トイレットペーパーに便器?自由奔放な歴史的人物を独自の世界観で描く!【神戸市・横尾忠則現代美術館】
トイレットペーパーを体に巻き付け笑い合う、楽しそうな二人の姿。「寒山(かんざん)と拾得(じっとく)」と呼ばれる彼らは、僧でありながら俗世を笑い飛ばし数々の奇行を行ったことでも有名で、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と普賢菩薩(ふげんぼさつ)の生まれ変わりとも言われています。
道に達した悟人とも言われる寒山は沢山の詩を読んだとされていますが、詩を書き取るよう手に持っていた寒山の「巻物」を「トイレットペーパー」という姿に変化させたのは、画家・横尾忠則ならではのユーモア。
二人を便器に座らせたり、拾得が手に持つホウキが電気掃除機にとって変わるなど遊び心たっぷりで描かれています。
横尾忠則現代美術館で新たに行われる「寒山拾得への道」での展示作品は72点、その内31点はコロナ禍での新作。1ヶ月に何十点も描くような凄まじい制作意欲について「コロナの動物的なエネルギーを味方にして描いている」と語る横尾さん。
一見、マイナスのエネルギーに思えるものをプラスに切り替えてしまう横尾さんの凄さは、他の部分にも現れています。
実は7年程前から難聴の症状があり、それに加えて腱鞘炎(けんしょうえん)にもなっている横尾さんなのですが、そういったマイナスも独自の視点で捉えています。
難聴で視野も朦朧(もうろう)とし、腱鞘炎で絵筆も思ったように動かせないような状況を逆手に取って、新たな技法としました。それが横尾流の「朦朧体(もうろうたい)※」です。
自身が朦朧としていることで作品に揺らぎや曖昧さが自然と現れたり、現実と夢との境目がなくなるような精神状態なども含めた全てを、そのままに受け入れて描かれた作品のあまりの生々しさにドキッとさせられます。
世の中の災難や、自分に降りかかる身体的苦しみを受け入れることってそう簡単ではないですよね。ましてやそれをプラスにまで持っていくには物凄いエネルギーが必要に思えるのですが、横尾さんは「創造する」という方法でそれを見事にやってのけています。
だからこそ一見ユーモア溢れる絵の中にも、独特の深みのあるメッセージのようなものが見え隠れしているのかも知れません。
絵の意味や内容よりも、新たなスタイルを試すためのモチーフの選択を重視しているというだけに、逆に横尾さんの内面がストレートに反映されているような。
朦朧体も含め、コントロールできないことが面白いのだと語る横尾さん。頭の中で考えたことではなくもっと内側から湧き上がるものを表現したいと、自身の朦朧体を「これこそが求めてきたものかも」とまで…芸術家として生きることの凄まじさを思い知らされました。
85歳でまだまだ現役の横尾さん。最新の作品を「初心に戻ったような形」だとも言っています。常に変化することを楽しみ、マイナスさえも制作するエネルギーに切り替えてしまう「横尾忠則」という人物…そして、そんな彼の在り方そのものが反映された作品展「寒山拾得への道」。
「寒山拾得2020」にはまた、はっきりとした変化の象徴も現れています。彼の絵に度々登場してきた「首吊り縄」は、1965年の<< TADANORI YOKOO>>のポスターに描かれて以来なにかと登場してきていましたが、この絵にはそれと共に「メビウスの輪の形の縄」が描かれています。
メビウスの輪の中に時計があるのですが、色んな制作の道を通って今また初心に立ち返った横尾さんが、絵を書き始めた頃の横尾忠則と時を経て繋がり直したという風にも思えませんか?何せ暗号のようなものがあちこちに隠されているのも横尾作品の面白さなのです。
横尾忠則の「絵画を見る」という以上に、横尾忠則の「生き様を観る」という感じがした今回の作品展。大変な時代において困難をポジティブに転換する方法を、芸術という形で示してくれた横尾さん。
型にハマることなく世の中を笑い飛ばしながら生きろと、横尾作品の「寒山と拾得」も絵の中からメッセージを発しているかのようです。
横尾忠則現代美術館は今年の11月に開館10周年を迎えるそうなのですが、まさにそれを飾るにふさわしい内容となっています。皆さんも是非、新たな横尾忠則の誕生を祝いに駆けつけてみてはいかがでしょうか。
「Forward to the Past 横尾忠則 寒山拾得への道」
横尾忠則現代美術館HP (外部リンク)
場所:神戸市灘区原田通3-8-30
TEL:078-855-5607(総合案内)
OPEN:10:00-18:00(入場は17:30まで)
休館日:月曜日(ただし祝日の場合は開館、翌平日休館)
Google マップ
※朦朧体(もうろうたい)…本来の朦朧体とは、近代日本画壇の巨匠・横山大観が生み出した技法で、絵画の輪郭を敢えてはっきりと描かないことを指す。横尾忠則はそこに、自身の朦朧としたような状態を重ね合わせている。