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リハビリ室で知る平和の意味 戦場から来た小さな犠牲者を支える日本人作業療法士

河原剛

ディレクター

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2022年2月ロシアのウクライナ侵攻は世界を驚かせた。だが戦禍はアフガニスタンやパレスチナなど、実は世界各地で今も続いている。そこでいつも犠牲になるのは、罪のない子供たちだ。ドイツ・オーバーハウゼン市の「ドイツ国際平和村」は、そうした子供たちを治療し、体と心を元気にして母国に帰すための施設だ。ここで働く日本人の作業療法士がいる。中奥みのりさん。彼女はどんな思いで子供たちと向き合っているかを取材した。

【傷ついた子供たちを救え】
国際平和村がドイツ市民によって設立されたのは1967年。第3次中東戦争やベトナム戦争で傷ついた子供たちを救うのが目的だった。傷ついた子供たちをドイツに招き、治療やリハビリを提供する。活動はすべて募金で賄われ、これまでに51カ国3万人以上の子供を救ってきた。

平和村が受け入れるのは2歳から12歳で、以下の4つの条件を満たした子供だ。
1. 母国では治療できないケガや病気を抱えていること
2. ドイツでの治療によって回復の見込みがあるケガや病気であること
3. 貧困家庭であること(子どもに外国での治療を受けさせることができるほど
裕福な家庭の子どもたちは受け入れません)
4. 家族やその国の政府が、治療が終わったら帰国するという方針を理解している(子供たちの帰国が保証されている)こと

子供たちの滞在期間の平均は1年ほど、治療が長引くと数年に及ぶこともある。
保育士、教育者、社会福祉士、栄養士、作業療法士、看護師、医師ら、様々な分野の専門家が正規スタッフとして運営に当たり、ボランティアや教育実習生なども加わっている。
2020年から2年間は、コロナによる規制のため、思うように紛争地から子供たちを連れてくることができなかった。規制が緩和された2021年11月からようやく活動は元通りになりつつある。

【子供たちの一生懸命さがやりがい】
タジキスタンからきたシャムジディン君(9歳)は、医療が満足に受けられない劣悪な環境の母国で、両足が重度に変形して生まれた。平和村のスタッフが面接のうえ、ドイツに連れて来て、2年前に両足を切断。その後2回の手術を受け、ようやく義足をつけ松葉杖で歩く練習をする。サポートするのが中奥みのりさんだ。
中奥さんは小学生の時に、テレビ番組でドイツ国際平和村のことを知った。「いまだに戦場で傷つく子供たちがこんなにいるか」と衝撃を受けたという。「平和村でそういう子供たちと触れ合ってみたい」と思い、高校を卒業後、作業療法士の専門学校に進んだ。同時にドイツ語も猛勉強して、平和村にやってきたのは6年前。いまは毎日10人以上の子供のリハビリを担当している。
「子供たちの純粋さ、自分が元気になりたいという一生懸命さが伝わってきて、それがリハビリをするやりがいになっている」と中奥さんは言う。
シャムジディン君は、やがて松葉杖を外して自力で一歩ずつ歩く訓練を始めた。生まれてから一度も歩いたことがなかったシャムジディン君が、中奥さんの指導に耳を傾けながら必死に歩いていく。足がスムーズに前に出せるようになったら、両親が待つ母国に帰れる。その日を夢見て、歩く、歩く。「いつかサッカーボールを蹴ってみたい」。1週間後、物をまたげるまでに足が動かせるようになった。

【リハビリ室で知る平和の意味】
子供たちの体を第一に考え、時には厳しい指導をする中奥さんを子供たちは「鬼!」とも呼ぶ。同時に子供たちに最も慕われているスタッフの1人でもある。自分の体を直してくれるのが彼女であることを、子供たちはよく分かっているからだ。
そんな中奥さんのリハビリ室は子供たちの憩いの場にもなっている。いつも誰かが中奥さんに声をかけ近づいてくる。お互いを励まし合い、体を治していく子供たちには、国境を超えた友情が芽生えていく。子供たちはここで初めて平和の意味を知る。


【母国に帰れる子供 帰れない子供】
アフガニスタンの子供たちにとって、待ちに待った日がやってきた。治療を終え母国に帰る子供が発表されるのだ。たとえ紛争地であっても、だれもが親の待つ母国に帰りたい。帰れる子供、帰れない子供。さまざまな感情が交錯する。
2019年に平和村に来たオバイドゥラ君(12歳)は、6年年前クリケットをしていて骨折した。だが、村に医者はおらず3年間も放置され骨髄炎を発症した。平和村に来て何度も手術したが良くならず、2年前に右足を切断した。今回、ようやく帰国できる。義足をつけての歩行が上手になったのだ。
オバイドゥラ君は言う。「ここでの生活が3年にもなるから、うれしいけど何か変な気持ちだ。ここまで歩けるようになったのは全部みのりのおかげ。足は失ったけど、その代わりこれからの人生を手に入れることができたよ」

アフガニスタンに帰れる子供たちが、みのりさんの部屋に集まってくる。みんなお礼が言いたいのだ。みのりさんは帰る子供1人1人に傷口の処置の仕方やリハビリのやり方を教える。さらに自宅に持ち帰る杖などの護身具も、成長に合わせて使えるように細かくチェックする。みのりさんはほかの理学療法士とは異なり、子供たちを母国に返したら2度と面倒を見ることができない。最後の細かいケアが大切なのだ。

一方で帰れなかった子供のケアも忘れてはならない。オバイドゥラ君と仲の良かったエヌファヌラ君(12歳)は、まだ帰れない。彼はガス爆発で右腕、骨盤、股関節を失った。股関節は形をなしておらず、骨ももろくてなかなか治療が進まないのだ。みのりさんは言う。「仲の良かったオバイドゥラも帰ってしまうので、気分的にも頑張ろうと言う気になかなかなれない状況が続いていて……。自分の体がこうだからって言うふうに、いろんなことを諦めて欲しくないなと思うので、彼ができることを丁寧に丁寧に探していくのが、私たちの仕事かなと思いますね。」
エヌファヌラ君が帰れるめどは、まだ立っていない。

【みのりさんの思い】
オバイドゥラ君の義足も最終チェックする。みのりさんはかねて思っていたことを聞いてみた。
「私は、足を切断した後あなたはすぐにリハビリを始めないと思っていた。切断したショックはあるし、感覚はないし、でも、あなたはすぐに始めたよね」
「平和村だからできたんだ。みんながいたからできたんだ。ここでは思いっきり楽しめて、思いっきり子供らしくいられる。誰かが寂しいとき、誰かがそばにいてくれる。ここでの体験は一生忘れない」

オバイドゥラ君は、「家に帰ったら父親の建設業を手伝いたい」と、重い荷物を運ぶリハビリを始めた。みのりさんをじゅうたんに乗せて引っ張る、2人の笑い声がリハビリ室に響く。希望の象徴のように。
みのりさんは言う。「やっぱり義足で、自分の足で立てているというのは、オバイドゥラの中で可能性が広がったのかなぁって思います。傷ついていた子供たちに、子供らしさが戻ってきた時が一番うれしいです」
帰国の直前、オバイドゥラ君がみのりさんにプレゼントを持ってきた。日本をイメージして描いた絵画。照れながらお礼を言うオバイドゥラ君。
そして平和村に残る子供たちに見送られ、治療を終えた19人の子供がアフガニスタンに帰国。同時に、傷ついた子供89名が、新たにアフガニスタンから、ドイツ国際平和村に向かった。
今もなお、世界各地で紛争は終わらない。

クレジット

監督・編集 河原剛
撮影 宍倉妙子

プロデューサー 梛木泰西 細村舞衣 金川雄策
協力 ドイツ国際平和村  http://japan.friedensdorf.de/

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