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【京都市左京区】『下鴨神社・葵公園』目玉のまっちゃん像

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

『撮影所システム』

日本映画の発祥地である「京都」には、『撮影所システム』というのがあったそうです。

映画全盛期の昭和30年ごろには、映画制作に必要な全行程が撮影所に委ねられました。

撮影だけでなく、技術の伝承や人材育成も行われるようになり映画が一大産業として定着していきました。

かつて、賀茂川東騎士のカモがも宮崎町には大正12年から昭和49年まで撮影所が存在しており、「松竹下加茂撮影所」(のちの松竹京都撮影所)と呼ばれていました。

田中絹代や林長次郎(のちの長谷川一夫)がここでデビューを果たしています。

『稚児の剣法』(林長二郎ーのちの長谷川一夫)『雪之丞変化』『残菊物語』など「下加茂カラー」と呼ばれる時代劇の大ヒットを出しました。

尾上松之助(目玉のまっちゃん)

日本で最初の映画スターといえば、尾上松之助、その愛称は「目玉の松ちゃん』でした。

牧野省三により、活動写真の俳優として最初に見出された松之助は、若く50歳で亡くなりますが、生涯で1000本を超える映画に出演し、子供からお年寄りまで人気を博しました。

松之助は、早変わりや宙乗りなどの縁捨のある軽快な動き(ケレン)が得意で、牧野省三は活動写真と舞台の演技の違いについて熟知していたため、松之助を好んだと思われます。

「目玉のまっちゃん」胸像
「目玉のまっちゃん」胸像

その彼の胸像を見れる場所があります。

賀茂川と高野川の合流点である、出町柳の三角州(三角デルタ)。

新しく綺麗になった「河合橋」
新しく綺麗になった「河合橋」

新しく綺麗になった「河合橋」を渡ると、葵公園がでてきます。

そこの葵公園内に、尾上松之助の胸像があります。

尾上松之助は、岡山出身の旅役者から、『日本映画の父・牧野省三先生』に見いだされ、後に1000本もの作品に主演したスターです。

日本映画初の大スター!目玉の松ちゃん」と呼ばれていました。

大きな目玉を向いて見得を切る演技が評判を呼んだからだそうです。

トリック撮影を駆使した忍術映画では年少ファンのアイドル的存在となり、後年には、日活大将軍撮影所所長、日活取締役などを兼任して重役スターに!

公木 之雄(きみき ゆきお)の名で監督作も発表。

スターとしても受けたお金を、京都府、京都市、そして京都に住む貧しい人たちのための住宅を建設するなど、公共事業や大衆のために使った尾上松之助の胸像は、昭和41年当時の京都知事により設立されました。

胸像の裏に書かれた碑文
胸像の裏に書かれた碑文

明治42年(1909年)に、デビュー作『碁盤忠信』を撮影。

立川文庫による忍術映画が、特に「目玉のまっちゃん」の爆発的な人気に火をつけました。

松之助は、役者をしながら日活大将軍撮影所の所長を務めるという偉業も成し遂げました。

胸像の裏側にサインらしきものが見えます
胸像の裏側にサインらしきものが見えます

「葵公園」をいくと、『下鴨神社』や『糺の森』があります。

「葵公園」
「葵公園」

『下鴨神社』といえば、多くの映画やTV作品などのロケ地として有名ですね。

この葵公園は今でも、市民の憩いの場となっています。

京都府は、鴨川公園の葵地区における整備の方向性を示す「鴨川公園(葵地区)整備計画」を策定しました。

明るさとにぎわいを取り戻すのが目的で、2023年春の完成を目指すそうです。

「目玉のまっちゃん」が望んだかのような賑やかな公園になりそうですね。

葵公園(鴨川公園)
所在地: 〒606-0801 京都市左京区下鴨宮河町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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