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【京都市中京区】千本三条近辺に西高瀬川があった! 千本通でも大宮通でもない曲がった大通りの謎?

HOTSUU地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 JR二条駅から千本通りを下がっていると、千本三条からメインストリートが大きく東へカーブして阪急四条大宮駅へ至ります。この区間の大通りを後院通といいます。では、その間、千本通は一つ西に、大宮通は一つ東に細い通りがつながっています。なんでこんなことになったのか知りたくて、2023年5月16日に近辺を調査してみました。

 まずは四条千本から細い千本通を上がっていくと三条通りにつながるまでのあいだに銘木店が多いのが分かります。こちらもなんでやねんと思いました。三条通りへと突き当たって、少し西に行くと、製材店も数件散見される中、見事な木のデザインビルを発見。京都木材会館とあります。ここに聞けば何かわかるかもと思い飛び込んでみました。急な訪問にもかかわらず。京都木材協同組合の武石伸郎事務局長が応対してくださいました。

 江戸時代に入って、角倉了以の開削により木屋町二条から伏見淀川への高瀬川運河が開通すると、現在の先斗町あたりに材木商が増え材木町という町名ができたほど賑わったのだとか。明治になって、木屋町に市電が通り、高瀬川の水運が閉じられる中、今度は材木の運搬ルートが桂川に面した今の嵐山・下嵯峨あたりの集積地から千本三条あたりまで木材を運搬するため、明治になって開通した壬生運河へと移っていきます。

 高瀬川に対して西高瀬川と呼ばれた運河は、文久3年(1863年)に河村与右衛門が開削したものを明治3年(1870年)に京都府が改修し、筏の舟入場ができたのを機に、川沿いに材木商が軒を連ね、千本三条界隈は木材の一大集積地として賑わうようになりました。

 坂本龍馬寓居跡として知られる「酢屋」(外部リンク)を始め、多くの材木商や銘木店が木屋町周辺から千本三条周辺に移転してきたと言います。酢屋は現在千本通にある「千本銘木商会」がそれにあたります。(家業のみ移転、酢屋は木屋町三条下ルに現存します)酢屋は享保6年(1721)年に創業した300年余りつづく材木商です。幕末には坂本龍馬をはじめ、多くの海援隊隊士をかくまい、「海援隊京都本部」を置いていました。

 酢屋の女将にもお話を伺いました。今は7軒しかないですが、かつては千本通だけでも100軒を超える材木商や銘木店があったのだとか。そしてここで、曲がった大通り・後院通の謎が解けました。京都府が千本通に市電を通そうとしましたが、木材の集積地を通すことを避け、迂回せざるを得なかったのだそう。市電の方向を転換させるほど、材木業界は大きな影響力を有していたのだと言います。

 ちなみにJR二条駅のロータリーが丸く広い敷地を有するのは、かつて大きな丸太を辻回しした場所の名残なのだそうです。かつて賑わいをみせた西高瀬川も水害対策のため、昭和10年(1935年)に天神川に流すように改修されて水量も乏しくなって、今は人知れず静かに流れています。歴史ロマンを感じながらこの辺りを歩いてみてください。

京都木材会館(外部リンク)京都市中京区西ノ京小倉町138番地 075-811-0147

地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「YAHOO!ニュース ベストエキスパート2024 地域クリエーター部門 特別賞」を受賞 京都をこよなく愛する地域ニュースサイト号外NETの京都市担当タウンクライヤ―です。四国から大阪の元地方紙記者。観光ガイドをしながら京都時空観光案内2024(観光ガイドのための京都案内マニュアル)全19巻や「やさぐれ坊主京を創る 前田玄以の生涯」(京都文学賞一次審査通過)はじめ、京都を題材にした小説なども執筆しています。

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