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【京都市】上京区『大将軍八神社』牧野省三&尾上松之助の「石の玉垣」と『日活大将軍撮影所』

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

『日活大将軍撮影所(日活関西撮影所)』

今回は「日活映画」を作ってきた京都の撮影所について…

当時の四大映画会社であった東京の吉沢商店、福宝堂、エム・パテー商会、そして京都の横田商会が合併し、『日活(大日本活動写真株式会社)』が誕生。

『北野天満宮』近くにあった『法華堂撮影所』は日活に引き継がれ『日活関西撮影所』と名を改めました。

大正7年(1918年)に、『日活大将軍撮影所』(大将軍一条町)に移転し、本格的な撮影所となり、『法華堂撮影所』は閉鎖、1919年(大正8年)7月10日に同撮影所に在籍のまま、牧野省三はミカド商会を設立し教育映画を製作し始めます。

1920年(大正9年)1月には同撮影所はミカド商会を吸収し「日活教育映画部」となり、1921年(大正10年)6月に「牧野省三」は退社、『牧野教育映画製作所』を京都『等持院』に設立。

1926年(昭和1年)には、撮影所所長を務めた「尾上松之助」が逝去、社葬が執り行われ、葬列は堀川丸太町の自宅から大将軍撮影所まで続き、沿道には20万人が詰めかけ号外まで出されたほどでした。

時代劇が作られる一方で、東京から来た「溝口健二」や「村田実」らが監督する現代劇も意欲的に製作されましたが、1927年(昭和2年)太秦に新撮影所が完成し「大将軍撮影所」は閉鎖。

『大将軍八神社』

『大将軍八神社』は、平安京造営の際に、陰陽道によって大内裏の北西角(天門)に、都の守護として大将軍道堂を創建。

北斗妙見信仰、太白精の信仰、暦神などの信仰が習合し、明治以降、『大将軍八神社』として現在に到ると言われています。

『大将軍八神社』境内
『大将軍八神社』境内

日活大将軍撮影所」の近くにある『大将軍八神社』には、寄進者として”日本映画の父”と言われる「牧野省三」と「尾上松之助」の名前が刻まれた「石の玉垣」が鳥居横にみられます。

「牧野省三」
「牧野省三」

鳥居の横をたどると一番最初にありました!

「尾上松之助」
「尾上松之助」

『大将軍八神社』は、桓武天皇が794年(延暦13)王城鎮護のために星神大将軍を勧請したといわれる社。

年に2回だけ、特別拝観が行われ、『方徳殿』にて、大将軍神像80体(重文)と陰陽道で有名な安倍家の古天文暦道資料(府文)が拝見できます。

『大将軍』宝物殿入り口
『大将軍』宝物殿入り口

大将軍八神社は、「方除け厄除けの神」として知られており、進む道が間違えないように、引っ越しや転勤、また旅行に行く前に訪れる人も多いそう。

江戸時代に八将神の信仰が強まり、祭神の大将軍が素戔嗚尊(牛頭天王)と習合し、八将神は素戔嗚尊の御子神八柱もしくは牛頭天王の眷属である八王子と習合して祀られるようになりました。

すなわち、大将軍とは素戔嗚尊(スサノオ)でもあり、また御子神八柱のうちの天津彦根命として、民間人から親しまれたそう。

今年の春の特別拝観に、私も行ってきました。

『方徳殿』での、立体星曼荼羅様に安置された『大将軍神像80体』(重文)と陰陽道で有名な安倍家の古天文暦道資料(府文)だけでなく、古代中国の道教等の影響を受けた、日本でも珍しい多くの神像が残されており、古天文暦道関係についてなど学べて目から鱗な体験でした。

大将軍八神社
所在地: 〒602-8374 京都府京都市上京区西町48 一条通御前西入ル
電話: 075-461-0694
拝観時間: 9:00~17:00
特別拝観日: 5月1日~5月5日、11月1日~11月5日 10:00~16:00  ※その他の日は要問合わせ (12/31~1/7は予約不可)

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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