【京都市東山区】秀吉と茶々の子鶴松のために建立された寺は家康によってどうなった? 現在は紅葉の名所!
NHKの大河ドラマ「どうする家康」では、秀吉と茶々、後の淀君の最初の子・鶴松が3歳という若さで早世した後、秀吉が朝鮮出兵に乗り出す様子が描かれました。かつて、その鶴松の冥福を祈って秀吉が建立した豪華絢爛な寺院がありました。
東山三十六峰の一つの阿弥陀ヶ峰に豊国廟が築かれ、麓に豊国神社、さらにその西方に築かれた「祥雲禅寺」がそれにあたります。秀吉神格化へのラインとも言われる、その西方には京の大仏と大仏殿、後に正面通と言われる通りを経て、西本願寺の阿弥陀堂が建立されました。
では、その「祥雲禅寺」はどうなったのか? 秀吉が没し、関ケ原の合戦の後、慶長6年(1601年)に徳川家康は、その寺域をそのまま、かつて秀吉が紀州(和歌山県)征伐で焼き払った根来寺(ねごろじ)の学坊「智積院」の住職「玄宥僧正」に寄進します。高野山に逃れたのちに、京都の高雄山神護寺や醍醐寺三宝院を転々としていたと言われる玄宥僧正は苦節16年の時を経て智積院の再興を果たします。
「祥雲禅寺」の名残は、宝物館にある襖絵や障壁画、庭園に見ることができます。利休好みの庭と言われる名勝庭園は、庭造りの名人と言われた大名の小堀遠州が手掛け、秀吉が建てた祥雲禅寺の庭園が原型となっていると言われています。
「展示収蔵庫宝物館」には、長谷川等伯一門による国宝「桜図」「楓図」や「松に秋草図」をはじめとする桃山時代の襖絵や障壁画が収められています。豪華絢爛な桃山文化の息吹を感じさせる作品群です。これらの内のいくつかは、祥雲禅寺建立の際に、本堂や客殿などの装飾として描かれたものと言われています。
弘法大師の教えは高野山から興教大師の根来山に、そして智積院へと脈々と伝えられ、現在、「真言宗智山派総本山智積院」は全国3000の末寺を擁する真言宗智山派の総本山となっています。
さて、日本気象株式会社が2023年10月3日に発表した2023年の主な都市のいろはかえでの紅葉見頃予想日で、京都の紅葉見頃は平年より1週間ほど遅い12月12日頃となっています。この智積院は、知る人ぞ知る紅葉の名所です。時期になると散策自由の境内中に美しい紅葉が色づきます。
昨今かなり知られてきましたが、まだ比較的穴場と言えるかも知れません。ゆっくりと散策出来ますよ。清水寺などに来たときは東山通りを少し南に足を延ばしてみるといいのでは。歴史ロマンあふれる智積院へぜひ一度訪れてみてください!
真言宗智山派総本山智積院(外部リンク)京都市東山区東瓦町964番地