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「ずっと孤立無援だった」 海の砂漠化“磯焼け“に立ち向かう海士の20年の闘い

近藤剛

映像ディレクター

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古くから漁業が盛んな佐賀県唐津市。好漁場と言われる玄界灘の沿岸では、幻とも言われる赤ウニが採れ、東京の高級料理店などでは高値で取引される人気商品になっている。その赤ウニで生計を立てる海士(あま) 袈裟丸(けさまる)彰蔵さん(44)は20年前、海である光景を見た。それは海藻がなくなり、岩肌が白くなる「磯焼け」という現象だった。生き物の姿が見えないその海にいたのが、ガンガゼウニと呼ばれる南方系のウニ。いわゆる外敵だった。ウニは元々海藻を主食とするが、ガンガゼウニの食欲は極めて旺盛で、すんでいる海域の海藻を食べ尽くしてしまうほどだ。地元の海のあちこちで磯焼けが広がるのを目の当たりにし、危機感を抱いた袈裟丸さんは、藻場の回復に努めてきた。藻場は、森林の「グリーンカーボン」に次ぐ二酸化炭素(CO2)削減の切り札として期待が大きい。地球温暖化が加速し、自然環境が目まぐるしく変化する中、袈裟丸さんがひとりで取り組む環境保全とはどういうものか?そのブレない行動の原動力は何か。

■伝統の素潜り漁を妨げる天敵
最盛期を迎えた唐津市鎮西町沿岸での赤ウニ漁。地元で海士を生業(なりわい)とする袈裟丸さんは、ウニ漁最盛期の7月、1日1回3時間の漁に出る。袈裟丸さんたち海士は素潜りでウニを取る。乱獲を防ぐため、海士には酸素ボンベの使用は認められていない。素潜りできるのは1回につき1分20秒から30秒ほど。祖父、父の跡を継ぎ3代目として海に潜り始めたころ、「常に泳ぎながらの作業は大変で、体力的にきつい。ずっとこれやってきたのかと思った」と袈裟丸さんは振り返る。

袈裟丸さんの素潜り漁をさらに厳しくしているのが、赤ウニの成長を妨げるガンガゼウニの駆除だ。赤ウニ漁では、専用の鉄の棒を岩の間に差し込んで傷つけないように取り出し、手でつかんで腰の編み袋に入れていく。同時に、同じ岩の間にいるガンガゼウニを見つけては岩の上に置き、鉄の棒で粉々につぶしていく。駆除をしながら漁獲するため、漁獲にあてられるのは潜っている時間の半分になってしまう。

■海水温上昇で広がる磯焼け
東京の高級料理店で扱われる赤ウニは希少価値が高いため、幻のウニと称される。人気の一方で、漁獲量は年々減る傾向にある。袈裟丸さんたち海士は収入が減り、頭を悩ませている。

唐津沿岸で赤ウニが減少したのは、地球温暖化による海水温の上昇にともない、南方系のガンガゼウニが増えてきたきたことが原因だ。ウニは元々ホンダワラなどの大型海藻を食べて育つが、ガンガゼウニなどの南方系は食欲がとても旺盛で、食べる量が赤ウニよりはるかに多い。繁殖力も強く、ガンガゼウニが多い海では海藻が食べ尽くされ、藻場がなくなってしまうほどだ。そうなると岩肌が白くなり、ガンガゼウニ以外の生物がほとんどいなくなる「磯焼け」という現象が起こる。まるで海が砂漠になってしまったように見える。

磯焼けは、日本全国の約8割の沿岸で起きていて、その範囲は年々拡大している。海藻が生える藻場がなくなることは、ウニだけでなく魚やそのほかの生物が育つ環境もなくなることを意味する。海の環境破壊が確実に進んでしまうのだ。

■孤立無援で始めた駆除
高校卒業後、袈裟丸さんは取り立ててやりたいことはなく、海士になりたいとも思っていなかった。何となく「やらなくてはいけない」という思いで始めたが、結婚し、家族が増えることを機に漁に打ち込むようになる。「究極の赤ウニをつくろう」。そう思い、海に潜り続けた。そのうちに、海藻が年々減り、磯焼けの地域が増えていることに気づく。

ウニが取れなくなり、収入も減った。家計の足しにするため、潜水士の資格を取り、佐賀県の海のモニタリング調査の仕事も始めた。そこで衝撃を受ける。県内のあちこちの海に潜ると、磯焼けは玄界灘全域に広がっていたのだ。「このままでは、まずい。海藻を増やさないと、何もかもなくなってしまう」と袈裟丸さんは感じたという。究極のウニづくりには主食となる良質な海藻が欠かせないのに、取り返しがつかなくなりそうな海の状況に危機感を抱いた。磯焼けを解消するため、まずは海藻を減らしてしまうガンガゼウニの駆除を始めた。また、藻場が完全になくなった場所にもう一度海藻が生えるよう、胞子を定着させる母藻を植え付けた。

それはいばらの道の始まりでもあった。ガンガゼウニの駆除をすれば、赤ウニを取る時間を奪われ、収入が減る。同業の海士だけでなく、漁師たちからもガンガゼ駆除への理解や協力が得られなかった。ガンガゼを減らすには取ってつぶしていく方法があることは知られていたが、広範囲にわたる作業は誰もやりたがらず、自然に任せておけばいいという人がほとんどだった。

海では他の漁師はライバルであり、競争しながら漁をする。このため、使っている道具を教えたり、自分の海を他人に見せたりすることはない。たとえ環境保全が目的だとしても、協力しにくい土壌もあった。

袈裟丸さんは、地元鎮西町の串浦地区沿岸でガンガゼウニを駆除する計画を立てた。その範囲は約2.5キロにも及ぶ。ガンガゼ駆除は磯焼け解消の有効な手段の一つではあるが、必ずしも成果が上がるとは限らない。成果が出るとしても、いつになるか分からない孤独の闘いだった。

■20年でようやく変化が
ガンガゼ駆除による海の保全活動を始めた後、数年たっても藻場に大きな変化は見られなかった。海藻が生えたところもあったが、定着せずに終わることの繰り返しだった。7年後、袈裟丸さんは地元の漁協が主催した講演会に参加した。そこで登壇していたのが、鹿児島県指宿市山川町で定置網漁をする川畑友和さん(43)だった。袈裟丸さんは同い年の川畑さんが藻場づくりの大切さを訴える姿を見て、同じ九州に自分と同じ考えをもち、活動している人がいることに衝撃を受けた。講演後に話をした二人は意気投合。孤立無縁だった袈裟丸さんは力強い仲間を得て、藻場づくりに一層励んだ。

藻場づくりから10年が過ぎた2012年頃、袈裟丸さんはあることに気づく。ホンダワラ系の海藻が少しずつ生えてきたのだ。藻場が復活し始めている兆しに見えた。「もしかしたら、いけるんじゃないか」。小さな手応えを感じた。

漁協も、袈裟丸さんの環境保全活動にようやく理解を示し、10年ほど前から水産庁の環境生態系保全支援事業を取り入れながら、地域でガンガゼ駆除や藻場造成を行うようになった。袈裟丸さんの取り組みによって、地区の藻場が回復する姿を目の当たりにするようになり、今では地元の漁業関係者たちも藻場づくりに理解を示し、協力してくれるようになった。

2021年、袈裟丸さんは鹿児島の川畑さんを唐津の海に招いた。藻場が復活した姿を見てもらいたかったからだ。海に潜った川畑さんは、磯焼けだった海でここまで藻場が復活するものなのかと驚いたという。2022年5月24日には、海洋環境の専門家たちを全国から集めて、袈裟丸さんが手がけた藻場の視察調査会を開いた。水深20メートルをこえる海域で大型海藻が森のように生い茂る姿を見た専門家たちは、一様に感銘を受けた様子だった。「ざっと見ただけで50種類近くの海藻が生えている。量だけでなく種類が豊富だ」「食害魚もいるが、魚に勝つだけの量の藻場になったのはすごい」「取り組みの成果を数値化して世の中に伝えていきたい」。称賛の声が続いた。

■期待を集める「ブルーカーボン」
これまで地球上のCO2の吸収源は森林とされてきた。近年は海の藻場にもCO2を吸収する「ブルーカーボン」として期待が高まっている。CO2は水に溶けやすいため、海域でCO2は大気中から海水中に移行する。また、海の植物が光合成をすることでCO2を吸収する。周りが海に囲まれた日本で藻場を増やしていけば、ブルーカーボンの宝庫となり、地球温暖化対策の切り札の一つになると考えられている。
袈裟丸さんが長期間にわたって続けてきたように、人の取り組みで回復した藻場であれば、二酸化炭素の吸収源として高い価値があり、カーボンクレジットとしての使い道が十分出てくる。

藻場が復活してしてきた唐津の海。ただ、袈裟丸さんはまだ安心できないと言う。「地球温暖化の加速度がすごい。早くこういった取り組みを広範囲でやっていかないと、日本の海は終わってしまうじゃないかと思う」

20年かけて藻場を復活させてきたものの、その間に海水温はさらに上昇している。イタチごっこの状態で、正直に言えば光が見えないのが現状だ。しかし、諦めてしまってはダメだとも袈裟丸さんは考えている。「少しでもできることってあると思うんですよ。一人の人が何かできることを考えていくことが本当に大事」

環境問題は1人では解決できない大きな課題ではある。でも、一人ひとりにできることはきっとある。できることを、時間をかけて、少しずつ。20年かけて藻場を作ってきた袈裟丸さんは、地球環境問題に対して、たとえ少しでも自分に何ができるかを考えて活動している。諦めない姿勢。これこそが、地球に住む私たちが地球に対して、後世に対してできることではないだろうか。

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企画・取材・撮影・編集 近藤剛

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