【京都市中京区】台風7号の爪痕 首のないお地蔵さんの祠も倒壊 鴨川は見たことない激流になり荒れ狂う!
台風一過の2023年8月16日、暴風雨は落ちつきを見せていましたが、京都三条大橋では、修復されたばかりの真新しい木製高欄にも雨水がしみ込んでいい感じに色づいていました。「却って風情があるなあ」などと思いきや、三条大橋から鴨川を眺めると15日よりさらに雨水を集めて増水したようで、荒れ狂うような激流となって流れていきます。
愛犬の散歩に訪れていた地元に住むという若い女性は、「こんなに荒れてるの見たことないわあ」とスマフォ動画で激流を追いかけていました。
西詰を少し川に沿って下がるとお地蔵さんの祠があるのですが、なんと祠が倒壊して、お地蔵さんが雨ざらしになっていました。暴風雨の強さを物語っています。なんとか早く修復してあげてほしい。
さて、このお地蔵さんですが、首がありません。諸説あるのですが、直ぐ近くで起きた新選組が尊王攘夷派志士を襲撃し、一躍名を馳せたとされる池田屋騒動の際に、近くにあった地蔵が破損し、後に祠に祀られた。との伝承が残ります。
三条大橋の欄干には、今も残る池田屋事件の際に付いたとされる刀傷のあとがあります。 現在営業している池田屋花の舞という居酒屋がありますが、そこが実際に池田屋事件があったところです。東映太秦映画村の協力で店内には新選組と池田屋事件にかかわる展示などがあります。もう一つの説は、「明治の廃仏毀釈の際に潰され、胴だけ残され頭部を失った」というもの。さてどちらが本当でしょうか?
池田屋事件(いけだやじけん)は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩、土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職御預の新選組が襲撃した事件です。
三条大橋 京都市東山区大橋町