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【京都市上京区・中京区】NHK大河「どうする家康」に登場 家康を度々救った京の豪商茶屋四郎次郎とは!

HOTSUU地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 NHK大河ドラマ「どうする家康」に登場した中村勘九郎さん演じる茶屋四郎次郎は、出世を見込んでまだちっぽけな田舎大名の徳川家康に財を預け、その危急を何度も救って、自らも日本一の豪商にのし上がった商魂たくましい陽気な男として描かれています。2023年4月7日、京に2つある茶屋四郎次郎の邸宅跡を訪ねてみました。 

 諸説ありますが、茶屋家の始まりは、三河国の武家出身の中島清延が転身し、京に上って呉服商を始めたこととされています。大永年間(1521年〜1527年)のことでした。時の室町幕府第13代将軍足利義輝がしばしば明延の屋敷に茶を飲みに立ち寄ったことから屋号を「茶屋」としたと伝承されています。

 茶屋家が160年にわたって本拠とした屋敷は、かつての呉服街として、また祇園祭の鉾町としても知られる新町蛸薬師下るにありました。本能寺の変の際、初代茶屋四郎次郎清延は夜通し駆け続け、いち早く家康に本能寺の変を報せました。堺見物を終えた家康は、京へと向かっている途中、枚方(大阪府)まで来たところで一報を受けたと言われています。

 徳川四天王(酒井忠次、榊原康政、本多忠勝、井伊直政)や石川数正、伊賀出身の服部半蔵など手勢は僅かに34名。一度は知恩院での自刃を決意した家康を家臣たちとともに説得し、茶屋四郎次郎は奉行となり、のちに「神君伊賀越え」と世に語り継がれる畿内脱出を成功させたと言われています。

 そうした経過もあってか、茶屋家は、江戸時代になると、徳川家の呉服御用を一手に引き受けるようになり、三代清次は朱印船貿易で巨万の富を築き、角倉了以、後藤四郎兵衛とともに京都町人頭を世襲し、「京の三長者」と言われました。

 蛸薬師下るの本邸は宝永5年(1708年)の大火によって焼失し、上京区小川通出水上る、現在の近畿農政局付近に移転しました。このためこの地の周辺は今も茶屋町と呼ばれています。十代延国時代の寛政12年(1800年)には納入価格をめぐって呉服御用差し止めを受け、文化7年(1807年)に禁を解かれたものの以降はふるわず、明治維新後間もなく、茶屋家は廃業したそうです。

 京の豪商たちの豪快な生き様を思い浮かべながら、新町通や小川通りを歩いてみてはいかがでしょうか!

 茶屋四郎次郎邸跡 京都市中京区新町蛸薬師下る 京都市上京区鷹司町下長者町通

地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「YAHOO!ニュース ベストエキスパート2024 地域クリエーター部門 特別賞」を受賞 京都をこよなく愛する地域ニュースサイト号外NETの京都市担当タウンクライヤ―です。四国から大阪の元地方紙記者。観光ガイドをしながら京都時空観光案内2024(観光ガイドのための京都案内マニュアル)全19巻や「やさぐれ坊主京を創る 前田玄以の生涯」(京都文学賞一次審査通過)はじめ、京都を題材にした小説なども執筆しています。

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