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【京都市西京区】本能寺の変で光秀軍の一番隊長を務めた革嶋家の鎮守社は閑静な住宅街にひっそりと!

HOTSUU地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「我ら一族は、今後とも無二の覚悟で忠節をつくし、表裏別心は致しません。誰から計略の子細(裏切りの勧め)があってもすべて細川殿にお知らせ致します」(拙者事、向後共以無二 覚悟可致忠節候、聊表裏別心 ……。敬白雲社起請文事 細川兵部大輔殿 革嶋家文書)

 「勝龍寺城に対する無二の御覚悟を賞します。私が本意を遂げたなら、あなたへのご馳走の段、決して忘れません。御身内衆にもお伝えいただき、忠節に励んでいただきたい」(今度対当城、無二之御覚悟、不及是非候、於 達本意者、……。此等の趣、被仰聞、弥……、愛宕山地蔵権現御照覧候へ、不可 有相違候、恐々謹言、革嶋市介殿進之候 革嶋家文書)

 戦国時代、細川藤孝が室町幕府15代将軍の足利義昭から離れ、織田信長に組する際に、革嶋一宣、秀存、忠宣親子ら革嶋一族と交わした起請文です。清和源氏佐竹氏が源流とされる革嶋家は、室町幕府の御被官衆だった、乙訓地域の神足氏、中小路氏、鶏冠井氏らとともに、西岡36人衆の一人として、山城国葛野郡革嶋庄、現在の西京区川島地域一帯を治める国人でした。

 しかし、第13代将軍足利義輝が三好三人衆の手によって暗殺された際に石成友通のため、山城から丹波に逐われ、本領を鶏冠井氏に奪われてしまいます。その後、足利義昭を奉じて、織田信長が入京してくると、本領を奪還し、義昭、信長の双方から革嶋庄や月読社領分を安堵されます。その後は、勝龍寺城主となった細川藤孝に従いました。

 天正元年(1573)七月、足利義昭を宇治槇島城に滅ぼした信長は、西岡一帯の地を細川藤孝に与えました。勝龍寺城に入った藤孝は革嶋氏ら西岡衆に所領の安堵を行います。革嶋秀存は革島庄と月読社領分、東寺分を除く上野・千代原両村を加増され、その所領は上桂にまで及ぶようになったと言われます。

 しかし、信長の命による直轄地化への戦略から行われた藤孝の丹波入封の際には、革嶋庄を離れるか否かの選択に迫られましたが、藤孝には同行せず、革嶋庄を守るため土豪として生き抜く決意をしたと言われます。

 明智光秀に臣従した革嶋一宣は、本能寺の変の際、秀存とともに先陣の斎藤利三軍の一番隊長を務めたと言われています。阪急桂駅の近くのほんとに閑静な住宅街にひっそりと佇む「革嶋春日神社」の唐風の狛犬には、革嶋家の旗印「丸の内五本骨扇に月」が描かれています。鳥居前の青モミジも奇麗でした。

 革嶋城もこの地にあったと伝承されています。歴史ロマンあふれる桂の里へ訪れてみませんか!

 革嶋春日神社 京都市西京区川島玉頭町

地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「YAHOO!ニュース ベストエキスパート2024 地域クリエーター部門 特別賞」を受賞 京都をこよなく愛する地域ニュースサイト号外NETの京都市担当タウンクライヤ―です。四国から大阪の元地方紙記者。観光ガイドをしながら京都時空観光案内2024(観光ガイドのための京都案内マニュアル)全19巻や「やさぐれ坊主京を創る 前田玄以の生涯」(京都文学賞一次審査通過)はじめ、京都を題材にした小説なども執筆しています。

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