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自閉症の25歳画家が落ちた“初恋” 「人生を分かち合う存在が欲しい」

近藤剛映像ディレクター

「絵を描いている時だけ、自分を表現できる」。
正規の美術教育を受けていない多様な立場の人が作り出す「アール・ブリュット」(生の芸術)の分野で注目を集める若手作家がいる。広汎性発達障害(高機能自閉症)のある古久保憲満(のりみつ)さん(25)だ。ボールペンと色鉛筆で精細に描き、展示中の作品にも加筆するほど絵へのこだわりが強い。作品は国内のコンクールなどで受賞歴があるほか、海外の美術館にも寄贈している。他方、私生活では人間関係を築くのが苦手で、親が高齢化する中で自身の将来に不安も抱く。「分かち合える存在がほしい」。そんな時に出会った人がいる。自立を模索する憲満さんの「初恋」に密着した。

小学1年で「自閉症」診断 「絵を描いている時だけ落ち着いた」
滋賀県東近江市で生まれ育ち、3歳の頃から絵を描き始めた憲満さん。学校の教室や運動会といった行事など、大勢の人が集まる場所にひとりで入って行くのが苦手だった。外食に行っても人目が気になり、大きい声や音が苦手で、個室でなければ食べられなかった。小学1年の時、広汎性発達障害(高機能自閉症)と診断された。「障害がどうのこうのとか、自分がおかしな人間とか思うというよりは、自分は世界一馬鹿な人間なんだと思っていた。みんなから怒られている存在だという思いがあった」。
そんな憲満さんを救ったのが絵だ。毎朝、学校に行くときに母親が持たせてくれたスケッチブックと色鉛筆で絵を描いているときだけは、心を落ちつけることができた。中学校からは県内の養護学校に通い、高等部に進学すると、ちらしやカレンダーの裏紙に絵を描き、セロテープでつなぎどんどん大きくした。その姿が美術の先生の目に留まり、大きな紙に絵を描くことを勧められた。
出来上がった作品「未来の上海ディズニーランド」(157×121cm)を障がい者アートの公募展に出展すると、最優秀賞を受賞。20歳の頃にはアール・ブリュットの美術館があるスイスに招かれ、やがてこの美術館に作品を寄贈するようにもなった。その後、観覧車や高速道路、軍隊や刑務所など、関心を抱いたものを次々と描いた代表作「3つのパノラマパーク」(縦1.6×横10メートル)を6年かけて完成させた。ペン先を駆使して緻密な線で鮮やかな色彩を織り交ぜながら描き、四方からの建物や道路で大胆な世界を作り上げた点などが専門家たちから高く評価されている。

「独りでどう生きるか」自立模索で見つけた“初恋”
憲満さんは20歳を過ぎ、父親は60代に入り老後を見据える。年を重ねるにつれ、憲満さんはある不安にかられるようになった。「親がいなくなったあと、独りでどう生きていけばいいのだろうか」――。
高等部卒業後は就労継続支援を利用し、現在は東近江市内の福祉作業所で1日6時間、週5日働く。仕事は商品の梱包作業などで、月給は約2万円。稼いだお金は移動時のガソリン代や食費に使う。生計でも日常生活でも、両親の存在は大きかった。自立を目指す憲満さんは、運転免許を取得したり仕事で昇給を目指したり、自宅での家事や料理など様々な挑戦を始めた。筆者は、そんな彼に2年半密着し制作した映画「描きたい、が止まらない」(90分)で、憲満さんが現実と向き合う日々を描いた。
憲満さんは女性への興味をずっと抱きながらも、25年間交際相手がいない。「自分には無理だと思っていた」。だが短期間に自動車免許を取れたことで自信をもち、彼女をつくりたいと思い始めた。「分かち合える存在がほしい。一時的な(欲求を満たす)ものよりも」。
 2019年5月、親戚の叔父さんと会ったときのことだ。たまたま「彼女がほしい」と話すと、勤務先にいる若いインドネシア人の女性を紹介してくれた。それがエバさん(32)だ。「かわいかったし、優しかった」。叔父の家で初めて会ったときに撮った二人の写真に写る憲満さんの表情は、とてもにこやか。エバさんは日本語が堪能ではなく、二人はインターネットの翻訳機能を使いSNSでやり取りを始めた。

「交流が苦手」の憲満さんに初恋がもたらした変化
 エバさんとの交流は手探り。「自閉症とか、発達障害とか、全く知らないと思うんですよ。一緒にやっていけるの、とか聞かれそう」。絵を描き続けながらも、「頭の中の85~90%はエバちゃんのこと」。手をつなぎたい。デートもしたい。だれかを恋しく思うのは初めてだ。「女性と一緒にいるとこんな感じなのか、これが出会いというものなのかと思った。これまで経験がないドキドキやうれしい気持ちが湧いた」。描き途中の絵にもエバさんをモチーフにした表現がある。「初恋」が、憲満さんの創作にも影響を与え始めていた。
 2019年9月、憲満さんはエバさんを自宅に招いてバーベキューパーティーを開催した。パーティー中、憲満さんがエバさんをデートに誘いだす。手を握り合って歩く二人。憲満さんがおもむろにスマートフォンを取り出す。翻訳アプリを使いながら憲満さんはこう伝えた。「彼女として付き合ってくれる?」。コミュニケーションへの苦手意識を持ち続けてきた憲満さんが、初めて伝えた好意だった。
 ただ、言葉や宗教の「壁」があった。「ごめんなさい。付き合うのは難しい」。エバさんがそう返した。憲満さんは「今までにないくらいショック」。初恋は、ほろ苦い思い出になるかもしれない。
 そんな初めての告白後も、憲満さんはそれまでと同じように日常で自立の模索を続けている。変化もある。「好きな人と交流したい。日本人同士が付き合うのと同じように、自分も(相手が外国人であっても)恋人同士になりたい」。初恋を経て、これまでよりも積極的に恋愛に向き合うようになった。ずっと人間関係が苦手だったが、憲満さんは今、少しずつ他人に心を開き始めている。

ひたむきに突き進む 憲満さんの生きざまが問いかけること
今回の映像は、憲満さんがエバさんに恋心を抱く様子を撮影したドキュメントだ。
 憲満さんにカメラを向けていつも思うのは、素直さだ。自分の中に湧いてくるいい感情も悪い感情も言葉にして伝え、表情や態度で表すし、絵に描いていく。発達障害のある、すごい絵を描く男の子の姿を描けば、多くの人に見てもらえる映像になるのではないか。撮り始めた当初、そんな打算がなかったわけではない。しかし、憲満さんの人生を見つめているうちにふと思うようになった。「憲満さんは自立に向けて頑張って生きようとしている、じゃあ一体自分はどうなんだ?」と。
 今回の初恋編で、憲満さんの揺れ動く気持ちを見つめてほしい。初めて恋する彼の姿は、人が人を好きになる純粋さを感じさせてくれるはず。何事にもひたむきな“憲満ワールド”を皆さんぜひご堪能ください!

クレジット

撮影・編集・ディレクター:近藤 剛

映像ディレクター

児童虐待を未然に防ぐため親たちを救う施設や、在日コリアンが通う朝鮮学校などを密着取材し、弱者に寄り添う視点で番組を作る。東日本大震災の復興のために活動する人々に焦点を当てたドキュメンタリーを制作している。2015年から、発達障がいを抱えるアールブリュットの画家の古久保憲満さんを取材し、自立に挑む姿を追い続ける。

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