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【京都府長岡京市】新緑に覆われる幻想の光明寺を歩く 僧侶になった源氏方の坂東武者が開いた浄土の寺!

伊波多玄以

地域ニュースサイト号外NETライター(長岡京市・向日市)

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 長岡京市西山のふもと、粟生広谷にある西山浄土宗の総本山光明寺は京都屈指の紅葉の名所として知られます。初夏にかけては青もみじを始め境内中が新緑に覆われ、幻想的世界を醸し出します。

 2022年5月17日、新緑に包まれた光明寺の境内を散策しました。見どころはなんといっても、総門から表参道「女人坂」のなだらかな石段を登って、御影堂へと続く一面の青もみじのアーチです。

 光明寺もまた応仁の乱をはじめ、何度か火災にあっています。伽藍の中心となる御影堂もしかりです。現在の建物は宝暦3(1754)年に建てられたもので、京都の浄土宗寺院本堂としては最大級で、長岡京市では最大の木造建築です。御本尊は法然上人自身の作「張子の御影」を奉安しています。

 受付から表参道へと続く往路は、薬医門を中心とした「もみじ参道」の青もみじのトンネルが、紅葉シーズンとは違った魅力があって素敵です。

 光明寺は、1198(建久九)年、法然上人の弟子となった熊谷蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)によって、この地に御堂を造立したのが始まりです。師である法然上人を開山一世と仰ぎ、自らは二世となり、法然上人から「念仏三昧院」の寺号も与えられました。

 熊谷次郎直実とは、どんな人なのでしょうか、実は、現在の埼玉県熊谷市を本拠地にしていた豪族で、源義経軍に従がって、平家追討に向かった坂東武者の一人でした。その際、平家の大将の平清盛の甥の平敦盛を取り押さえます。兜を取るとまだ16歳の紅顔の美少年でした。首を取るのを躊躇しますが、後ろから源氏軍が迫っていて、他の者にやられるのであれば自分がと、首をはねたのです。

「鉈捨藪跡(なたすてのやぶあと)」
「鉈捨藪跡(なたすてのやぶあと)」

 その後、若い敦盛を手にかけたことを悔いた熊谷次郎直実は、武士を捨て、浄土宗の開祖、法然上人の下で得度し僧侶となりました。蓮生(れんせい)法師の誕生です。京都市の大原三千院から勝林院に向かう途中に、「鉈捨藪跡(なたすてのやぶあと)」という石柱があります。大原問答の際、法然上人が敗れることがあれば法敵を打たんとして、蓮生法師が鉈を隠し持っていたのを、法然上人に諭されて投げ捨てた場所と言われています。

 紅葉の時期と違って静かに散策できますよ! なお、光明寺には駐車場はありません。近隣も全面駐車禁止です。車での参拝はご遠慮ください。必ず公共の交通機関を使って行かれるようにお願いいたします。掲載写真は光明寺様撮影掲載許可済みです。

西山浄土宗総本山光明寺 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1 075-955-0002

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