【京都市中京区】徳川の最初と最後を見た京の二条城、大政奉還の舞台へ特別入室。学芸員解説会も必見
1603年(慶長八年)に徳川家康が、将軍上洛の際の居館として造営し、京の都において徳川の威信を示すが如く二条城がそびえたちました。家康の将軍宣下に伴う賀儀も執り行われます。
京都御所を上回る規模、天守閣からは、広く京の都を一望でき、御所を見下ろす景観。正に徳川幕府の威光と権威で、まるで朝廷を威圧するかのようにそびえる二条城を、禁裏ではどのような思いで見ていたのでしょうか。また京童(きょうわらべ)たちの思いはいかなものであったのでしょう。
しかし、三代将軍家光が後水尾天皇の行幸を迎えて以降、十四代将軍家茂まで徳川将軍がこの城を訪れることはありませんでした。四代将軍以後は朝廷の勅使、院使を江戸城に呼びつける方式に変わっていくからです。1867 年(慶応 3 年)、十五代将軍 徳川慶喜が、二条城の大広間で大政奉還を上表します。徳川幕府の象徴として、内裏の禁苑を取り込んで造られた二条城も、この時、徳川幕府終焉の舞台となりました。
そんな歴史の舞台、世界遺産・元離宮二条城で、夏の特別事業として、国宝にも指定されている二の丸御殿の「大広間二の間」への特別入室が実施されます。期間は、火曜日を除く2021年7月14日(水)~8月30日(月)まで。7月6日には開催に先駆けて報道陣へ公開されました。
大政奉還の舞台ともなった大広間は、通常拝観では廊下からの観覧しか認められていません。大広間二の間に入室して、徳川将軍の座す一の間、障壁画(模写)や欄間彫刻等を内側から間近で鑑賞できるのは、二条城としても初めてのこころみです。
「徳川将軍に背景の大きな松が覆いかぶさるように描かれているのは、中国では仙人か尊者のような高貴な人しか座れない場所なんです。かつて上段と呼ばれた将軍の座す一の間は二条城に3つある対面所の中で唯一、天井が二重折上げ格天井となっており、一番格式の高い部屋ですね。孔雀の障壁画は、狩野探幽作です」と軽快な二条城の松本直子学芸員の話に思わず引き込まれていました。
これ以外にも、大変分かりやすく、貴重で面白い話がたくさん聞けました。特別入室の実施に伴い、7月19日と8月2日に、同学芸員が障壁画などについて詳しく解説する「学芸員解説会」が開催されます。興味のある方は、ぜひ解説会にもご参加を。但し、新型コロナ感染症対策のため、定員を超えると抽選となります。
詳細は元離宮二条城ホームページまで。元離宮二条城 京都市中京区二条城町541