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【京都市右京区】2024大河は吉高由里子主演の光る君へ 涼を求めて源氏物語ゆかりの嵯峨野周辺を歩く!

HOTSUU地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 連日の猛暑日が続いていますね。京都では2023年8月2日も「熱中症警戒アラート」が発令されています。そんな中でも、嵐山、奥嵯峨周辺では涼を求めて竹林の径などに訪れる人たちが大勢いました。嵐山のメインストリートを北へ突き当たり、清凉寺から大覚寺へと歩いてみました。

 清凉寺は、浄土宗の寺院。山号を五台山と称します。別名・嵯峨釈迦堂とも。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となりました。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)は弟子の盛算(じょうさん)です。奝然は、永延元年(987年)宋から日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓に三国伝来の釈迦像を安置する寺を建立したのです。

 そして、もともとここには、嵯峨天皇の皇子の左大臣源融、実はこの人が源氏物語の光源氏のモデルとも言われていて、その別荘である栖霞観(せいかかん)があったといいます。

 「絵合」の巻の巻末に、「山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ・・・」、松風の巻に「造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり」とあることから、嵐山メインストリートの突き当たりにある嵯峨釈迦堂(清凉寺)ではないかと言われる所以です。

 奝然は、宋へ渡航中、台州の開元寺で、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に37歳の生身の姿を栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻した釈迦如来像を謹刻させました。釈迦像は、実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれて今日に至っています(現在は霊宝館に安置)。

 大覚寺は、平安初期から嵯峨天皇の離宮として雅な姿を現し、嵯峨上皇崩御後に、その皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)により大覚寺に改められたといいます。源氏物語では、少女巻や若菜上巻でこの嵯峨院や大沢池の秋の美しさが取り上げられています。

 「御堂のさま、おもしろくいはむかたなく、 紅葉の蔭分けゆく野辺のほどよりはじめて、見物なるに、 かたへは、きほひ集りたまふなるべ」(若菜上巻)と。光源氏が紫の上亡き後の晩年をこの嵯峨院で出家生活を送ったと書かれています。

 また松風巻に描かれた「滝殿の心ばへ」の滝殿とは、大沢池の北に遺構が残る名古曽滝(なこそのたき)のことだと言われています。この滝は、藤原公任が「滝のおとはたえて久しくなりぬれどなこそながれて猶きこえけれ」(公任集119)と詠んでいることから、源氏物語の時代よりずいぶんと前に涸れていたことが伺えます。

 かつては平安貴族が舟遊びをしたという大沢の池は、嵯峨天皇の離宮として営まれた嵯峨院の庭池で中国の洞庭湖を模して造られたといわれ、現在でも龍頭鷁首を付けた屋形船を浮かべ観月の夕べが行われています。みなさん、一足先に2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」の聖地巡礼めぐりはいかがですか!

旧嵯峨御所 大本山大覚寺(外部リンク)京都市右京区嵯峨大沢町4 075-871-0071

清凉寺・嵯峨釈迦堂(外部リンク)京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 075-861-0343

地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「YAHOO!ニュース ベストエキスパート2024 地域クリエーター部門 特別賞」を受賞 京都をこよなく愛する地域ニュースサイト号外NETの京都市担当タウンクライヤ―です。四国から大阪の元地方紙記者。観光ガイドをしながら京都時空観光案内2024(観光ガイドのための京都案内マニュアル)全19巻や「やさぐれ坊主京を創る 前田玄以の生涯」(京都文学賞一次審査通過)はじめ、京都を題材にした小説なども執筆しています。

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