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命の選択迫られる難病ALS患者の“生きる”を支える「仙人ヘルパー」

近藤剛映像ディレクター

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、手足を動かしたり呼吸をしたりするための筋肉が徐々にやせ、動かなくなっていく難病だ。発病すると文字盤を使ってのコミュニケーションやたんの吸引などの医療的ケアが求められるため、介護するヘルパーのなり手が少ない。愛知県でALS患者をケアする介護福祉士でヘルパー歴15年の今田ゆかりさん(55)は手探りで相手との信頼関係を築き、心に寄り添いながらの介護ぶりから、いまでは関係者の間で「仙人ヘルパー」と呼ばれている。患者にとって生きるか死ぬかの選択を迫られる現場で、患者に優しいまなざしを向け続ける今田さんの介護にかける情熱とは。

ALSなどの難病患者を重点的に受け入れている名古屋市北区の入居型介護施設「ななみの家」。職員60人、部屋数20のこの施設では13人が暮らしている。代表の冨士惠美子さんに初めて連絡をとったのは2020年8月末。新型コロナの感染者数が落ち着いた頃を見計らい、10月下旬に施設を訪問し取材した。

2021年夏の東京オリンピックを見るまでは、生きていたいという男性をはじめ、10人のALS患者は、与えられた個室を好きなようにレイアウトし、自宅のように使っていた。そのひとり飯島さん(45)は、動かせるのが眼球と左足の親指のみ。6年前から人工呼吸器をつけている。部屋の壁には、小学生の2人の子どもが描いた飯島さんの絵や親子の写真が飾られていた。特効薬もなく、自分の身の回りのことを全て介助してもらう必要があるALSは「絶望の難病」とも呼ばれる。患者や家族の苦難は、健康な者には想像するのが難しい。だからこそこの病に苦しむ患者の姿を広く伝えるべきだと考え、ヘルパーの文字盤を通じて、飯島さんに撮影許可を求め、了承を得た。

飯島さんを介護しているヘルパーのひとりが、今田ゆかりさんだ。飯島さんを担当するようになってから5年たつ。高齢者介護とは異なり、ALS患者の介護には高い専門性が求められる。患者とコミュニケーションをとるため文字盤などのツールを使いこなす必要があり、たんの吸引や胃ろうによる食事までこなさなければならない。このため高齢者介護のヘルパーに比べると、圧倒的に数が少ない。この施設で介護ヘルパーを募集しても、ALSの介護ができる応募者は10人に1人程度だという。さらに患者の心の機微を読み、どう生きていくべきか悩む患者の精神面まで支えられるヘルパーとなると、その存在は極めてまれだ。一般の介護職と同じ報酬でありながら、高度な専門性を身につけ、献身的に介護の職務を全うする。ALS患者にかかわる人たちは、そんな優秀なヘルパーをかすみを食べて生きることになぞらえて「仙人ヘルパー」と呼んでいる。今田さんも、そのひとりだ。かつてはバイオリンを弾き、音楽好きな飯島さんを、今田さんは何度もコンサートに連れ出したりもしている。ヘルパーとして求められる介護にとどまらず、患者が生きていくうえでの楽しみをかなえてあげることにも力を尽くしている。

日本国内には、9894人のALS患者がいる(2019年「衛生行政報告例」の特定疾患医療受給者証所持者数)。人口の多い都市部ではALS患者の介護ができるヘルパーを見つけられても、地方ではそうしたヘルパーが1人もいないことは珍しくない。ALSと診断された本人やその家族が生活していくための情報を得られなければ、どう暮らしを整えていけばいいのか迷うことになる。ALS患者のケアを始めて9年になる今田さんは、当初はななみの家の常勤ヘルパーだった。ALSに特化した施設が愛知県内や近県には少なかったことから、入居者ではない患者や家族からも多くの相談を受けていた。また、ALSに関する学会や講習会、イベントを通じて、患者や家族だけでなく、福祉用具の業者などとも幅広くつながりをもつようになった。そうした新たな出会いを通じて、今田さんは、患者の困りごとを解決するための知識をどんどん吸収してきた。

ALSについて知れば知るほど、ヘルパーがいない地域で暮らす患者をどうケアしていけばいいかを考えるようになった。そこで2019年から地域や施設の垣根をこえ、フリーな立場で介護にあたる働き方に変えた。すると、今田さんを頼りにするケアマネジャーや看護ステーション、保健師などからALSで困っている患者や家族を次々に紹介されるようになった。休日にはその人たちのもとを直接訪ね、これまで培った知識やネットワークを生かして相談に乗っている。ひとつの問題が解決しても、しばらくすればまた次の問題が出てくるため、こうした人たちとは毎日のように電話やメールでやりとりをしている。休む間もなく働く今田さんだが、患者や家族らと一緒に解決策を探し続けていくことで、お互いの信頼関係が深まっていくのだという。
「相談にこぎつけられる人は、まだいいんですよ。問題は、情報を得られる機会がない人、もしくはALSに絶望して、情報に全く触れようとしない人たちに対してどうしていくかです」と今田さん。「家族が周りの人にALSであることを隠したり、本人にも伝えなかったり、いまだにそういうことが本当にあるんです。ALSに関する捉え方の地域差が大きく、その間に病気が進行し、手遅れになってしまうケースもあります」

ALSは体の筋肉がやせて動かなくなっていく病気であるため、発症すると歩行
が困難になるなど生活に支障が出る。呼吸をするための筋肉が動かなくなると 
、呼吸障害が起こる。難病医学研究財団が運営する難病情報センターによると 
ALSは発病から2〜5年で亡くなってしまうこともあれば、人工呼吸器をつけないまま10数年にわたりゆっくり経過することもあり、患者によって症状の出方は大きく異なる。

そうした中、患者が迫られる大きな選択のひとつが、人工呼吸器をつけるかどうかだ。呼吸が難しくなっても、気管を切開して呼吸器をつければ、生き延びることができる。ただ、それは同時に、自分の声を失い、頻繁なたんの吸引の必要などから24時間介護になることを意味する。呼吸は維持できても患者ひとりでは生活ができないため、家族の負担も考え、生きる意味を自らに問いかけざるを得なくなる。24時間介護にはヘルパーの支えが必要だが、その担い手の数は決して十分ではない。そのため、ALS患者の約7割は人工呼吸器をつけないという現実がある。

ななみの家で暮らす飯島さんも、人工呼吸器をつけるかどうかで悩みに悩み、心も荒れた。しかし、子どもたちの成長を見届けたい、この体でも人の役に立てることをしたいという思いに至り、人工呼吸器をつける決断をした。

ではALSを発病すればその先の生活は真っ暗なのかといえば、きっとそうではない。患者たちは、いつも明るく笑顔を絶やさない今田さんたちに接し、時にブラックジョークも交えた会話を、文字盤を通じて楽しんでいる。常に生や死を意識せざるを得ないからなのか、患者とヘルパーの間には優しい空気が漂っている。いつか自分も死ぬことを忘れて生きている私たちが、この映像を通じてALSという病気を知り、難病に苦しむ人やそのサポートをしている人に少しでも優しいまなざしを向けていけたらと願っている。

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本作品は【DOCS for SDGs】にも掲載されております。
【DOCS for SDGs】他作品は下記URLより、ご覧いただけます。
https://documentary.yahoo.co.jp/sdgs/
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企画・撮影・編集 近藤 剛

映像ディレクター

児童虐待を未然に防ぐため親たちを救う施設や、在日コリアンが通う朝鮮学校などを密着取材し、弱者に寄り添う視点で番組を作る。東日本大震災の復興のために活動する人々に焦点を当てたドキュメンタリーを制作している。2015年から、発達障がいを抱えるアールブリュットの画家の古久保憲満さんを取材し、自立に挑む姿を追い続ける。

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