【京都府向日市】乳がんを乗り越えた私に今できること 貴方の魅力全開の笑顔プロフィール写真で婚活応援!
在宅の向日市を拠点に、長岡京市や京都市、大阪などへも出張して活躍する笑顔プロフィール写真家の青山智圭子さん(48歳)は、スマイルトレーナー(まるにR)でもあり、婚活カウンセラーの顔も持っています。そこには、「幸せになりたい人を全力で応援したい」との強い思いがありました。
2022年4月下旬にお会いした時、屈託のない笑顔がまずもって好印象で、「おっ! さすが」と驚かされました。「心から溢れ出る笑顔の瞬間は写真でも必ず人を魅了する」のだと青山さんは言います。実際、青山さんの写真の1枚1枚には、ぐっと心を引き付けて離さない力強いインパクトとメッセージがあります。
手作りキラキラアクセサリーの講師を養成し、全国に9000人の会員を有する日本グルーデコ協会の山岡まさえ理事も自身の写真を撮影する際、必ず青山さんを指名すると言います。「ちかちゃんに依頼するとカメラマン目線の"よい写真"ではなく、私が好きな私の写真、周りの講師さんや友人も絶賛する写真が必ず出来上がって来る。」と信頼を寄せています。
写真家になろうと思ったきかっけを聞いてみました。大学時代には軽音楽部に所属し、バンドを組んでいたりもしましたが、卒業後、オフィスワーカーとして働くも流される日々を送ります。油絵やフラワーアレンジメントなど多彩な趣味を持つ母親に、「趣味が無いよね」と言われ一念発起、会社の帰りに写真塾に通うようになりました。写真の魅力に憑りつかれ、通い始めて3年経った頃、会社を辞めて「背水の陣で写真の世界に飛び込んだ」と言います。勤めたホテルの写真室は雑務も多く、自由に写真家としての仕事ができないことなどもあって、さらに7年後には、フリーの写真家として起業をしました。
30歳で良縁に恵まれ、2児の母として仕事も続けていました。コンテストで受賞するなど実績を積み重ねていた矢先、突然の出来事が青山さんを襲いました。47歳になった2020年の6月に、乳がんが見つかります。当初5ミリの小さなガンと診断されていましたが、手術を受けてみると7ミリの腫瘍があり、もう1度手術が必要に。手術の後には、半年に亘って、抗がん剤のきつい副作用に襲われます。
その時、「一緒に乗り越えよう」と、真摯に支えてくれたのが、コロナ禍もあり名古屋の転勤先からリモート勤務に切り替えて京都に帰ってきてくれた夫と子どもたちでした。「家族の支えがあったからこそ頑張れた」と青山さんは言います。まだまだ治療は続いていますが、副作用も落ち着き、仕事を再開した青山さんは、「普通に過ごせる日常生活にキラキラが溢れていることを大病をして初めて知った。健康なうちにそのことに気付いてほしい」と話します。
今後は、「悩める婚活女子や起業されている方の夢を叶える笑顔のプロフィール写真、大病と闘ってきた私だからこそできる、心を引き出す写真で、たくさんの人たちの御縁を繋ぎたい」と語ってくださいました。
笑顔プロフィール写真家 青山智圭子 京都府向日市物集女町
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