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【京都市上京区】初詣どこ行こ! 元は宮寺だった学問の神様 絵馬は元は本物の馬を奉納していました。

HOTSUU地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 2023年初詣どこ行こ! 2022年もあと二日、2022年12月30日に北野天満宮を訪れました。平安京遷都より100年の頃、都における高官であった菅原道真(天神)は、藤原氏との政争にやぶれ、太宰府に左遷されました。菅原家というのは当時の貴族の中で決して高い身分の家柄では無かったのですが、道真という人は学問の才能だけで、当時のNO2、今で言うと官房長官といったところでしょうか、右大臣へと上り詰めます。

 地方豪族の出自から大学に出仕し、学者から学問の才だけで右大臣にまで出世したのは、吉備真備と菅原道真だけと伝わります。このことから天神さんは「学問の神様」として奉られるようになっていくんですね。少し余談ですが、KANKO学生服の名前は管公から来ているんですよ。

 さて、菅原道真の活躍が面白くなかったのが左大臣の藤原時平でした。とうとう道真を太宰府、九州に追いやってしまうんですね。道真は無念のうちに太宰府でなくなります。その後、京の都や貴族たちに次々と不幸が続きます。恐れおののいた京の人たちは、「これは道真公の怨霊に違いない」と菅原道真を天神として崇め、鎮魂のために造った宮寺が現在の天満宮に引き継がれています。

 現存の「拝殿」及び「本殿」、中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉は慶長12年(1607年)豊臣秀吉の遺命に基づき子の豊臣秀頼が片桐且元を奉行として造営したものといわれています。さらに、北野天満宮は、神社としては、とても不思議な造りになっているのだとか。拝殿と本殿が大きな屋根でひとつに覆われていて、しかも中央に一段低い石の間があるのが特徴です。

 北野天満宮は、本来神を祀る場所ではなく、御霊を鎮めるための場所だったということから、明治の神仏分離まで、神社ともお寺とも区別のつかない不思議な形態だったのです。「宮寺」と呼ばれ、天台宗に属し、皇族を門跡とする曼珠院が別当となっていました。北野天満宮が神社となるのは、明治以降のことなんですね。

 ちなみに、本殿は八棟造で、江戸時代以降、秀吉の豊国神社や家康の東照宮などにも引き継がれ、「権現造」と呼ばれるようになりました。拝殿の上の欄間にいるのは、境内でただ一頭だけの「立ち牛」です。全国の天満宮的にもめずらしいといいます。道真のご神体の前で不敬ではいけないということなんでしょうかね?

  絵馬ってありますよね。あれって古来、馬は神様の乗り物と考えられていたため、もともとは本物の馬を奉納していたんですね。しかし、本物の馬は高価な上に、奉納される側も設備や世話などの面で面倒なので、平安時代の頃から馬を書いた絵で代用されるようになったんです。その後、境内に絵馬堂が設けられ、絵に描いた馬や武具などを奉納するようになりました。現在では、絵馬も小振りになり、庶民でも奉納できる身近なものになりました。神社や寺院に参拝する際に、絵馬に具体的な願いごとを書いて奉納すると願いがかなうとされていますね。

 本殿の北側に奉られている地主神社は、続日本後記に「承和3(836)年(菅公生誕の9年前)2月1日、遣唐使のために天神地祇を北野に祭る」と記録されている通り、天満宮創建以前よりこの地に鎮座されている古社です。主祭神の天神地祇とは、日本国内六十余国に 祭られたすべての神々のことで、現社殿は、豊臣秀頼の造営です。由緒・規模とも天満宮第一の摂社となります。実は、鳥居から拝殿に至る北野天満宮の中心軸は、元々からのこの地の神である地主神社を避 けて建てられているのです。

 三光門や北野大茶会、上七軒などまだまだエピソードのある人気の初詣スポットへぜひお出かけください!

北野天満宮(外部リンク)京都市上京区馬喰町 北野天満宮 075-461-0005

地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「YAHOO!ニュース ベストエキスパート2024 地域クリエーター部門 特別賞」を受賞 京都をこよなく愛する地域ニュースサイト号外NETの京都市担当タウンクライヤ―です。四国から大阪の元地方紙記者。観光ガイドをしながら京都時空観光案内2024(観光ガイドのための京都案内マニュアル)全19巻や「やさぐれ坊主京を創る 前田玄以の生涯」(京都文学賞一次審査通過)はじめ、京都を題材にした小説なども執筆しています。

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