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「楽しいのが1番!」 カリブ海の打楽器に魅せられた女性 楽器を通じて実践する仲間との生き方

帰山雅俊

映像作家/ミュージシャン

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「天使のたて琴」とも形容される打楽器スティールパン。偶然耳にしたその南国の響きに恋をして以来、22年間演奏を続けてきたのがこおりみとさん(46)。勤めていた会社を辞め、銀色に輝くこの楽器が生まれたカリブ海のトリニダード・トバゴへ。本場の熱気を存分に吸収して帰国後、徳島市で「steelband PENDRE(スティールバンド・パンドル)」を結成した。学校職員として生計を立てながら、年間約30本のライブステージに立つ。「この楽器を好きになってもらって、自然に広がればいいな」という思いを胸に活動するこおりさんの姿を追った。

●スティールパンとは?

スティールパンはドラム缶から作られた音階を持つ打楽器で、カリブ海の島国トリニダード・トバゴ共和国で生まれた。繊細な美しさと陽気な力強さを併せ持つ不思議な音色が特徴だ。1992年にはトリニダード・トバゴ政府から「国民楽器」に認められた。

トリニダードでは「パンヤード」と呼ばれるスティールパンの練習場があちこちにあり、そこでスティールパンの音色を耳にできる。学校の授業で習うこともあり、トリニダードの人々にとって身近な楽器だ。

●スティールパンとの出会い

1995年、こおりさんは大学進学を機に生まれ育った徳島を離れ大阪で暮らし始めた。友人と国立民族学博物館で開催されていた「ラテンアメリカの音楽と楽器」展をのぞいてみると、展示されていた丸い楽器にとても興味をひかれた。触れることができたので、ポンッと音を出してみた。

「わー!っていう感じ。一気に心をわしづかみにされる感じで。もうフォーリンラブって感じだったね。」

「この楽器をやりたい」と思ったが、インターネットや雑誌で調べてもなかなか情報は見つからない。就職してからも折に触れ調べてみたが、手がかりは得られぬままだった。5年ほど経ったある日、大阪で活動しているスティールバンド(スティールパンとドラムやパーカッションで構成されたバンド)の情報をインターネットで見つけ、すぐに連絡して見学へ向かった。

●初めてのバンド活動

こおりさんは、その場でバンドリーダーに「やりたいです」と思いを伝え、バンドへ加入。スティールパンを始めて2ヶ月後にはライブに出演していたという。

「スティールパンをたたけることがひたすらうれしかったし、バンドでみんなの息を合わせて、厚みのある音を『ドンっ』て出すのが楽しくて快感だった」

念願かない、ようやく演奏の場を見つけたこおりさんだが、1年ほどして東京へ転勤。初めは大阪まで通っていたが、大阪での活動は次第にフェードアウトしていった。東京で見つけたバンドで活動を再開。週1回の練習で、2ヶ月に1回ほどライブをしていたという。

「20代は会社員やりつつずっとスティールパンばっかりだったね。お金もトリニダードに行くとか、そういうことに使ってた。」

●会社を辞めトリニダード・トバゴへ

2006年、こおりさんは初めてトリニダード・トバゴを訪れた。1週間ほどの滞在で、カーニバルやスティールパンの大会「パノラマ」の空気を肌で感じて帰国した。以後、毎年のようにカーニバルの時期はトリニダードへ通うようになった。

「パノラマ」は世界各国からスティールパン奏者が集まるコンペティション。バンドの規模によりスモールバンド、ミディアムバンド、ラージバンドと部門が分かれており、最大120名編成のラージバンドでは凄まじい音圧で演奏が鳴り響く。こおりさんは予選から決勝までの全てをどうしても経験したくなった。その思いはやがて抑えきれないものになり、実現させるため、ついに会社を辞めた。

すごい心配性だというこおりさんが、なぜそんな思い切った行動ができたのか。「若気の至りだろうね。何とかならないはずはないっていうかさ。パンをやれるウキウキ感しかなかったもん」

徳島へ帰郷したこおりさんは、2010年にはトリニダードに3ヶ月間滞在し、「パノラマ」へ出場。憧れのラージバンド「Desperadoes(デスペラードス)」に加わり、本場の熱気を存分に吸収してきた。

●徳島でスティールパンの活動開始

徳島でスティールパンを演奏している人がいないことを知ったこおりさんは、その魅力を伝えようと演奏活動を開始。知人を介して知り合ったメンバーとイベントやライブへ出演し始めた。2013年には「steelband PENDRE」と名乗り、いよいよバンドの形ができ始めた。新聞でも紹介され、記事を読んだ人やライブの観客が加わるなどして、バンドは次第に大きくなっていった。

いまは20代から50代まで10人のメンバーがいる。何らかの演奏経験を持つ人もいるが、全員がスティールパン未経験。たたき始めて2週間ほどで初めてステージに立った人もいる。「たたけば音がすぐ鳴るってところは、この楽器のいいところだと思う」とこおりさん。「1曲たたけるならライブに出ようって誘う。10回の練習より1回の本番って言うし、だったら本番を1曲だけでも経験した方がいいよね」

●楽しく音楽をやれればいい、その人の人生の中で

こおりさんはメンバーに楽器の扱い方や音の出し方をいちから教えているが、練習は決して厳しいものではないという。練習がつらくなってやめてしまうよりは「楽しい!やりたい!」という気持ちで音楽を続けていけることを大切にしているからだ。

新聞記事を読みメンバーとなった石動佳代子さんは「ゆるーく、やわーく、でも前に進んでいく。だから一緒にやりたいっていう人が多いじゃない?それはミトちゃんだからだと思う」と、こおりさんの柔らかく、かつ芯のある人柄について話す。

●「裾野を広げること」が自分の役割

「スティールパンが広まればいいなと思っているけれども、積極的にガンガン広めたいわけでもない。自然と広まっていけばいいなって思う」

それでもライブ出演の依頼やメンバーは年々増えている。ライブ活動を通じて人とのつながりが生まれる。その縁がまた新たなつながりを生み、活動場所が増えていく。こおりさんの飾らない人柄もあってか、何度も声をかけてもらうイベントも少なくない。

「自分はプロを目指すパーソナリティではないと思う。それよりもパンの裾野を広げる方が私の役割じゃないかな。もしかしたら後進の人たちからプロの演奏家が出るとか、教える人が出てくるとか」

●徳島とトリニダードをつなげる文化交流。そして次の世代へ。

トリニダードの文化に影響を受け活動してきたこおりさんだが、故郷へ帰ってから徳島にも「阿波おどり」という素晴らしい文化があることを再認識した。将来は徳島の阿波おどりとトリニダードのカーニバルをつなげられるような交流をしたいと夢を語る。

「アクション?それは私がスティールパンを続けることと、踊り連(れん)に在籍し続けることかな。続けてる中で巡ってくるチャンスを掴めたらいいな、と」

自分から前のめりに誰かへ働きかけることは苦手とこおりさんは言う。自分の役割を認識し、今できることを地道に続ける。あとはスティールパンを楽しみ、自然の流れに身を任せる。

「自分が死んだ後もバンドが続けばいいね。若い子にもっと興味を持ってもらって、スティールパン好きが次の代、次の次の代って、ずっと続いていけばいいなと思う」

自分の人生にたくさんの豊かさを与えてくれたスティールパン。その楽しさがひとりでも多くの人に広まるようにと、こおりさんはこの楽器を奏で続ける。

クレジット

監督 / 撮影 / 編集 / ライター:帰山 雅俊

プロデューサー:初鹿 友美

アドバイザー:長岡 参

インタビュー録音:DAISUKE KOBAYASHI

音楽:ワークショップ楽曲 「かんまんかんまん」by Go Jean Paul

撮影協力:Aozo Light(高知県室戸市・ワークショップ会場)

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