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【京都市下京区】新選組も勤王の志士たちもこよなく愛した大宴会場! 揚屋の遺構が公開されています。

伊波多玄以

地域ニュースサイト号外NETライター(長岡京市・向日市)

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 京都市下京区の壬生寺の近くにある島原の大門。かつて絢爛豪華な太夫道中が行われていた大門奥の風景も現在は閑静な住宅街が続いています。奥はかつて日本最古と言われた花街でした。地名は「西新屋敷」といいますが、花街が寛永18年(1641年)に「六条三筋町」から移転してきた際、その騒動の様子が数年前に起きた九州の島原の乱を思わせるようであったことから島原と呼ばれるようになりました。

 幕府公認の島原の舞太夫は、知識、品格、遊芸とすべてにおいて極上で、大名や公家たちの相手を務めた芸妓の最高位だったと言われています。太夫は桶屋から太夫道中をして武家や公家、高貴な人々の大宴会場となっていた揚屋のお座敷に上がりました。角屋は唯一揚屋建築の遺構を残していて、現在は「角屋もてなしの文化美術館」となっています。2022年3月23日から7月18日まで一般公開が再開されています。

 館長の中川清生さんによると、「角屋は遊郭ではないんです。今の料亭にあたる揚屋という業種の店で、江戸時代、民間最大の大宴会場でした。遊宴のみならずお茶会や句会なども行われて、さながら文化サロンの様でした。宴会場を廃止して、娼妓のみとなっていった江戸の吉原などとは違います。島原に花魁は存在せず、芸妓の最高位、島原太夫となるわけです」とのことでした。

 現在は輪違屋のみが置屋兼お茶屋の営業を行っています。「二条城桜まつり2022」では、島原の輪違屋に在籍する「如月太夫」が舞や「かしの式」などを披露しました。「かしの式」とは、太夫を置屋から呼び、客に紹介する式。太夫が盛装を凝らして盃台の前に座り、盃を回すしぐさを見せている傍らで仲居が太夫の名前を呼んで客に紹介するものです。

 また角屋は幕末動乱の舞台でもあります。新選組初代局長の芹沢鴨は文久三年(1863年)9月8日にこの角屋で行われた新選組局長たちの宴会の後に場所を移して行われた、壬生の屯所八木邸での宴会の後に暗殺されています。襲撃には近藤勇や沖田総司なども加わっていたと伝えられています。

 西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤王の志士たちが、軍用金調達のために時の豪商を招いて会議を行っていた場所でもあります。討幕派も新選組も同じ揚屋を使っていたんですね。

 今回の一般公開では、重要文化財に指定されている与謝蕪村の「紅白梅図」や円山応挙始め、一流画人の作品を多く展示されている他、重要文化財の「台所」も一般公開されています。台所にも亀甲紋や青海波の絢爛豪華な装飾が施されていました。角屋には、京にあった各藩邸の留守居役の着任離任の際の祝の振舞(もてなし)を記した献立帳も残されています。

 今回の企画では、「角屋蔵 吉祥の調度展」も同時に開催されています。角屋に多く残る絵画、染め織、漆器などから、岸駒(がんく)筆の「松竹梅図」や太夫衣装始め、絢爛豪華な吉祥文様の調度品などが惜しみなく展示されています。また京都市指定名勝の庭園では、樹齢380年の見事な黒松「臥龍松」も愛でることができます。

角屋もてなしの文化美術館 京都市下京区西新屋敷揚屋町32 075ー351ー0024

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