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「ATMでお金おろせなかった」発達障害の世界的ダンサー、“遅咲き“までの道のり

壱岐紀仁映像ディレクター、シネマトグラファー

「犯罪者になるかもしれない。そんな不安を抱えていた」。パフォーマンス・アーティストのサカクラカツミさん(58)は、笑いながら自らのことをこう語る。映像とパフォーマンスを融合させたステージで世界を魅了するアーティスト。これまでに40を越える国に招かれ、国際的なスポーツ大会でもパフォーマンスを披露してきた。

サカクラさんは、ADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム症)と呼ばれる発達障害がある。好きなことだけに集中する性質が原因で、長い間社会に居場所を作れないでいた。ブレイクしたのは47歳の時。なぜ、彼は世界的に評価されるアーティストになりえたのか?なぜ、諦めずに好きなことを続けてこられたのか?個性を貫き、我慢せずに生きる彼の哲学を通じて、多様性を認め合う社会のあり方を考える。

●周囲との違いを感じた幼少期
「何をやっても不出来だった」。サカクラさんは、幼少期をそう振り返る。勉強も、運動も嫌い。唯一好きだったのは絵を描くこと。描き始めたら一瞬で時間が飛んでしまうような感覚で、朝から晩まで一滴の水も飲まずに夢中で絵を描き続けた。ひたすら自分の世界に没頭する日々の中で、自分が他の子と違うことへの不安や恐怖を募らせていったサカクラさんは「自分は普通じゃないんだ。このまま大人になってしまったら犯罪者になるんじゃないか」と本気で考えるようになったという。

●転機となった母の教え
転機となったのは、そんな不安を打ち明けた時に母から返された言葉だった。
「何言ってるの?あなたみたいに集中して絵を描いたり物をつくるって、それだけで素晴らしいことよ」
確かに、母から勉強を強いられたことはなかったし、絵を描きたいからと学校を休んでとがめられたこともなかった。「あなたが本当にやりたいと思うことを自分で選びなさい」と信じてくれた。自分は人とは違うけど、そのままでいいんだ!そう思えた瞬間、彼の世界に光が灯された。サカクラさんはその時、自分のやりたいことにとことん熱中し、中途半端にしないよう誓ったと語る。

●職場を転々とし、挫折ばかりの日々
今でこそ「特別」と評される彼だが、その歩みは決して順風満帆ではなかった。パフォーマンス・アーティストとして世の中に認められたのは、ようやく50歳を前にした時だ。それまで何十もの職場を転々としたが、彼の個性を受け入れてくれる居場所はどこにもなく、1日で辞めてしまうこともあった。そんな時に出会ったのが、ダンス・パフォーマンスだった。HipHopカルチャーに衝撃を受け、斬新なリズムに合わせてダンスをすることにそれまでにない喜びを感じた。

「ダンス・パフォーマンスだけが、唯一自分に残されたものだったんです」とサカクラさんは振り返る。覚悟を決めた彼は、自分の表現を認めてもらうため単身米国のロサンゼルスに飛び込む。ダンスイベントを探しては自身のパフォーマンスを録画したビデオテープを配り歩いた。だが、目の前でゴミ箱に捨てられる日々が続く。「ビデオテープを作るのにもお金がかかっていたので、生ゴミまみれのテープを泣きながら拾っていましたね。それを何年続けたことか」。結果が出せずに経済的に困窮した彼は、家族や知り合いに借金をしながら、アーティストとしての道を必死に追い求めた。

●まわりが信じてくれたから、自分を信じ続けることができた
壁にぶつかっていたサカクラさんを支えたのは、「個性を伸ばす」という母の教えと、自分を信じてくれる妻・のりこさんの存在だった。「普通の人ができることが何もできない」というサカクラさんの個性を、のりこさんは「楽しい」と表現する。ATMでお金がおろせなかったり、買い物を頼んでも必ず何かを買い忘れてしまったりする一方で、服をデザインさせたらどこにも無いかっこいい服を描いてしまう。のりこさんは、夫がいなかったらこんな楽しい人生にはならなかっただろうと笑う。
「私には無いところがすごく魅力的だった。彼が好きなことを頑張っているから、私自身も輝いていないと人生もったいないなって。サカクラカツミと並走してきたからこそ、それが私のプラスになってると思います」

そんな妻の生き方に、サカクラさんはダイバーシティ(多様性)の理念を社会で実現するためのヒントがあるのではという。「アーティストの側面だけじゃなくて、日々の生活における『できない』部分さえも『ユニークな個性』と捉える眼差しこそが、いま社会で盛んに啓発されている『多様性を受け入れる』ことなのではないかと思うんです。多様性を受け入れようっていうのは、単にそう言うだけで後は無関心だと意味がない。その人の個性を『普通の人ができることをできない人』と切り捨てるのではなく、『どうして自分と違うんだろう?面白いな』って興味を持つ視点があれば、そこからコミュニケーションが生まれるし、本当の意味で多様性を受け入れるって事につながっていくんじゃないのかなと感じています」

●サカクラさんの生き方に影響を受ける若い世代
サカクラさんの経験から導き出された「欠点に思えるようなことが、誰にも負けない個性になりうる」という考え方は、若い世代にも大きな影響を与えている。その一人が、プロダンサーを目指す高校生・大川正翔さんだ。未熟児として生まれ、人よりも身長が伸びないことにコンプレックスを抱いていた。成長ホルモンを投与する努力も報われず、「ダンスを諦めなくちゃいけないのか」と自暴自棄になっていた。ダンサーとしての理想像と現実とのギャップに苦しんでいた時に出会ったのがサカクラさんだ。「背が低いという個性があるからこそ、君がステージに立った時にぐっと観客の興味を引ける。正翔は特別に輝ける可能性を持っているんだよ」。サカクラさんの言葉は、正翔さん自身と家族の考え方を大きく変えた。絶望が希望にひっくり返った瞬間だった。正翔さんは「サカクラさんに大きな夢をもらったから、サカクラさんを超えるダンサーになることで恩返ししたい」と目を輝かせる。

●医師が語る「超高齢社会における生き方の処方箋」となるサカクラカツミ 
眼科医・産業医の三宅琢さんは、医療と福祉の垣根を超えた次世代病院の空間設計を行ったり、IT技術で視力の弱い患者のクオリティ・オブ・ライフを高める研究に取り組むなど、医療の枠に留まらない「社会を治す」活動を展開している。そんな三宅さんが、サカクラさんのアーティスト活動を支援している。サカクラさんの生き様を、三宅さんは「生き方の処方箋」と評する。超高齢化社会では、見えない、聞こえない、覚えられない、動けないなどさまざまな「できないこと」を誰もが抱えて人生100年時代を過ごしていくこととなる。最近の医療現場では、死への恐怖以上に「長く生きる事への恐怖」が語られることが多くなっているという。

そんな社会に必要になるのは、他人と比較せず「自分らしく生きる幸せ」を見つけることではないかと三宅さんは語る。特に日本では幸せに生きるための教育や情報が圧倒的に不足している中、社会での生きづらさを抱えてきたサカクラさんの好きなことにこだわり抜く生き様は、私たちの生き方の一つのロールモデルになり得るのではないか。

●できないことは、誰も真似できない個性になる
パフォーマンスが国際的に評価されているサカクラさんを「特別」という人もいる。ただ、彼や彼のまわりの人々が貫き通してきたのは「できないことを個性と捉え自分を受け入れる」「好きなことを我慢せずにやり続ける」といういたってシンプルなことだ。ただ好きなことを続けていくうちに、彼はいつの間にか誰も真似できない個性を獲得していた。気付いたら世界中で求められる唯一無二のアーティストになっていた。情報に溢れ、幸せの形を見失いやすい現代社会では、彼らのように周囲との違いを認めていくこと、自分だけの個性を出し、自分なりの幸せを探求することの重要性が増している。生まれ持った個性を尊重し、欠点をも長所に変えていくサカクラさんの存在そのものが、これからの「多様性を認め合う社会」の行方を問うている。

「よく言われるんですよ、『サカクラさんは特別だから』って。でも、そうじゃないって、すごく思っているんです。個性があってできないことがある人を、他の誰も真似ができないことを持っている可能性があるんだって。そこに、気付いてほしいんですよね」

サカクラカツミは、真っ直ぐに未来を見据えている。

クレジット

監督・撮影・編集/壱岐紀仁
プロデューサー/伊藤義子、庄輝士
取材協力/さかくらのりこ、三宅琢、大川正翔、壱岐友香
協力/ORIENTARHYTHM、Studio Gift Hands

映像ディレクター、シネマトグラファー

1980年、宮崎県生。映像ディレクター、シネマトグラファー。民俗学的な見地に立ち、人の営みや心に寄り添う作風で、撮影から演出・編集まで全て手掛ける。企業CMや官公庁・大学法人PV、ミュージックビデオ等を手がける他、作品作りも精力的に行う。短編映画がバンクーバー国際映画祭や釜山国際映画祭、SCOPE New Yorkなど国内外で高い評価を受ける。落語を題材とした初の長編監督作となる映画「ねぼけ」がモントリオール世界映画祭に正式出品、2017年全国公開。