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「母ちゃん、俺仕事辞めて漫画家になる」脱サラして連載デビューを目指す 現代のトキワ荘の挑戦

岸田浩和ドキュメンタリー監督

2020年の春、漫画家志望の4人が、共同生活で切磋琢磨しながら連載デビューを目指す挑戦が行われた。集った顔ぶれは、会社員、大学生、美術予備校の講師、ジュエリー作家の4人。なかでも大手流通会社勤務のよこせさんは、安定した収入を捨てて漫画家になる不安を抱えながら、家族に漫画家への転身を伝えるかどうか葛藤していた。

漫画家の共同生活と聞けば、かつて手塚治虫や藤子不二雄ら、昭和を代表する巨匠が新人時代にともに暮らした伝説のアパート「トキワ荘」が思い浮かぶ。現代のトキワ荘に住む4人の参加者は、電子書籍やSNSが台頭し激変する漫画の世界で、連載のチャンスを掴むことができるのか。デジタル時代のクリエイターたちが「なりたい自分になるため」の成長と覚悟の軌跡を追いかけた。

■現代のトキワ荘の挑戦が残したもの
4人の参加メンバーが計画を耳にしたのは、2020年の年明けだった。編集者の呼びかけで住居提供に協力してくれる企業が見つかり、計画が具体化したのだ。そして「いま、もっとも伸びる可能性を秘めながら、まだプロとしての覚悟が決まっていない4人」が集められ、2月中旬に共同生活がスタートした。

参加者の4人は、本業を持ちながら漫画家を志願する、プロとは呼べないメンバーだ。共同生活の狙いは、お互いが教え合い、化学反応を起こしながら、成長していくこと。

会社員のよこせさんは、幼少時代より絵の世界や漫画家に憧れを持ちながら、進学や就職の際に踏み込めず、夢をあきらめてきた過去がある。趣味の延長線上で漫画を描くために漫画スクールに参加したことが転機になった。課題で制作した漫画がTwitterで大反響を呼び、一気に漫画家への夢が膨らむ。共同生活を始めた頃は「会社を辞めるつもりはない」と断言していたが、他の3人のメンバーの意気込みに影響を受け、自分でも予想だにしなかった大きな決断に結びつく。

大学生の秋野ひろさんは、このプロジェクトを主催する編集者の佐渡島庸平さんに、ストーリーの発想や作家性を見いだされ参加が決まった。一回りほども歳の離れたメンバーにも、漫画について臆さず議論し、仲間にも大きな影響を与えた。自身の進路に関しても、漫画家デビューへの決意を固めた。

美術予備校で講師をつとめるワタベヒツジさんは、芸大の卒業制作で漫画に取り組み、将来漫画家になる事を決めたという。予備校講師の傍ら、自らSF漫画を描き、編集者の佐渡島さんに持ち込んだことで参加メンバーに抜擢された。色彩や美術の基礎に関する豊富な知識を生かし、秋野さんやよこせさんに技術的なアドバイスを行うなど、重要な役割を担う。

美大出身で、デザイナーを経てジュエリー作家として生計を立てていた惑丸徳俊さんは、34歳という年齢に危機感を持ち、漫画に専念するため仕事を休職して参加した。共同住宅退去後は単行本の作画とイラストでデビューするなど、プロとしての道を歩み出す。漫画と真摯に向き合うその姿勢は、とくに会社員のよこせさんが強い影響を受けてゆく。

本作では、よこせさんが3人の仲間との切磋琢磨や編集者のサポートの結果、葛藤を乗り越え漫画家を目指す半年間の道のりをおさめた。その歩みはぜひ映像で確認してほしい。

■共同生活の仕掛け人とねらい
手塚治虫を皮切りに、藤子不二雄、赤塚不二夫など、漫画界を代表する昭和の巨匠たちが暮らした「トキワ荘」に着想を得たこの取り組み。4人がともに暮らす集合住宅は、この挑戦を企画した作家エージェンシー「コルク」にちなんで、「コルク荘」と名付けられた。2012年創業したコルクは、インターネットやモバイル時代に最適化した漫画コンテンツの流通を目指す、作家のクリエーターエージェンシーだ。紙媒体の単行本や雑誌の発行部数が落ち、従来の出版モデルに陰りが見える中、作家と並走しながらヒット作を生み出し、さまざまなメディアにコンテンツを展開していく、マネジメントと編集を一体化した独自の業務を行う。

代表を務める編集者の佐渡島庸平さんは、講談社の週刊モーニング編集部時代に『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『16歳の教科書』など、数々のヒット作を担当した編集者として知られている。

■激変する、漫画の世界
漫画の在り方はスマホの普及とともに急変。2019年には、日本のコミック市場において、電子媒体による占有率が50%を超え、ついに紙の市場規模を逆転した。実際に、紙の雑誌が次々と休刊する一方で、漫画専門のWebプラットフォームがいくつも誕生している。

これに伴い、作品の全編カラー化が普及し、加えてスマホやタブレットで読みやすいレイアウトが求められるようになった。特に、スマホに最適化した「縦スクロール」など、紙のレイアウトとは全く異なる新しい表現手法も試行錯誤されている。

さらに、輸送や印刷コストのかからない電子版は、海外展開を後押しした。アジア圏の読者が増える一方で、海外でも漫画制作者が増えている。カラーの縦スクロール漫画に関しては、いまや韓国や中国の制作者と作品が、数や技術的にも先行しているとさえ言われている。

作家を目指す道にも、変化が訪れた。
これまで漫画家志望者は、雑誌掲載という狭き門を目指してきた。漫画家のアシスタントやアルバイトをしながら自分の作品を描きためて新人賞に応募したり、出版社の編集部に持ち込んで、デビューのチャンスを狙ってきたのだ。

編集者の佐渡島さんは、従来の新人発掘の仕組みを「一握りのタフな新人だけが勝ち残れる仕組みだった」と振り返り、「その後ろには、討ち死にしてしまった沢山の才能が埋もれていた」と話す。
そして現在、編集者による新人育成も変化を求められていると感じている。大勢の中から1人の優れた作家を発掘するのではなく、可能性のある若手作家たちをレベルアップさせながら、描き続ける中でそれぞれに合った作風やフィールドを見つけてもらい、”一流の作家“に成長してもらうのだ。

読者の獲得やマネタイズの方法も多様化している。雑誌の連載を持たない新人漫画家でもTwitterで積極的にコンテンツを発信し、作品やファンを獲得できるようになった。さらに、漫画家自身がインスタグラムやYouTubeのライブ配信で読者と直接交流するなど、従来になかったコミュニケーションも生まれている。一定数のファンがいれば、作品への課金だけではなく、作品のグッズを制作してECサイトで販売するなど、マネタイズの可能性も広がっていく。

参入の間口が広がった一方で、プレーヤーの数も増えている。競争が激しくなり、漫画を描き始めることよりも、活動を継続することの方が難しくなったのだ。佐渡島さんはこうした環境の変化に合わせて、漫画家の成長を支えながら、まだ見ぬ優れたコンテンツを世に送り出す仕組み作りに奔走している。

■伝説のトキワ荘に学ぶわけ
後世に語り継がれる漫画家たちを育てた「トキワ荘」。ここに、新人育成のヒントが隠されている。「天才がたまたま集まったのではなく、同じ志の者が、同じ空間で共に過ごすことで、一緒に高め合って一流の漫画家に育っていったんじゃないか」と佐渡島さんは考える。

「従来、出版社ではひとりの漫画家を育てるのに、平均して4〜5年の期間が必要でした」と佐渡島さん。編集者が作家と1対1で向き合って育てられる人数にも限りがある。そこで「トキワ荘」の環境を参考に、「作家同士がお互いを高めあう仕組み」を設計しようと考えたのだ。

その中で重要なのが、参加者同士のフィードバックだ。「おもしろい漫画を描くために、相手の漫画がつまんない時には、しっかり言わなきゃいけないんですよ。どういう風につまんないのか、どうすれば良くなるのか」。共同生活をとおして忌憚のない意見を伝え合うことで、切磋琢磨しながら成長することができるのだ。

コルク荘に入った4人は、わずか3カ月の共同生活であったが、お互いに影響を与えあい、それぞれのプロ意識を高めて漫画家のスタートラインに立った。今後は、編集者の佐渡島さんの力を借りながら、同じステージの新人3人を加えた7人でグループを作り、オンラインツールを駆使して、切磋琢磨の環境を発展的に継続させるという。

急速なデジタル化により、漫画をはじめとしたコンテンツの市場は大きく変化した。従来の手法や成功パターンが通用しづらくなり、漫画家や作家の試行錯誤が続いている。かつて、昭和の巨匠たちが体現した「切磋琢磨し高め合う」という手法が、コンテンツ市場で闘うクリエーターにとっての、成長と成功のキーワードとなるに違いない。

受賞歴

ニューヨーク市フード映画祭(2016)最優秀短編賞、観客賞
京都インディーズ映画祭(2012)最優秀ドキュメンタリー賞

クレジット

監督/撮影/編集:岸田浩和
プロデューサー:前夷里枝
取材協力:佐渡島庸平、株式会社コルク

ドキュメンタリー監督

京都市出身。立命館大学、ヤンゴン外国語大学、光学メーカーを経て、ドキュメンタリー制作を開始。2012年に「缶闘記」で監督デビュー。2016年の「Sakurada,Zen Chef」は、ニューヨーク・フード映画祭で最優秀短編賞と観客賞を受賞した。2015年に株式会社ドキュメンタリー4を設立。VICEメディア、Yahoo!ニュースほか、Webメディアを中心に、映像取材記事を掲載中。シネマカメラを用いたノーナレーション方式の制作が特徴。広告分野では、Google、UNICEF日本協会、妙心寺退蔵院などのプロモーション映像制作に携わる。関西学院大学、東京都市大学、大阪国際メディア図書館で講師を務める。

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