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10年前、被災地で撮影した8歳少年の今は――親子と米国写真家がオンラインで再会 #あれから私は

イノマタトシ映像作家・CMディレクター・映画監督

2011年6月、アメリカ人の写真家、ブルース・オズボーンは震災直後の福島県から宮城県、岩手県を巡り、70組あまりの親子の写真を撮って、被災した人々にプレゼントした。その中で忘れられない出会いがあった。福島県相馬市、津波の被害にあった旅館。8歳の少年が無残に破壊された旅館を案内し、瓦礫の中で元気にポーズをとった。母親の女将も、被害を跳ね返すように明るかった。2人はどんな思いで暮らしてきたのか。2021年、コロナ禍の最中、2人とブルースはオンラインで再会した。

○旅館の再建を断念して

アメリカ・カリフォルニア生まれのブルース・オズボーンは、1980年に来日以来、約40年間で8500組を超える親子の写真を撮影してきた。15年ほど前からは、7月の第4日曜日を「親子の日」に提唱して、毎年100組の親子を撮影している。

東日本大震災が起こった時、ある新聞記者から、被災地でよく記念写真の撮影を頼まれると聞いた。そこでブルースは、震災から3カ月後の6月、カメラを担ぎ、被災した人々を勇気づけようと東北1200キロを巡った。

「私が目にしたのは、想像を超える被害の激しさだった。話を聞くとごく普通の人が映画のような波乱に満ちた体験をしていた。津波の被害が生々しい風景の中で、それでも希望を失わずに生きていこうとする親子のたくましい姿に何度も胸を打たれた。被災した人々を励まそうとやってきたのに、自分が彼らから元気をもらっていることに気がついた。」

福島県相馬市に着いた翌日、写真を撮ってほしいという旅館の若女将、林光子さんを訪ねた。林光子さんは、相馬市の海岸沿いに建つ40年ほど続いた旅館の3代目女将だった。かつては「小松島」と言われるほど美しかった松林は跡形もなく津波に流され、荒涼とした風景が続いていた。

4階建ての大きな旅館は、津波で1階と2階が激しく破壊されていた。光子さんの息子・慎太郎くん(当時8歳)はブルースの撮影に興奮して元気にポーズをとってくれた。それに応えてブルースも夢中でシャッターを切った。

津波が来た時、慎太郎くんは学校にいて、無事だったが、女将の光子さんはお客さんが帰った後に町内放送で津波の情報を聞いた。
「そんな大きな津波来るわけない、大丈夫」と言ってみんな最初はのん気に構えていた。それがそうでもないと気がついた時には、津波がすぐそばまで迫ってきていた。バックミラーで津波を見ながら慌てて高台に車で逃げた経験をしていた。

旅館は、全壊。取り壊しが決まっていた。先代の女将と父親は旅館の存続を強く望んでいたが、観光業への原発事故の影響は大きく、難しいと再建を断念した。何度も家族会議を重ねた末に出した苦渋の選択だった。

○震災のおかげで得たものも

あれから、10年。
光子さんと慎太郎くんはどんな人生を歩んできたのか。今年、ブルースは東北へ撮影に行くことを計画していたが、緊急事態宣言が発令されたため、断念した。そこで、オンラインで林さん親子と再会することになった。震災以来、交流は続けてきたが、4年ぶりの再会だった。

10年前、8歳だった慎太郎くんは18歳になり、お母さんより大きく、立派な青年に成長していた。

「今年の春からは看護学校に通って、看護師になろうと思っています。」

看護師を目指したのは、おじいちゃんの病気がきっかけだった。慎太郎くんは孫の中で唯一の男の子で、おじいちゃんに可愛がられていた。彼はおじいちゃんの看病のため、毎日のように病院に通った。

「そんな日々の中、優しく接してくれる看護師さんがいて、僕もその看護師のように困った人の助けになりたいなと思うようになった。
コロナウィルスの流行もあって、地元の病院で働ければ、地元に貢献できるとも考えました。」と語る慎太郎くん。
ブルースは、そんな彼の頼もしい姿に未来への希望と期待を感じた。

光子さんは7年前から介護士をしている。相馬で生まれ育った光子さんは、地元の知り合いも多く、おじいちゃん、おばあちゃんの面倒を見るのが楽しくやりがいを感じた。気がつけば、女将より介護士に向いているじゃないかと思うほど、この仕事に励んでいた。光子さんはこう言う。

「今まで、旅館の女将として365日休みなく働いてきました。子どもたちの面倒を見ることも満足にできない日々が当たり前。そんな生活が震災で一変した。旅館を廃業したことで、土日は普通に休んで家族と過ごすことができるようになりました。こんなことを言うのはどうなのかなとも思いますが、震災のおかげで当たり前の生活ができるようになったんです。震災で失ったことも多かったですが、震災のおかげで、今は幸せなんです」

震災で奪われた生活は私たちの想像を遥かに超えるものだったに違いない。その体験の中から生きる希望を紡ぎ出す光子さんの姿にブルースはしなやかな逞しさを感じ、胸を熱くした。

10年前と同じように二人から元気をもらっていた。前向きに捉える親子の生き方に心を動かされ、未来への希望を受けとめた。
「ワン、ツー、スリー」
オンラインで慎太郎くんと光子さんの親子写真を撮影した。

Present to the future ガンバレ、OYAKO !

受賞歴

映画「OYAKO present to the future」 International Film Awards Berlin Best Documentary受賞

クレジット

監督・編集・撮影(2011)
イノマタトシ(猪股敏郎)

撮影(2021)
黒田大介

サウンドミキサー
柳田敬大

プロデューサー
前夷里枝
柳村努

写真撮影:ブルース・オズボーン

スペシャルサンクス
井上佳子
倉本信之
濱田貴司
有田裕子

関連サイト
震災が教えてくれたこと ブルースオンライン写真展
https://oyako.org/exhibition/

映像作家・CMディレクター・映画監督

TVCM制作会社ティ・ワイ・オーを経てフリーディレクターとして活躍。数百本のTVCMを企画演出。様々な広告賞を受賞。CM以外にもテレビ番組や映画、PV、Web Movieなどを監督。高い評価を得ている。テレビ番組では、フジテレビ「世にも奇妙な物語」などからNHKのドキュメンタリー番組まで幅広く演出。NHK Forbidden KYOTO(禁断の京都)で、シカゴ映画祭 テレビ部門銀賞。ドキュメンタリー映画「OYAKO」International Film Awards Berlin Best Documentary賞など受賞をしている。

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