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「海のない沖縄」の真実。移住地に派遣された教師の葛藤と希望とは?

長谷川歩ジャーナリスト

 11年ぶりの再訪は「変化」を思い知る旅となった。決して劇的な変化ではない。滴り落ちる水が石を削るような、ゆったりとした変化。私はそこに「歴史そのもの」を見たような気がした。
 コロニア・オキナワ(以下、オキナワと呼ぶ)を最初に訪れたのは2008年のこと。短い滞在だったが「こんな場所が世界にあったのか」という驚きに満ちた日々。沖縄よりも沖縄らしい移住者たちの暮らしに魅せられた。以来、この地を再訪することが取材者としての使命のように思えてきた。そして、ことあるごとに計画を立てては、都度、頓挫した。南米はあまりにも遠すぎる。歳月だけが徒らに過ぎていった。
 ボリビア第二の都市・サンタクルスに降り立ったのは深夜だった。日系二世の比嘉徹さんと再会を果たし、彼の車でオキナワへと向かう。道が整備され、新たに橋も開通したという。2時間ほどの快適なドライブ。思っていたよりも速く目的地に到着した。そこには11年前と変わらぬ満天の星空が広がっていた。
 翌朝は早朝からホテルの近所を散策した。道幅は変わっていないし、トラックが通過すると巻き上がる砂煙も同じだ。相変わらず野良犬は多いし、原付バイクの3人乗り、4人乗りは当たり前。しかしオキナワ特有のノスタルジックな匂いが少し薄れたような気がした。うまく表現できないのだが、久々の再訪がもたらす「視覚のズレ」のような違和感を覚えた。
 オキナワでは月に数回、お年寄りのためのデイサービスが行われている。当たり前だが、11年も経てば顔ぶれも変わってしまう。見覚えのあるお年寄りはわずかだった。悲しいかな「一世がいなくなる日」は必ず訪れる。今回は派遣教師の取材が主目的だったのだが、私は「一世の取材」へと少し舵を切ることにした。そうしなければオキナワを表現することなどできないし、派遣教師の活動を取材する意味も無いような気がしたからだ。
 昼下りにゲートボール場に行くと一世の方々に会うことができる。屋根付きの立派な施設。時折、沖縄の方言が飛び交う。ここはどこなんだろう。以前にも感じた奇妙な感覚に眩暈を起こしそうになる。オキナワは距離だけではなく時空さえをも超越している場所なのだ。そして避けては通れない戦争の話。沖縄には希望がなかった。だからボリビアにやって来た。やがて60年の歳月が経った。今は幸せだ。沖縄に帰りたいとは思わない。言葉の力。一世たちの顔。映像とはこのようなものたちを記録するためにあるのだと感じた。滞在中、ある一世のお年寄りが亡くなったという報せが入る。「またか」と呟く女性を見た。この先、オキナワはどうなるのか。よそ者の私は本題である派遣教師の取材のためにオキナワ第二移住地へと移動した。
 その青年と初めて会ったのは学校の校庭だった。山里将平、29歳。「好漢」という死語のような言葉がぴったりの若者だ。趣味は筋トレ。自宅には鉄の塊が幾つも置かれていた。これまでにオキナワに来た派遣教師とは何人か会ったが、彼は何かが違う。良くも悪くも肩に力が入っていないのだ。自然体でこの地域と向き合っている。面白いことに彼はオキナワに来てから三線を習い始めたという。このことはオキナワには沖縄では味わえなくなった「らしさ」がまだ残っていることを意味する。半ばガラパゴス化した地でアイデンティティと向き合う派遣教師はオキナワの子どもたちに沖縄を教えなければならない。しかし子どもたちの家庭では沖縄方言はおろか日本語すら使われていない。これが現実であり、11年前とは明らかに異なるオキナワの現在地だった。
 先述の通り、橋が開通するなどして交通の便が良くなったオキナワにはボリビア人が多く暮らすようになった。加えて日系人の少子高齢化が進んだことで人口比に大きな変化が生じている。そのため、私が11年前に感じた「沖縄そのもの」という空気感は一気に薄れた。この傾向にはさらに拍車がかかるのだろう。しかし山里にも地域の人々にも不思議と悲壮感は無い。ある若者は「日本の田舎も同じでしょう?」と笑いながら言っていた。私は「まぁ、そうだよね」と答えるしかない。そんな中、腑に落ちる考え方に出会った。一世の家庭を訪ね歩く中、ある女性がこんなことを言っていたのだ。「オキナワとボリビアのいいところを取り入れて新しいオキナワを作ればいい」。
 派遣教師の任期は約2年。山里はこの地に何を与え、何を得るのか。おそらくその答えは教え子たちが大人になった時に見つかるのだろう。教育とは種を蒔くもの。どんな花が咲くのかは誰も分からない。一世、二世の思いはどのように受け継がれていくのだろうか。三世、四世の子どもたちは移りゆく状況の中でどのような生き方を選択していくのだろうか。沖縄とオキナワは繋がっている。私たちは現在進行形の歴史に目を向けなければならないのだと思う。

受賞歴

WOWOW「ノンフィクションW シャルルの幻想の島〜日本の祝祭とフランス人写真家〜」(2017年)
日本民間放送連盟賞 The Asian Television Awards グランプリにノミネート(それぞれ優秀賞を受賞)

クレジット

撮影 編集:長谷川 歩
ドローン撮影協力:具志堅 勝
取材協力:独立行政法人 国際協力機構(JICA)

(派遣教師についての補足情報)
当初は沖縄県の教育委員会からの派遣だったが、2014年より教育委員会とJICAが連携。青年海外協力隊員としての派遣となっている。

ジャーナリスト

早稲田大学卒業後、テレビ制作会社に入社。報道局スタッフとして米同時多発テロの取材などに従事する。フリーランス転向後、スペインの日本人闘牛士やロシアのエルミタージュ美術館、旧東ドイツで活動していた女性スパイなど、世界の文化・歴史に関するドキュメンタリーを多数制作。東日本大震災以降は外国人ジャーナリストの視点から復興を見つめる作品や被災地の民俗芸能に関する作品などを監督する。最近作は日本の祝祭を撮影するフランス人写真家を追った「シャルルの幻想の島〜日本の祝祭とフランス人写真家〜」。

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