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ろうであり、ゲイである前田 健成さんの歩んできた道

今村彩子映画監督

【特別な人】

 「ろう者であり、ゲイでもある特別な人」。これが前田 健成さんに会うまでのイメージでした。今までそのような人に出会ったことがなかったからです。前田さんは、現在、都内にある明晴学園で小学生に授業をしています。

 当時、私はろう・難聴LGBTの存在を知ってもらうためにDVD「11歳の君へ ~いろんなカタチの好き~」を制作していました。このDVDには11歳の子どもから学べるようにLGBTについての知識を手話で説明する部分があります。手話ナビゲーターはろう学校の教諭でもある前田さんしかいない!と思った私は前田さんに会いに上京しました。

 
【前田さんの決意】

 生まれつきのろうである前田さんは、高2の時に自分はゲイじゃないかと感じるようになりました。大学時代にLGBTの人たちと出会い、23歳でゲイであることを受け入れます。勇気を出してLGBTの世界に踏み出そうとした時、今度は「コミュニケーションが難しい」「話していることが分からない」という壁が立ちふさがりました。
 五体満足の異性愛者が優位である社会で、ろう者であり、ゲイであることを認めるためには、ろうLGBTのコミュニティとそのロールモデルが必要です。
 しかし、ろうLGBTの世界では、聞こえるLGBTの世界と同様に本名を伏せてお互いの事情に踏み込まずに付き合うことが暗黙のルールとなっていました。もっと陽の当たる場所にいたいと思う前田さんにとっては物足りません。ゲイであることは一生隠さなければいけないのか・・・と悩む日々が続きます。そんなある日、ダスキンが障害のある若者がそれぞれ希望する国へ派遣し、研修の機会を与えていることを知ります。
 1990年にADA法(障害を持つアメリカ人法)が制定されたアメリカでは、学校や大学で手話を学ぶことができ、耳の聞こえない人に対する理解があります。LGBTに理解のあるサンフランシスコで自分の生き方を見つけ、同じように悩んでいるろうLGBTの支援を考えようと研修を決意。27歳の秋にダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣に応募しました。

【やっと見つけたロールモデル】

 晴れて研修生となった前田さんはサンフランシスコで自分と同じ境遇のブライアンに出会いました。ろうであるブライアンは男性と結婚し、3人の子どもを養子として引き取ります。
 日本のLGBTの人たちにとって夢である「結婚」と「子どもを持つ」ことをろうであるブライアンはやってのけています。前田さんは彼の生き方に「最高のロールモデルだ」と感激し、自分も結婚して子どもを持つことができるのだと希望を持ちました。ブライアンを含め様々なろうLGBTとの交流を経て、ろうであり、ゲイである自分に自信が持てるようになりました。

【ろうLGBTの理解普及のために】

 「聞こえないこと」「LGBTであること」は見た目では分かりません。ろうコミュニティでLGBTが話題に上っても、自分の身近にはいないと思う人もいます。アメリカから帰国した前田さんは、日本のろうLGBTが置かれている現状を打破したく、ゲイであることをオープンにしました。
 職場でも児童生徒や保護者にろうであり、ゲイとして生きている自分を見てもらうことで当事者だけでなく、その家族の支援にもつなげたいと考えています。

【周囲の人たちの変化】

 自分を隠さずに生きるようになった前田さんは周囲の人たちの変化を感じるようになりました。恋愛の話になると今まで「彼女いる?」と聞かれていたのが、「パートナー、いる?」などと同性愛も含まれる表現を使う人も出てくるようになりました。「ありのままの自分で友達を作ることができるようになった。これが一番嬉しい」と言います。
 日本オラクルの川向 緑さんは、LGBTの中には耳の聞こえない人もいることを社員に知って欲しいと研修を企画し、前田さんを招きました。前田さんに初めて会った時の感想を聞くと、耳が聞こえない人がいるのも理解しているし、LGBTがいることも分かるけれど、両方を持っている人がいる可能性を考えていなかったと言います。そういう友人が身近に一人でもいるかどうかが、心から当たり前として受け入れられるかどうかの違いになると思うと話していました。
 私も前田さんと親しくなり、恋愛の話もするようになった時、ゲイであっても相手を好きになる気持ちやドキドキする気持ちは同じなのだと軽い衝撃を受けました。「特別な人」だったのが、一人の「前田くん」になった瞬間でした。

【居場所】

 現在、前田さんは教育の場だけでなく、企業が主催するLGBT研修の講師を引き受けたり、東京レインボープライドなど、LGBT関連のイベントに参加したりして、ろうLGBTの存在を伝えています。
 最後に「あなたの居場所は見つかりましたか」と問うと、「居場所を考えるというより、ここにいてもいいんだと思えるようになった」とのこと。
 自分と対峙し、自分を受け入れた前田さんだからこそ、このような環境がもたらされたのでしょう。今年の春からフリーとなった前田さんは、非常勤講師として子どもたちと関わりながら、生き方を模索しています。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】
※ この記事はYahoo!ニュース 個人で2018年9月11日に配信されたものです。

映画監督

映画監督/Studio AYA代表/名古屋出身/主な映画「珈琲とエンピツ」(2011年)、東日本大震災で被災した聞こえない人を取材した「架け橋 きこえなかった3.11」(2013年)、自転車ロードムービー「Start Line」 (2016年)、ろう・難聴LGBTを取材した教材DVD「11歳の君へ 〜いろんなカタチの好き〜」(2018年)文科省選定作品 がある。

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