【京都府長岡京市・向日市】怪談シーズン前に日本最初の有料の橋一文橋のちょっと怖い話と心温まる話!
向日市方面に所用で足を運んだ際に府道69号線を通って帰ってくると、長岡京市の市境、ちょうど西国街道が小畑川を渡る地点に架かる橋があります。橋の四方には大きな一文銭のモニュメントが飾られています。橋の名前は「一文橋」です。ずっと気になっていたので、2022年6月22日に今度は歩いて周辺を散策してみました。
東に渡った所に由来を説明した石板がありました。そうか! 室町時代に造られた有料の橋なんだ。大雨のたびに流されるので、架け替え費用のために一文を取り始めたのが由来と書いてありました。
せっかくなので、長岡京史などいろいろ調べてみると……。小畑川は現在の長岡京市や向日市、大山崎町辺りを指す乙訓地域で大雨が降ると洪水になる暴れ川でした。文献によると、室町時代の頃から度々、洪水を起こしていたようで、一文橋もその度に流されていたそうです。
住民生活や大名行列を始め、西国街道の往来に必要な橋なので、その度ごとに架け替えを行いました。しかし、橋を造る費用は莫大で、幕府にとっては大きな負担になっていました。そこで考え出されたのが、橋の袂に橋守を置いて、橋を渡る人から通行料として一文を徴収するというものでした。日本で初めての出来事だったようで、いつしかこの橋は「一文橋」と呼ばれるようになったと言います。
さて、貧しい人や単にお金を払いたくない人は、川を泳いで渡ったのですが、橋守に見つけられるとその場で斬り捨てられた人もいました。当時は、夜になると橋の周りにはたくさんの人魂が飛び交っていたとの伝承もあったようです。
一方で、心温まるエピソードもあったようです。何も知らない振りを装って物事に取り合わぬことを「知らぬ顔の半兵衛を決め込む」などといいますが、語源は、信長が美濃攻略を行なう際、後に秀吉の軍師となった竹中半兵衛がとった行動が由来とする説が有力です。実はここにも別の語源説があります。通行料が払えない貧しい人が橋を渡ろうとした際に、わざと素知らぬ顔で見過ごす橋守もいたようで、この橋守の名が半兵衛と言ったというもの。
さて、どちらが本当でしょうか? それはさておき、コンクリートとなった今も一文橋は、長岡京市と向日市を結ぶ重要な橋として、人々の生活を支え続けています。もちろん現在は無料で通過できますよ!
一文橋 京都府長岡京市