【京都市東山区】地獄への入り口は松原通りの井戸に。では、出口はどこ? まるでドラエモンのどこでもドア
「お精霊さん迎え(おしょうらいさんむかえ)」とも言われる「六道まいり」が、東山区の六道珍皇子で、2021年8月7日から10日にかけてとり行われました。お盆の時期に帰って来るとされる先祖の霊や精霊たちをお迎えする京のお盆の恒例行事です。
提灯のともる、正直おどろおどろしくもある山門を入ると、輪廻する先祖の霊を十万億土の冥界へも響き渡るといわれる由緒ある梵鐘の「迎え鐘」の前で、今年は、コロナ禍で一般参拝は中止となった去年とは違って通常通り開催されたとあって、たくさんの人が間隔をあけながらも行列を作っていました。
松原通は、平安時代は墓所の鳥辺山の麓でその入口付近に位置したことから「六道の辻」と呼ばれ、冥界への入り口と信じられていました。ここには、小野篁が地獄と現世の往来に使ったとされる「黄泉がえりの井戸」も残されています。
平安時代の朝廷の官吏だった小野篁は、遣唐副使という重職に任ぜられながら、正使の藤原常嗣の専横に腹を立て、朝廷を風刺する漢詩を呼んだことから嵯峨上皇の逆鱗に触れるなど、反骨精神旺盛な公卿だったと言います。同時に、「江談抄」、「今昔物語集」といった平安時代末期から鎌倉時代にかけての説話集には、地獄の裁判官である閻魔大王の補佐官でもあったとも伝承されています。
入り口とされる死の六道はここ六道珍皇寺にありました。では出口はどこにあったのか。生の六道は、実は、嵐山奥嵯峨の清凉寺、通称嵯峨釈迦堂の境内にありました。明治期に廃寺となった福正寺がそれにあたり、現在は福正寺跡の石碑だけが残されています。それにしても、京の東南の果てから西北の果てまで一瞬で移動したというのですから、ドラえもんのどこでもドアみたいですね!
六道珍皇寺では引き続き、2021年8月19日(木)~9月30日(木)まで、「冥界へ通ずる伝説の井戸」、さらに江戸期の地獄絵「熊野観心十界図」や幕末の絵師・森高雅筆の「幽霊画」なども特別公開されます。清水寺へ参拝の折には、ぜひこちらにもお立ち寄りください。
六道珍皇寺 京都市東山区大和大路通四条下る 四丁目小松町595