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【京都府長岡京市】135段の急階段を登り切った後に広がる壮大な景色に感動。天下分け目の天王山を一望!

伊波多玄以

地域ニュースサイト号外NETライター(長岡京市・向日市)

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 長岡天満宮の八条ヶ池からさらに西山方面に向かって西へ進むと、西国街道と分かれて、奥海印寺通という道があります。かつてこの近くに奥海印寺城というのがあったと耳にして、戦国時代フリークの筆者は期待を膨らませて散策に向かいました。とはいえ、文献で伺えるのは、東寺百合文書の中に、永隆(花押)から、かつてこの地域を支配していた奥海印寺城主高橋勘解由左衛門尉や神足城主の神足孫左衛門尉に出された奉書が残る程度で、詳しいことは分かっていないようです。

 奥海印寺通に入ると急に坂がきつくなりだしました。電動自転車の威力でなんとか登っていくと、走田神社の参道にたどり着きました。うわっ、めっちゃ急な階段やあ。途中2度3度休みながら、階段の数を数えて登っていくと135段ありました。登り切った後にはご褒美があります。走田神社からは、明智光秀と羽柴秀吉の天下分けめの戦いとして名高い天王山を始め、山崎の戦いの古戦場を一望することができます。これが絶景です。

 走田神社は、奥海印寺村と長法寺村両村の守り神です。名の由来は、初穂(走り穂)を作る田んぼ、つまり早稲田という意味で、ご祭神は、春日の四柱神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)・姫大神を奉っています。平安時代中期の法令集「延喜式」の神名帳に記載されていた「式内社」で、平安時代からの格式の高い神社だったと伝わります。

 走田神社には、今も伝わる年中行事がいくつかあります。「毎年1月に氏子たちが集まって太さ20センチほどのしめ縄を作り参道の石段の中ほどに吊り下げます。しめ縄には12個の御幣(榊)が取り付けられ、この御幣の下がり方によって年間の気候や豊凶を占っていた」(長岡京市公式HPより)のだそうです。

 また例年、1月13日に的矢射(まとやうち)の儀式が行われます。昔、奥海印寺城主だった高橋勘解由左衛門の子孫によって今も継承されていると言います。2人で6本ずつ、計12本の矢を的に向かって射ます。12本の矢はそれぞれ月を表していて、的の真ん中の黒点に命中すればその月は豊作だと言われています。

 近くには、木の上山海印寺寂照院があります。嵯峨天皇の弘仁10年(819年)に、道雄によって、創建された海印寺の塔頭です。境内入り口には、南北朝時代に造立したと伝わる阿形、吽形の仁王像があります。この寺には、西岡地域の制圧の際、上洛した織田信長が一泊したとの記録が残っています。鎌倉時代の千手観世音菩薩像や平安時代の妙見菩薩、日本最古の水子地蔵尊など数多くの仏像が安置される由緒ある寺院です。

 安貞元年(1227)に道元禅師が中国江南地方から持ち帰り、日本で初めて孟宗竹(もうそうちく)をこの地に植えたと伝わり、「日本孟宗竹発祥の地」とも言われています。近くには、長岡京十景にも選出されている「奥海印寺竹林の小径」があります。

 まだまだありますが、長岡京市に来られたら歴史ロマンあふれる奥海印寺へも足を延ばしてみてください。

 走田神社 長岡京市奥海印寺走田3 075-951-1025(長岡天満宮)阪急バス「美竹台住宅前」下車徒歩約2分

 木上山海印寺寂照院  長岡京市奥海印寺明神前31  075-954-8100 阪急バス「明神前」下車徒歩約3分

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