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「もう実験ができない」ーー脳梗塞で半身まひになった発明家が、絶望の淵から見るYouTuberの夢

伊納達也ビデオグラファー

昨日まで動いていた腕の感覚が、日々失われていく恐怖――。液体を燻製(くんせい)する装置を開発し、特殊な調味料を次々と世に送り出してきた市川正秀さん(52)は1年前、脳梗塞に襲われた。治療をしても症状が進む進行性で、病はやがて右半身の自由を奪う。奇跡的に進行は止まったが、生きがいにしてきた商品開発のための実験ができなくなった。恐怖を乗り越えつつ発明家が新たに見出した「実験」とは。

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千葉県木更津市の市川奈生さんは、2021年夏のある朝、夫の正秀さんが2階の寝室からいつもの時間に降りてこないことに気がついた。寝室に向かうと、正秀さんはいつもよりイライラした様子で、足取りが少しおぼつかない状態だった。違和感を覚えて病院に連れていくと、脳梗塞と診断された。そのまま入院したが、その時はまだしっかり話すことができ、手が少ししびれる程度の症状で、奈生さんも正秀さんもそれほど大事になるとは思っていなかった。

新型コロナウイルスの影響で、入院後は正秀さんにも担当の看護師にも会うことができなかった。電話で話をするたびに、正秀さんの病状が悪化していくのがわかった。入院、治療しても短期間で症状が悪化していく進行性の脳梗塞だったのだ。正秀さんの顔を見ることができないまま、症状だけが進んでいく。奈生さんは祈ることしかできず、不安ばかりが募る日々だった。

正秀さんにとっても、壮絶な日々だった。入院した時には動いていた右手が、段々と動かなくなっていく。足の間隔もなくなっていく。気がつくとベッドから起き上がれず、天井を見ることしかできなくなっていた。昨日までできていたことが、徐々にできなくなっていく。自分の体がむしばまれていく感覚に、底知れない恐怖を覚えたという。

「これで進行が止まらなかったら覚悟してください」。あと数ミリ進めば会話などができなくなるかもしれないと医師に言われたところで、奇跡的に進行は止まった。意識はしっかりとあり、会話もできた。ただ、右半身はまひしたままだった。

進行が止まった後も、正秀さんにとって恐怖の日々は続いた。相変わらずベッドから起き上がることができない。これから何ができなくなるのかということだけが頭に浮かび、絶望に押しつぶされそうになった。もう死にたい。そう思っても動くことができず、舌をかむこともできない。そのことにまた、絶望した。進行が止まり死なずにすんだことに対する安堵感と、死にたくなる絶望感。その間を行ったり来たりする日々だった。

【発明家としての市川さん】

正秀さんと奈生さんは、木更津市で「株式会社リオ」を経営。「かずさスモーク」というブランドで、調味料を製造している。ただの調味料ではなく、燻製したしょうゆやオリーブオイル、マヨネーズなどで、「燻製調味料」と呼ばれている。テレビ番組でも数多く取り上げられた、知る人ぞ知る人気調味料だ。

正秀さんは飲食店を経営していた両親の影響を受け、2000年からバーを経営していた。メニューを考える日々の中で燻製の奥深さにハマり、燻製の研究にのめり込んでいく。05年にはオリーブオイルを燻製することに成功し、11年には「液体を燻煙する方法及びその装置」という特許を取るに至る。そこからは液体の燻製技術を生かし、燻製しょうゆや燻製マヨネーズなどの燻製調味料の製造を専門に活動してきた。実験に熱中すると周りが見えなくなり、夜遅くまで自宅に帰ってこない日が続くほど研究好きな人だった。

その研究や仕事への情熱が、正秀さんを再び立ち上がらせることになった。正秀さんが入院してからは、会社の経営は奈生さんが一手に担うことになった。ただ、製造の詳細や取引先との連絡など、正秀さんしか把握していないことが多い。医師から初めて面会が許された時に奈生さんが真っ先にしたのは、仕事についての確認だった。その時だ。動くことができず、生気のなかった正秀さんが、「違うんだよ!」と怒気をはらんだ声で叫び、ガバッとベッドから身を起こした。仕事への意欲が、正秀さんの体を動かしたのだった。

【リハビリと新たなる実験の日々】

それから正秀さんは、リハビリに精を出した。やがて杖をつきながら歩けるようになり、少しずつ以前に近いスピードで話ができるようになっていった。退院後は以前と同じ生活はできないにしても、少しでも自分のできることを増やすために、さまざまな工夫をしていった。

例えば、自宅の寝室。医師や奈生さんは2階から1階に移すように勧めたが、正秀さんは2階のままにするとかたくなに主張した。「めんどくさがり」を自認する正秀さんが否が応でも階段の上り下りをすることで、生活の中でリハビリができるようにという工夫だった。コンピューターを使うときは、音声入力のソフトウェアや左手だけで扱えるさまざまな装置の助けを借り、利き手だった右手が使えなくてもメールやメッセンジャーでの発信ができるシステムを作りあげた。

こうしたリハビリや日々の工夫を、正秀さんはYouTubeで発信していくことにした。「【まひラボ】コチャイカ」というチャンネルを立ち上げ、自分で撮影・編集しながら、まひと生きる日々の体験と、自分が生み出した生活の工夫やリハビリの進捗を投稿している。

正秀さんは、半身まひになってからつらかったことのひとつに、自分の手で自由に実験ができなくなったことを挙げる。自分が思うままに、時間を忘れて熱中してきたこと。それが人の手を借りなければできなくなったことが、何よりももどかしいという。そんな正秀さんにとっては、リハビリをし、その様子をYouTubeで発信していくことは、新しい実験でもあり、また新たにやりがいを感じられるものでもある。

医療の世界で一般的に行われているリハビリはもちろん実践していくが、まひした体を改善していく方法は、それ以外にもきっとあるはずだ。そう信じて仮説を立て、自分の体で実験していこうと考えているのだ。それは液体燻製技術を独自に開発し、特許まで取得した正秀さんの発明家精神によるものなのかもしれない。

健康を崩してしまうこと、そして自分の体が思うように動かなくなってしまうことは、誰にとっても起こりうる。それまでできていたこと、やりがいを感じていたことができなくなった時、新しく意欲や希望を持てるものを見つけられるかどうかは、非常に大切なことだ。そんな状況への市川さんの挑戦は、これからも続く。

クレジット

監督・撮影・編集:伊納達也
プロデューサー:初鹿友美

ビデオグラファー

inahoFilm代表。栃木県鹿沼市を拠点に、スポーツや教育など様々な分野で「挑戦する人々」を描いたノンフィクション映像の制作に取り組む。

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