルルは「このプロジェクトは日本の祝祭を説明するためのルポルタージュではない」と断言している。しかしながら、「YOKAINOSHIMA」が夥しい数の日本の土着文化に新たな光を当てたことは紛れもない事実であり、その中には過疎化のために存続が危ぶまれている地域の祝祭も数多く含まれている。東日本大震災の影響で活動を停止していた岩手県大船渡市の「タラジガネ」に至っては、シャルルの撮影のために地域住民が一致団結。その数年後に活動が再開されたという逸話まで残されている。間接的な影響ではあるが、アートとして記録に残ることが被災者たちに勇気を与えたことは大いに評価できるのではないだろうか。

<来訪神・ユネスコ無形文化遺産への登録>
 奇しくも、私が今回の取材のための渡仏準備をしていた矢先、ナマハゲをはじめとする日本各地の「来訪神〜仮面・仮装の神々」がユネスコの無形文化遺産に登録されるというニュースが飛び込んできた。そして、11月29日、モーリシャスで開かれたユネスコの委員会において、以下、8つの県の10の伝統行事の登録が正式に決定された。

【男鹿のナマハゲ〜秋田県男鹿市、甑島のトシドン〜鹿児島県薩摩川内市、能登のアマメハギ〜石川県輪島市、能登町、宮古島のパーントゥ〜沖縄県宮古島市、遊佐の小正月行事〜山形県遊佐町、米川の水かぶり〜宮城県登米市、見島のカセドリ〜佐賀県佐賀市、吉浜のスネカ〜岩手県大船渡市、薩摩硫黄島のメンドン〜鹿児島県三島村、悪石島のボゼ〜鹿児島県十島村(順不同)】

 文化庁のホームページに安倍晋三総理大臣のコメントが掲載されていたので、以下に全文を引用する。

『外界から訪れ、人々に幸せや豊かさを約束する「来訪神」。それは、我が国の豊かな自然風土の中で生まれた人々の祈りの形であり、また、外から訪れるものをもてなす日本の伝統的な精神の現れです。本日、ユネスコ無形文化遺産に「来訪神:仮面・仮装の神々」が登録されましたことを嬉しく思います。幾世代にもわたり、各地域で受け継がれてきた10件の「来訪神」行事を、誇りを持って次の世代へと継承するとともに、国内外に発信していきたいと思います。平成30年11月29日 内閣総理大臣 安倍 晋三』

 極めて紋切り型であるゆえに感想の述べようもないのだが、「誇りを持って次の世代へと継承する」ための施策をぜひ実践していただきたいと切に願う。

 ちなみに、シャルルは前掲の10行事のうち、実に8つの行事の撮影に成功している。今回の決定に先立つこと2年半、2016年の夏に「YOKAINOSHIMA」が出版されていることを考えると先見の明があったというべきか。この報せを受け、シャルルはひとまず「喜ばしいことだ」と述べた。しかし、彼の意見は安倍総理と比較すると少しばかりシニカルである。以下にインタビューの一部を引用する。

『ユネスコの文化遺産登録は政治的なものであって、かつ、観光的な意味合いが強いものだ。現地の人たちにとってはそれほど重要じゃないと思う。喜ばしいことだけど、「オマケ」みたいなものじゃないだろうか。ただ、そのことによって伝統文化が「真空パック化」されてしまう危険性を孕んでいるとも言えるだろう。定義づけてしまうことで、伝承されてきた行事が「固定」されてしまうというわけだ。伝統とは本来、変化し続け、改新され、消滅して行くものだ。伝統が生まれることと失われていくことはひと繋がりの連鎖だと思っている。伝統は永続が運命づけられているわけではなく、失われてゆくものもあるし、再発掘されるものもある。豊かな伝承文化はユネスコの登録がなくても存続することができるんだ。』

 シャルルの言う「真空パック化」という言葉はやや意訳しているのだが、文化遺産に登録されたことによって伝統行事を取り巻く環境がどのように変容していくのか、真価が問われるところだと思う。忘れてはならないのは、ナマハゲに代表される「メジャーな伝統行事」の他にも日本全国には無数の行事が存在し、そして、人知れず失われているという事実である。シャルルは次のように続けている。


『それらの文化にとって最も深刻な問題は人口の減少だと思う。僕が撮影した場所でも、行事に携わっていたのはお年寄りばかりだった。ヨーロッパでもそれは同様で、農村地帯の仮装文化の置かれている状況は悲劇的だ。経済的にも社会的にも孤立していて、深刻な問題となっている。だから、そういう地域に国際的な評価を与えることは彼らに「伝統を継承したい」という勇気づけにはなるかも知れない。それは非常に大事なことだと僕は考えている。』

 シャルルが指摘する通り、例えば、秋田県は全国47都道府県で人口減少率と高齢化率が全国で最も高い。ナマハゲの拠点である男鹿市の状況はさらに深刻で、2012年3月からの6年間で人口は15パーセントも減少しており、20代の若者に至っては35パーセントという極端な減少率が報告されている。そして、鹿児島県の悪石島の人口はわずか70人。私がシャルルと訪れた2014年には55人だったので少し増えているようだが、それでも行事の継承に当たっては苦労が絶えないことだろう。そういえば、悪石島の男性も「ボゼが無くなったら、この島は沈む」と言っていた。冒頭で紹介した男鹿の発言と同義である。「心の拠り所」と言ってしまえばあまりに抽象的すぎるだろうか。しかし、ナマハゲやボゼといった伝統行事は、その地域に生きる人たちにとってのアイデンティティーそのものなのである。まず守るべきは行事ではない。人々の営みそのものなのだと私は考える。

<伝統を継承するために何をすべきか>
 さて、話題は一気に2020年の東京五輪へと飛ぶ。われわれ日本人は世界中から注目される一大イベントを間近に控えているわけだが、政府の試算によると実に3兆円もの費用がかけられるという。さらに、海外からの訪日客は4000万人と予想されている。政府がどのような「おもてなし」を考えているのかは全く分からないし、「祭り」が終わった後のことはもっと分からない。五輪に対して賛成か反対かという話はさておき、今こそ「自国の文化を知るべき良い機会」だと思うのは私だけではないだろう。別にナマハゲなどの来訪神をアピールするというのではない。そういった行事に込められた精神や、古くから伝わる日本的なるものを大切にしなければならないと考えてしまうのだ。真のグローバル化とは、まず己を知ることから始まるのだと思う。そのことを、私はシャルル・フレジェという外国人の写真家から教えてもらったような気がしているのである。今回のユネスコの一件は「わが故郷」のことを考える契機だと受け止めたい。日本の魅力を発信できるのはTOKYOだけではないのだから。この国を支えてきたのは、名も無き地方の、名も無き人々なのだ。そのことを絶対に忘れてはいけないと私は強く感じている。

クレジット

All images copyright Charles Fréger

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