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【京都府向日市】青もみじの向日神社を歩く。飛鳥時代よりある古社 歴史ロマンあふれる隠れ名所! 

伊波多玄以

地域ニュースサイト号外NETライター(長岡京市・向日市)

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 向日市の人々に崇敬される向日神社は、奈良時代より前の702年に、 祀られている火雷神が「続日本紀」に登場するのが文献での初見となりますが、創建年代は分かっていません。火雷神は上賀茂神社の御祭神の親神ですので、賀茂氏や秦氏がやってきて、継体天皇が弟国宮を造った518年頃ではないかと言われている古社です。宮司の六人部家(むとべけ)は秦氏の出身と言われています。

 そしてこの向日神社を取り込んで、延暦3年(784年)に桓武天皇によって、都が奈良の平城京から乙訓地域に遷されました。そう長岡京です。その後、平安京へ遷されるまでわずか10年でしたが、その規模は、平安京と変らない大規模な都だったことが近代の調査で明らかになっています。現在の向日市には、大極殿や朝堂院、内裏など国の重要な諸施設が立ち並ぶ、長岡宮と呼ばれる区画がありました。

 2022年5月15日、新緑に導かれて、向日丘陵を散策して見ました。大鳥居のある正面から入らず、府道205線にある増井神社側から入ったもんだからもう大変、ぎゃっ、小登山やん! 息をつきながらやっとのことで、裏側から向日神社の境内に入りました。まずはお参り。本殿は国の重要文化財で、明治神宮のモデルなんだそう。1422年にこの辺りの七つの村が協同して建てたという記録が残っています。

 鎌倉時代から室町時代にかけて、乙訓郡(現在の向日市と長岡京市の全域、大山崎町、京都市南区と西京区、伏見区の一部)と、葛野郡(現在の京都市右京区と西京区の一部)を合わせた地域は、西岡(にしのおか)と呼ばれ、室町幕府の御被官として36人の国衆たちが、それぞれの地域に居城を築き、この地を治めていました。

中小路家住宅
中小路家住宅

 今でも地名として残る、物集女、神足、中小路(開田)、革嶋、小野、竹田、野田、能勢、鶏冠井などは、その名残です。その西岡御被官衆が、京都の町衆と対峙して徳政一揆を企てたり、織田信長が足利義昭を奉じて上洛した際にも、この向日神社が国衆たちの結集拠点となったのです。

 ゆるやかに真っすぐ正面参道から丘陵を下ると、青紅葉のアーチが綺麗でした。鳥居前から続く西国街道は、かつて、豊臣秀吉が朝鮮に出兵する際の軍勢を通すために拡幅して町場に定めました。それが向日町の始まりだと言われています。歴史ロマンあふれる隠れ名所にぜひ訪れてみてください!

向日神社  京都府向日市向日町北山65

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